御屋敷のお嬢様 14  本業探偵の雑用業務





正直に告げた僕に、弁護士さんは変化のなかった表情を硬くして、
「お嬢様を治して――いただけるのですか?」
僕は頷いた。
それが依頼。

僕は出来ないことも沢山あるけれど――出来ることくらいは、しますよ。
「うん、はい、まぁ、治すというか僕が出来ることを、します」
ただ、出来るならもう少しこの生活をしてみたかっただけです。
「では、お嬢様をお呼びしても構いませんか」
「・・・・・はい」
正直、あのお人形さんと会うのは気が引ける。
治れば普通の人間になる、という保障がなんだか感じられないから、伸ばし伸ばしにしていた――と云い訳もしてみる。
この屋敷に暫く居てみたけれど、それこそ庭なんかにも出て見たりもしてみたけれど、一度も僕はお人形さんを見たことがない。
星と屋敷の中を見て回ったときにも感じた、人間が住んでいる気配がない――空気。それがビシバシと伝わって来ていた。しかもどこもかしこも綺麗に磨かれているから、廃墟と言うより博物館か美術館に居る気分だった。そこはやはり、人が住むところではない。
あの廃墟となった別荘とはまた違う、異空間だったのだ。
どうにか僕と星の与えられた部屋だけには慣れたから、ずっとそこで過ごさせて貰っていたのだ。

篠井さんが一度席を外して出て行った。
あっ、出て行くの? 一緒に居てくれないの?
僕は思わず隣に座っていた星の手を握り締めた。
「――ビビリ」
「うっ、煩いやい!」
云い返してみたけれど、それについて反論はない。
星の低い声よりも、どこからか響いてくるこの、軋んだ一定音――

     キイ  キイ  キイ  キイ  キイ

それが僕達の居る部屋の前で止って、ゆっくりとその扉が開いた。
えっと、いつもは音もなく開く扉が、ギィィ〜っと軋んだ気がしたのは――僕の気のせいかな。
気のせいだよね。きっと。
扉の向こうには、車椅子に鎮座した人形――もとい、瑞歌お嬢様。
真っ直ぐで真っ黒な黒髪は輝くばかりに梳かれて流れ、瞬きの感じられない黒水晶は真っ直ぐにどこかを見つめ、一寸たりとも動かないその肢体には今日はベルベットの黒いドレス。
今日も完璧なお人形さんだった。
ああ、怖い!
この生き物が怖い!
キイ キイ、と同じ音を立てながら部屋に入ってくるお嬢様。
その音を目で見ると、さっきより恐怖は薄れた。その音の原因が解かっていても――目で確かめるとやっぱり違う。
お嬢様が乗っている車椅子。の、向かって右側のタイヤが鳴っているみたいなんだけど。
ねぇ、油とか――注してあげないの?
お嬢様の乗った車椅子を押すメイドの後ろから、弁護士さんも入ってくる。
うん、よし。
僕も覚悟を決めよう。
お仕事、ですから。

そう乱れてもいない服装を整えて、僕はすっくと立ち上がりお嬢様から――視線を外した。
いや、怖いからじゃないよ!
弁護士さんと、メイドを見たんだよ!
「ええと――どこから話そうかな、」
「治療をしていただけるのでは?」
突っ込んできたのは弁護士さん。
「うん、はい。そうですけど、治療と云うか・・・薬を飲ませたり手を施したりって云うのは、お医者さんがしてくれると思うので、僕は医者じゃないし――依頼はこのおにん・・・お嬢様を正気に戻すって云うことだけだし」
まずいまずい。
本人目の前にぺろっと云っちゃうところだった。
僕は瑞歌お嬢様の前に膝を付き、その視線に僕の顔を合わせた。
「瑞歌お嬢様、大変でしたねぇ」
これは本気の本音。
本当に、そう思ったんだ。
だってこの短い人生の中で、お嬢様はどれだけの試練に向き合うことになったんだろう?
調べれば調べるほど解かる事実に、僕は心から同情することしか出来ない。
ん?
同情なんか要らない?
要らないかなぁ? でもそれしか出来ないからね、僕は。

「椿さん?」
お嬢様でなく、その後ろから弁護士さんが僕に首を傾げている。
一体何を云い出すのか、と思っているのかもしれない。
「想像を絶します」
以前も云った言葉を、僕はもう一度云った。
想像出来ない。
僕は怖くって出来やしない。
あの一筋の明かりもない地下室で、丸一日過ごした少女。
暗闇に放り込まれたら、右も左も解からない。天も見えなければ、今居るのは本当に地面なのかも解からない。
聴こえてくるのは徐々に短くなる自分の呼吸音。心臓の音。
手に触れるのは自分の身体。暗くて周囲に伸ばすことも出来やしない恐怖。
何が起こるのか――起こるとしたらいつ起こるのか。
一時も半時も永遠に思える闇の空間。
それに耐え抜いた、僕より遥かに小さなこの少女。
「よく耐え抜きましたね」

あの闇を。
あの恐怖を。
あの妄執を。
僕はお嬢様に向かって視線を合わせた。

声を掛けて来たのは、お嬢様ではなくやはり後ろに居た篠井さんで、
「・・・あの? あんな経験をしたからこそ、お嬢様は正気を失われたのでは?」
「いいえ? お嬢様は正気です」
「え?」
訊き返して来たのはやっぱり弁護士さん。
目の前のお人形さんに変化はまったく無い。
「元々――正気を失ってはいないんですよ。瑞歌お嬢様は」
僕はただ、お嬢様の表情の変化を見つけようとじっと視線を向けた。
そして、変化はあった。
人形の顔が、その口端がゆっくりと持ち上がり――心臓を射抜くような笑みで、嗤った。

逃げ出さなかった僕を、誉めて欲しい。


to be continued...



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