いつか言うサヨナラの前に  2






颯太が持っている別荘は、戸籍上は養父となった松下からのもので松下が存命のときは避暑として夏によく来ていた。田舎と言うより山奥にあるそれは、点在するペンションのひとつのようだった。
こじんまりとしているが主寝室のほかに客室が三つ、暖炉もある広いリビングに松下が好きだった映画を見るために専用の部屋があり、大画面に一ヶ月かかっても見切れないほどのDVDが揃えてあった。
その別荘は車でなければ来られないような場所だが、五分ほど歩けば県道に出てバスがある。
そして頼めば雪道にもなれたバスタクシーもあり近くの街へ食料品を買いに行くのも時間もかからないとすれば、キナと颯太にとってなんの不便もなかった。
そして颯太の言ったとおり、近くには小さいがスキー場がありキナの嵌っているスノーボードも出来た。
松下の好みが自分の性質にあっていたのか、読書や映画を見て過ごす颯太もその生活を満喫していた。
なにより、翌日起き上がれないほどの夜のことがないとするのが、二人が一番今安堵することだった。
朝、起きて一緒に食事をして他愛ない雑談をして、颯太は本を読みふけったりキナはそのスキー場に行ったり、時には一緒に映画を見ている。
その生活は確かに休息だった。
キナも颯太も必要としていたものであり、満喫もしていた。
しかし、キナが溜息を吐いたのはあのカフェから直接ここに来てしまって一週間がたったときだった。
さすがに、連日スキー場に行っていて飽き始めもしていた。
活字を読まないキナにとってみれば、他には映画を見るか颯太と話すしかない。
リビングにある大きなソファに寛いで抱えるような本を読んでいた颯太は、テレビをつけっぱなしにしながらも毛足の長い絨毯のうえに座り視線を外に向けているキナに気付いた。
リビングの目の前はテラスになっていて、そちらの面は壁ではなく一面の格子ガラスだった。
もちろんそこは開け放すことも出来て、夏にはそこでバーベキューなども出来た。
テラスは広く、リビングの隣にある映画のための部屋のほうまで続いていて、その上にはちゃんと屋根もあった。
しかし朝らかチラつく雪がその端に積もってきている。
颯太がキナの視線を追うと、それよりも向こうを見ているようだった。
リビングの窓から、テラスの向こうに、映る景色は降り積もる雪だけだ。
「・・・キナ?」
動かないキナに颯太は小さく声をかけた。
考え事をしているのなら邪魔をいたくないと思ったからだが、どうしたのか、と心配したのもあったからだ。
キナはその声にすぐ反応して、テレビのスイッチを切ったかと思うと徐に颯太の隣へと移動してきた。
そうなれば、颯太も本を閉じてキナを窺う。
その顔に、ここに来る前のような憂いがあったからだ。
キナのこの顔を、颯太は何度か見たことがあった。
キナが振られて、自分の店のカウンタに座りスツールで回るときだった。
振られて次を探す合図だ、と言うけれど、寂しくて寂しくて一人で居たくない、という落ち着かない行動だったのだ。
それが分かる颯太も落ち着かなくなってしまった。
「・・・・あのさぁ、マスター」
「・・・・はい?」
重い口を、キナはゆっくりと開いた。
「時々さ、夢だったのかな、とか・・・思わない?」
「・・・・はい?」
ソファに座り、俯いて話すキナは、とても成人した男には見えない。
幼さに憂いを見せて、こんな顔をされては弁護士も堪らないな、と颯太は苦笑してしまった。
「今までの、こととかさ・・・・つまり、犬養さんが、俺と一緒にいたの、とか・・・」
「どうしてです?」
「一週間、ここにいるけど」
「そうですね」
「一週間だよ? いっしゅうかん」
「はい」
「山奥だけど、田舎だけど」
「別荘ですから・・・」
「でも、携帯の電波が通じないわけじゃないし、離島にいるわけじゃないし」
「・・・・・・」
颯太にも、キナが何を言いたいのか分かってきた。
俯いて話すキナの目に、どこか視点の定まらないそれが濡れて見える。
「なんで・・・・なんにも言ってこないのかなぁ」
ここにきて、初めのうちはいつ連絡が来て連れ戻されるのだろう、と二人ともドキドキしていた。
それは苦しく思いながらも、どこかに期待もあったのだ。
どんな形であれ、愛されているという、喜びだ。
好きな相手を諦めていた颯太と、人を好きになることを怖がっていたキナにとって、愛情を返してくれる相手というのはどんな人間であれ想い焦がれている存在なのだ。
「俺、早まったのかな・・・・逃げたりして、もう、犬養さんに、愛想つかれちゃったかな・・・」
何を言っても許してくれる相手だったので、キナは思うままに我儘を口にしていた、と呟く。
苦しくて、逃げたくなるほどのそれを向けられたせいで、自分に、相手の気持ちに胡坐を掻いていたのかもしれない。
そう思うと、自分のとった行動を後悔ばかりしているのだ。
「あの弁護士さんが、キナをそう簡単に諦めるようには思えませんけど・・・」
颯太は素直な気持ちを言った。
誤魔化しや気遣いではなく、心からそう思った。
バーで働いているからか、颯太は結構人を見る目が養われていた。
ゲイではない、と言う犬養の本気がキナ以上に颯太には分かったのだが。
しかし踏み込んだ恋愛をしたことのないキナにとって見れば、愛情を返してくれる相手が怖くて仕方ないのだ。
いつ、別れを切り出されるのだろう、と。
「でもさ、犬養さん、ほんと、もてるんだよ・・・それこそ独身の弁護士なんて女が普通放っておかないし、しかも犬養さんの秘書、有り得ないくらい綺麗で・・・っ」
朝早くから夜遅くまで仕事をしている弁護士には、一日のうちキナよりその秘書のほうが過ごす時間が長いのだ。
「なんで俺なのって、いっつも思ってたけど・・・」
キナの言いたいことは、颯太も充分解かっていた。
それは颯太も思うことがあったからだ。
再開してから、幼馴染の相手は颯太が逃げたくなるほどの執着を見せる。
それが、本当に自分に向けられるものなのか不安がないわけではないのだ。
「本当、そうですよね・・・」
励ますつもりだった颯太の声も、どことなく暗く落ち込んだ。
「僕も、小さな頃からの刷り込みというものかもしれない、と思っているんです。少し、お互い心に傷を負うようなことがあったので・・・そのために、あの人は僕に意識が向き過ぎているだけではないかと・・・」
「・・・そうなんだ、マスターも、大変なんだ」
「・・・キナには、敵いませんが」
「そんなこと、ないと思うけど」
お互いを思いあって、少し目を合わせて笑った。
それからキナは渇いた息を吐いて、
「これはさ、ちょっと、確かめてみたい気持ちもあったんだ」
ずるいけど、と苦笑する。
「本気で、犬養さんが俺のこと、好きなのかな、とか・・・好きなら、追いかけてきてくれないかな、とか・・・追いかけてきてくれないなら、もう、好きじゃないなら・・・・」
その先が、キナには言えなかった。
颯太はその隣で同じ想いを抱えていた。
「先に、言ってしまったほうが、楽ですよね」
諦めたような声に、キナは泣き笑いの顔で、
「・・・・そう、なんだよな」
お互い、何を言いたいのか理解していた。
それを言うことが、たとえどれだけ辛いのかとしても。
一方的なだけの想いが、どれほど辛いのかは誰よりも知っていた。
「それで、早く、楽になるかな・・・」
この落ち込んだ暗いだけの気持ちからは、抜け出せるかもしれない。
例えその先にあるものが、明るく幸せだと思えないものでも。
「そうですね・・・」
ソファに二人並んで座り、視線を俯かせたときだった。

「何を言ったほうがいいんだ?」

一人ではなく、重なった声が背後で聞こえた。
ビク、と身体を震わせた二人に聞き間違いではない、とまた同じ声が聞こえた。
「詳しく訊きたいな」
キナと颯太は思わず手を取り合い、恐る恐る振り返るとそこには背の高い男が二人、並んでいた。
見間違えも出来ない相手に、キナと颯太は声もなく逃げ出すことも出来ず、がっちりとお互いにしがみ付いてしまい背中に冷たいものが流れるのを感じながら震えてしまった。
そこに立つ、犬養と修也はそれだけの迫力を持ってそこにいたのだ―――





         *





「申し訳ないが、自由業に近い颯太と違って、俺はしがないサラリーマンだからな」
そう言ったのはコートを脱いでスーツ姿になった櫂薙修也―かいなぎしゅうや―だった。
「俺も依頼が立て続けにあって簡単には身動きできない状況だったからな」
そう言ったのも、同じような格好をしていた犬養陽二―いぬかいようじ―である。
「・・・・・・・・・」
キナと颯太は一番大きなソファをその二人に譲り、その向かいにある小さめのソファに二人揃って移動した。
お互いの手を取り、逃げ出せないこの状況からどうにか助けをお互いに求めたものだったけれど、どちらもお互いを助けられる状況ではない。
「会社勤めをすると、休暇を頼んでもすぐにとは貰えないんですよ」
「俺も似たようなものですよ、ちょうど放せない裁判が入っていて、どうにもならなかった」
「・・・・・・・」
キナと颯太がいるにも関わらず、犬養と修也の会話は世間話のように進められてゆく。
二人がどんなことをしたのか、本人が一番解かっているのにそれを無視する形で進められてますますキナと颯太は小さくなるだけである。
「行き先はすぐに解かりましたが、動けないというものは辛いですね」
「そうですね、誰といるのか知ってはいても、落ち着かないことは確かです」
「何の忍耐を確かめられているのか、新手の修行かと思いましたよ」
「ああ、俺も何度仕事を投げ出そうと思ったことか」
「解かります、しかし、社会人として、いい加減なことは出来ませんし」
「誰かに迷惑のかかることなら、なおさらですね」
どこか営業中のヒトコマのような会話を震えて聞いていたのは、暗く思い悩んでいたことを払拭させるこの事態に、ただこの後逃げられはしないであろうお仕置きが想像できたからである。
ついさっきまで、相手の気持ちを疑うように、さらに勝手に拗ねていたような気持ちだったのが、今はどうしてこんなふうに逃げ出すことになったのか、その原因を思い出し落ち着かない。
しかしずっとこんな針の筵状態でいられるはずもなく、解決策を見つけよう、と先に口を開いたのは颯太だった。
キナは青くなった顔を上げられもしないでいる。
「あの、すみませんが・・・」
談笑していたような、スーツ姿の二人に颯太は間に入るように声をかけた。
「なんだ」
同時に振り返った視線に颯太は怯みながらも、
「どうして、ここが分かったんですか? ここにいるなんて、一言も・・・」
颯太の持ち物となったこの別荘の話など、誰にも話したこともないのだ。
それに犬養は分かったように頷き、
「キナの携帯にGPSが付いている」
「・・・・え?!」
あっさりと応えたそれに、驚いたのはキナだ。
青ざめていた顔を勢い良く上げたのに、
「場所を確認してみればこの別荘で、所有者を調べれば松下とある。一応話を聞こうと思ってあのバーに行って、こちらと鉢合わせをした」
犬養はこともないように言って修也を指したが、その内容は一つ間違えれば――いや間違えなくても――犯罪のような気がしたのはキナの錯覚ではない。
犬養からその先を引き継いで、
「ただ買い物に出ただけの颯太が帰らないから探しに出ようとしたときだった。それでお互い事情を知って、それが分からないでもないから暫く様子を見ることにした」
修也もさらりと言う。
だからすぐに迎えに行こうとせず、それなら仕事に都合をつけてゆっくり追いかけよう、とした。
それが、この日になったのである。
犬養も修也も、文字通り仕事を片付け休暇を作ってきたのだ。
「・・・・・・」
また何も言うことが出来なくなったキナと颯太に、向かい側のスーツを着たままの二人が笑った。
「それで、何を言ったほうがいいのか、いい加減教えてくれないか」
「納得できるよう、詳しく訊きたいね」
まるで獰猛な獣が獲物を見つけたようなそれで、そんな笑顔を見せつけられた二人は握り合った手に力を込めた。
どうしたものか、と颯太も悩んでいたが先に口を開いていたのはずっと下を向いて青くなっていたキナである。
「・・・・・・だって」
「え?」
ぽつり、と言った声に颯太が聞き返すと、キナは俯いていたのが嘘のようにキッと前を睨み据え、
「犬養さん、ゲイじゃないじゃん!」
「・・・・・なに?」
思わぬ言葉に、言われた犬養も他の二人も意味が判らなかった。
しかしキナはどうしようもなくなった気持ちを、このさいぶつけてやれ、と半ば自棄になった気持ちで勢いのまま口を開いた。
「毎日ずーっと仕事仕事って言ってるけど帰ってきたらいっつも何にも言わずにただやるだけで他になんにもないしなら俺は性欲処理機かデリヘルかっての! 仕事の話なんかそりゃ俺が聞いたってわかんないけど! 依頼人だかはなんか女の人が多いし家でも秘書から電話とかかかってくると訳分かんない仕事の話ずっとしてるし・・・っよく考えればあの秘書すっげぇ綺麗だし俺より一緒にいる時間だって長いし別に俺だって何か証が欲しいわけじゃないけどそんなもん欲しいなんて思ってないけどただやってるだけじゃよく分かんないしなのに犬養さんはいっつも俺の友達のこと疑ってるし・・・っ」
「き・・・キナ、キナ、落ち着いて・・・っ」
息継ぎも大丈夫だろうかと思うほどキナが一気に捲くし立てたのに、隣にいた颯太が慌てて止める。
しかし颯太の勢いは止まらなかった。
「馬鹿馬鹿しいとかって言うけど犬養さんゲイじゃないって言ってるけど俺だって男なんだけど! 男相手にセックスしといてゲイじゃないなんてどういう意味だよ!」
そこまで言い切って、キナはすっきりしたのか呼吸を思い出したかのように肩で息をして、止めた。
そのキナに暫く何も言えず無言が続いたが、キナの呼吸が整った頃に犬養が漸く口を開いた。
「なら、俺はゲイなんだろう。ただし、お前専用だが」
あっさりとした答えにキナは子供のように手足をバタつかせて、
「・・・・っだから!! ゲイならゲイで! なんで俺なのかが分かんない!! もっと綺麗なヒトとか! 性格の可愛いのとか! 俺みたいなヒネたのよりそれこそマスターのほうとか・・・っ」
子供の癇癪のような抗議に犬養は慣れているのか動揺も見せず、
「性欲が湧かない」
チラリ、と一瞬颯太を見たけれどすぐにキナに視線を戻した。
簡潔な理由に唖然としたのにも、犬養は、
「キナが欲しいと思うからそれが理由なのだが、他に何が必要なんだ?」
そんなものこっちが聞きたい、とキナは思ったがあまりに頭の中がグルグルとし過ぎてきていて、言葉が思い浮かばない。
颯太はその隣で小さく溜息を吐いた。
この二人のこういう言い争い――やはり痴話喧嘩にしか見えない――を見るのは何度目だろうか、と力が抜けたのだ。
横に置いてあったストールを手にとって、
「ちょっと、席を外しますから、お二人で気の済むまで話し合ってください」
と、立ち上がり修也を一緒に来るように促した。
「話なんかない! マスターどこ行くの!」
完全に癇癪を起こした子供のようなキナが立ち上がった、味方だと思っていた颯太を見上げると、颯太も苦笑して、
「僕も、少し頭を冷やしてきますから」
そう言ってその格子ガラスになっているテラスへ向かうそのドアを開けて息も白い外へ出たのだった。
黙ったまま修也が付いてきたのに、そのガラスを締めてストールを自分に巻いた。
二人っきりになる空間が必要だ、と判断したからだった。
颯太は溜息を吐いて、
「すみません、キナは怒ると子供のようになってしまって、いつも弁護士さんにも迷惑を・・・」
争いを始めた二人のことを、修也に詫びた。
けれど、そこにいた修也は不穏な笑みを浮かべて、
「・・・ふぅん? まるで、自分は関係がないとでも言いたいようだな?」
それに、颯太は自分も相当相手を怒らせているのだ、と思い出したのだった。
キナの心配もあるけれど、しかしそれより自ら二人っきりになってしまったこの状況をどうしようか、と颯太は必死に頭を働かせた。
寒い外で、雪は降りかからないもののそのテラスはどこより寒い、と颯太は感じた。






  ここで低いハードルです!(笑)


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  だからどうだって感じですが。
  皆さんが飛び越えてくれることを、楽しみにしてます♪



to be continued...

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