いつか言うサヨナラの前に  1






「マスター?」
どこか、確認するような声だった。
しかし松下颯太―まつしたそうた―はそう呼ばれる職業についていたため、素直に俯かせて甘いカフェオレの入ったマグカップから顔を上げた。
「あ、やっぱり?」
街中にあるオープンカフェで、雪もちらつきそうな寒さの中にも関わらず颯太は外でそれを飲んでいた。
通りに面した場所でぼうっとしていたのを見止められたらしい。
顔を上げて、自分声をかけた相手が当たっていたことに、どこかほっとした笑顔を見せた相手が立っていた。
「独り? なにやってんの、ここで」
「・・・・何も、別にしていませんが」
本当に何もしていなかったので、素直に答えた。
いつもならそれに眉を寄せそうな相手も、今日は何故か颯太と同じような顔になって、
「一緒、していい?」
颯太のテーブルの空いた席を指した。
「どうぞ」
独りでぼんやりするのもどうかと思ったので、颯太はそれを快く受け入れる。
セルフサービスの店だったので、大きなボストンバックを席において、自分の飲み物を取りに行く。
相手は、佐上キナ―さがみきな―自分はゲイだと公言しているスタイリストだった。
バーマスターの颯太とどういう繋がりかと言えば、そのバーの常連客が、キナなのだ。
颯太の経営するバーはゲイバーで、颯太も恋人は同性だった。
「はーぁ」
溜息を吐きながら席に戻ってきたキナの手には、アイスラテ。
この寒空に外で飲むにはどうだろう、と颯太は眉を顰めた。
しかし、キナはそれを平気でゴクゴクと飲んでもう一度溜息を吐く。
良く見れば、いつもキナは薄着である。
今日も颯太は厚手のハーフジャケットに大きなマフラーで首元を固めているのに対し、キナはすっきりとした襟足を見せるように丸襟のTシャツの上に革ジャンだけで、しかもその前は全開だった。
細いジーンズに編上げのブーツ、細身の腰を強調するかのようにまたゴツイベルトをしていた。
「寒くないんですか」
一応疑問に思った颯太が訊くと、キナは平気な顔で、
「寒くないよ、これくらい全然」
そう答えるキナの足元にあるのは、あまり颯太が見たことのない大きな鞄で、
「それは?」
「ああ、これ? 仕事道具」
四角いボストンバッグはその中身がいっぱいに入っているようで、さっき下に置いた音を聞いても軽くはないと分かる。
それをキナはこの細腕で平気な顔をして持っていたのだろうか。
「重そうですが」
「今日は少ないほう、ほかに衣装持ってないから」
スタイリストという仕事上、道具はいくら合っても足りない、とキナは呟いた。
いつも出会うバーではキナはあまり荷物を持っていない。
仕事帰りに寄るのではないのだ、と短くない付き合いの中で初めて知った。
「そっちは?」
「え?」
グラスを持っていたキナは、その指で颯太の足元に置かれたビニール袋を指した。
「買い物帰り?」
「ああ、はい・・・食料を少し」
「ふぅん、マスターさ、今までも外に出るときはその顔だった?」
「え? ええ、そうですが」
少し前まで、颯太はバーのカウンタに入るとき素顔が分からないほど、誰もが眉を顰めるほどキツイ化粧をしていた。
そして口調も違う。
颯太は苦笑して、
「外では、誰も僕を知りませんから。どんな格好をしていても同じでしょう」
そもそも、あの顔で歩いていたら必要以上に人目を引くだろう。
ある日を境に、颯太はその化粧も止めた。
それは常連であるキナも知っているところだった。
けれど、こうして外で偶然にも出会うのは初めてだったのだ。
それから、お互いに会話はなく、どちらともなく溜息を吐きながら寒空を眺めていた。
どのくらいそうしていたのか、キナは肩を落とすように息を吐き出して、
「・・・・マスター、帰らなくていいの」
ずっと隣に居る相手を覗き込んだ。
買い物をしていただけなら、早く家に帰って寛ぎたいはずである。
「・・・・ええ、キナこそ、いいのですか」
仕事が終わったのなら、キナも家でゆっくりしたいはずだった。
「・・・・うん」
どことなく視線を伏せたキナに、颯太は、
「・・・まさかまた、帰りたくないとか・・・」
「・・・・・・・・・・まぁね」
躊躇いながらも素直に頷いたキナは、また説教されるのだろうか、と颯太を見上げて、
「・・・帰れとか、言う?」
言われるだろうか、と思っていたのだが、意外にも颯太は同じように溜息を吐いて、
「いいえ、僕も一人でいるのはどことなく寂しいので、どうぞいつまでも居て下さい」
「・・・・・マスター? 寂しいなら帰ればいいんじゃないの? 待ってるんじゃないの、マスターの恋人」
常連であるキナは、颯太の相手を何度か見たことがあった。
その相手がくると店は閉店となるため、誰もが知っていることだった。
詳しくは知らないけれど、長年の想いが通じたらしくかなり熱い時期を過ごしているはずである。
けれど、今颯太の顔にあるのははっきりと憂いだった。
「・・・・キナ、僕の口調は、おかしいですか?」
「・・・・・・あのカマ言葉ははっきりおかしかったけど、なんでいつも敬語なの、とかとも思うけど、言葉なんて通じればいいんだから、なんでもいいんじゃねぇの?」
素直に答えたキナに、颯太は少し微笑んで、
「・・・僕は、育った環境が少し複雑で・・・あまり自分の言葉を持たない子供だったんです。成人してからは、お世話になっていた人が老紳士で・・・あの人の相手をしていると、自然にこの口調になったのですが・・・」
キナはそれに何度か頷いて、
「ああ、恋人が、それ、嫌がってんの? 他人行儀みたいって?」
ずばり当ててきたキナに、颯太は肩を落としながら頷いた。
「・・・・どうすればいいのか、僕には・・・今更直せと言われても、昔どんな言葉を使っていたかも覚えていませんし・・・それに」
「それに?」
「・・・・・その、少しあの人は嫉妬深い、と言うか・・・」
きっと、こんな風にキナと話していただけでも機嫌が悪くなりそうだった。
颯太が化粧を落とし、素顔のままにカウンタに立つようになってから、客数が増えた。
颯太目当てにバーに来る客も少なくはない。
それも、相手の気に入らないところであるらしい。
キナはいつもなら、「愛されてるね」と笑って流していたかもしれない。
けれど、今日のキナはいつもと違った。
「ああ・・・・・イヤだよな、それ」
心から同情した。
「それで、買い物に出たは良いけど、帰り辛いんだ?」
「・・・・まぁ、そうです・・・キナは?」
問われたキナは、視線を伏せてセットされた頭に手を入れてくしゃり、と髪を掴んだ。
「・・・なんつーか・・・あの人さぁ」
「弁護士さん?」
キナの付き合っている相手は颯太のバーで何度も揉めてくれたため、颯太も相手をよく知っていた。
キナは頷いて、
「俺の友達ってさ、良くも悪くもいい遊び相手ばっかで、飲みにも行くし、楽しい遊びは一緒にするし、気心が知れてるっていうか、まぁ・・・つまり、気が向いたらセックスもしちゃうようなヤツらで」
「・・・・・友達とですか」
「うん、だけど、友達だから、それ以上には絶対なんないし、それでも大事なヤツらだから傷つけたくないし」
「・・・・今は」
「友達は友達だ。セックスはしてないけど」
「まぁ、それは・・・」
颯太はキナの付き合っている男を思い浮かべて顔を顰めた。
そんなことをすれば、キナがどんな仕打ちを受けるのか颯太でも分かる。
「その友達が?」
「友達は、ずっとそうだろ、遊びにも飲みにだって行くし、俺は仕事で結構外周りするし・・・なのに」
俯いたキナは肩を震わせて、
「なのにあの男・・・・っ」
「・・・・・」
キナのその声で、感情が分かる。
「毎日毎日疑って苛んで延々いつまでも・・・っ歳考えろっつうの! あのエロオヤジ!」
エロオヤジというほどの年齢でもなかったはずだが、若いキナからすればそう見えるのかもしれない。
いつもなら颯太も、「ノロケですか? 愛されてますね」と笑って相手をしなかったかもしれない。
けれど、今日の颯太はいつもと違った。
「・・・・大変ですね」
「明日から二週間も、俺冬休みっつって休み取ったんだよ・・・明日っから監禁生活が始まるのかと思うと・・・・・」
すでに疲れている。
その言葉が偽りや大げさでないことは、颯太も知っていた。
だからこそ暗い表情のキナには同情してしまう。
どちらともなく溜息を吐いて、

「・・・・・逃げたい」

同時に呟いた。
それに視線を合わせて、颯太は戸惑いながらも口を開いた。
「・・・・実は、僕、埼玉の田舎に別荘を持っていまして」
「ん? 別荘?」
「ええ、今の時期はもう雪で埋まっていて、遊ぶ場所といえば、少し離れたところにあるスキー場くらいしかないのですが・・・」
「え、スキー場? スノボできる?」
「ええ、出来るようです」
「・・・・・・・」
お互い顔を見合わせて、視線で会話をした。
無言だったけれど、そこには確かに通じるものがあった。
「これから?」
「駄目ですか」
「なわけないじゃん」
会話はそこで終わりだった。
お互い無言で立ち上がり、荷物を持ってカフェを後にした。
その後姿は、どこかそれまでよりも生き生きとしていたようだった。
どこか麻痺した二人は、考えれば分かるようなその後をそのときは一切思い浮かべることが出来なかったのだった。


to be continued...

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