君を想う ―キミヲネガウ― 3




しばらく、瑛の生活に変化はなかった。レイはまたどこかに出かけているようだが、夜には帰ってくるし、変に痣をつけて帰ってくることもない。
たまに瑛の友人たちと、また瑛の家で会うことがあっても、何を言うわけでもするわけでもない。話もせず視線を合わせることもなく、奥の部屋に引っ込んで一人で本を読んでいる。
無関心な瑛の友人たちは、無関心な友人がいるからか、あまりその状況を楽しく受け入れることが出来なかった。
しかし当事者の瑛が気にしないでいるのだから、周りが何かを言うことも出来ず時間だけが過ぎた。そんな時だった。
紅理は街中でレイを見つけた。笑いもしない、いつもの無表情だ。驚いたのは、男に肩を抱かれて、ホテルから出てきたからだ。すでにあたりは暗く、その二人に気をむけるものもいなかったが、しかし紅理は見逃せなかった。
「黎!」
思わず声をかけた。驚いたのは、お互い様だ。レイはびっくりしていたが隣の男に、
「誰?」
と問われて、また表情を戻した。
「知り合い……の、知り合い」
「他人かよ」
「うん」
「知り合いって…そりゃ知り合いだけど、黎、どういうこと?」
「なんだ? なんか文句あんのかよ、おばさん」
見るからに二十歳そこそこの相手から見れば三十過ぎはおばさんかもしれないが、紅理はそれにかちん、と顔を顰めた。
紅理が言い返す前に、レイが口を開く。
「もう、時間だよ、遅刻しちゃうよ、仕事」
男は舌打ちをしてレイの肩を離し、歩いていった。レイはそれを見送って、紅理に視線を戻す。しかし、完全に視線を合わせようとはしない。視界の隅に入れた程度だと、相手からも分かる仕種だった。
「……なんか用?」
ましになったとはいえ、レイは未だにそっけない口調だ。
「用って、ねぇ、どうゆうこと? 誰とも寝たりしないって、瑛と約束したんじゃないの?」
「お金、貰ってるわけじゃないよ、あの人は……カレシだ」
「カレシって……付き合ってるっていうの? あんな男と?!」
「おかしい? 俺、誰とも付き合っちゃだめなわけ?」
「そうは言ってないわ、黎が納得してるなら、いいわよ……」
レイは口端をあげて、紅理を睨み見た。
「あんたは、納得してないって顔だな」
「そりゃ…あんたは、瑛と一緒にいるんだと思ってたから」
「瑛さんと、寝るわけじゃない。俺は、あの部屋に置いてもらってるだけだ」
「ちょっと突っ込んだこと、訊いていい?」
「なに」
「家が、ないの? 帰るところ、親の家も?」
「二年前に勘当された。俺がこんな趣味だから。しばらくこっちの叔父さんちに居たけど、叔父さんも家にいないし、俺がなにしようと気にしない」
レイがあっさりと答えたことに紅理は驚いて、そしてその内容にも驚いた。
「私、瑛に言うわよ」
「言えば? 瑛さんがどうするかは、瑛さんの勝手だ。俺を追い出すなりすればいい」
紅理は困惑して、レイが身を翻して去っていくのを止められなかった。
その日に、レイが帰っても瑛は何も言わなかった。いつものように、一人でいるときのように、過ごしているだけだ。
それがレイを俯かせた。
何も言わない瑛に、何も言えるはずがなかった。それでもレイは良かったのだ。この場所を取り上げられるわけじゃない。






瑛は時計を見た。もう十二時になる。外は土砂降りのような雨だ。冬も近いこの季節で、かなり気温は低くなっている。
なのに、まだレイが帰ってきていない。
ここまで遅くなったことは今まで一度もない。だから余計に、落ち着かなかった。子供じゃないと分かっていても、心配なものは心配だ。
瑛は心配している自分が不思議だった。
ただの拾っただけの子供だ。気にしなければ良い。またいつ居なくなっても、自分の生活に変化はない。そう思い込んでいたのに。
ここに居ないだけで、心が騒ぐ。
それでもどこにも当てはなく探しにいくわけにはいかず、落ち着きもなく本を読んでいた。
ただ、ページは全く捲られない。
そうしていると、がちゃん、と鍵の開く音がリビングにも響く。ダッフルのフードを深く被って、ずぶ濡れになったレイが入って来た。
「傘もささずにいたのか? 莫迦が、風邪引くだろう、早く脱いで風呂にはいれ」
瑛がそのコートを脱がそうと手を出すと、撥ね退けられた。
「……いい、一人で、できる。シャワー、浴びる」
俯いてフードを被ったレイの表情は、全く見えない。濡れた体を瑛から隠すように足を踏み出した。
しかし、それを黙って見逃す瑛ではない。その肩を掴んで、止めた。
「…っ、」
悲鳴を堪えたレイの声に、瑛は無理やり自分に向けてそのフードを剥ぎ取る。そのレイの白い綺麗な顔は口と目の横にくっきりと殴られた痕が見えた。
「……」
瑛の無言の視線に、レイは目を逸らして、
「ちょっと…けんか、しちゃって」
その声を無視して、瑛はレイのコートを無理やり脱がしその下のTシャツも強引に剥ぎ取った。
「った!」
その衝撃さえ、顔を顰めるレイの体は縛られた痕と、殴られた痣、掴まれた指の痕跡もしっかりと残っていた。
「なにを…」
「ほんとに、けんかした、だけだ。俺の、ミス。完全に、俺が悪いの」
低い瑛の呟きに、レイは落ち着いた声で答えた。
「こうゆうことをする相手と、付き合ってるのか?」
「……悪い?」
「悪い。自分を痛めつけて、どうしようってゆうんだ?」
「どうも、しないよ……ここまでは、ちょっと想像しなかったけど、俺が悪いんだ」
「何が、だよ。ここまでして男と付き合うのか? どうしてだ」
「……ひとりが、嫌だからだ」
「俺がいるだろう、お前は、ひとりじゃない」
「瑛さんは……俺を抱かない」
「俺が抱けば良かったのか?」
レイはその答えにカッとして瑛の手を撥ね退けた。
「ふざけるな! そんな気もないくせに同情なんて御免だ! ここに置いて、それだけであんたは何をしてるつもりだよ! 慈善事業か!?」
瑛の顔を睨みあげて、レイは怒りを爆発させる。
止められない。
堰きとめていた感情が、溢れ出す。
「俺が悪いんだよ! 間違えたんだから! ばれたんだよ、代わりにしてることに……っ」
止められない涙が、目から溢れた。
「……あんたの名前を、呼んじゃっただけだ」
確かに、その言葉は瑛に届いた。
俯いて声を殺すレイを見る。その白く細い身体は痣だらけで、しかし立っている。震えながら、立っている。
それを見て、瑛の何かが切れた。押し殺していた感情も、なにもかも止められなくなった。
薄い肩を掴んで上に向け、驚いたレイの唇に咬みつくように口付けた。
「……っんッ」
驚いたレイは、それでもその身体を押し返そうと手に力を込める。しかし、敵うはずもない。血の味のするレイの口腔を瑛の舌が這う。
「う…っ」
苦しくなったレイは、その舌を思い切り噛んだ。
「…っつ」
呻きとともに、瑛の唇が離れる。息の荒いレイが驚いた顔で瑛を見あげ、しかしすぐに睨み付けて、
「同情はごめんだ! 離せ!」
瑛はそれにも答えず、軽いレイの身体を抱えて寝室に入った。そのまま、ベッドに投げる。勢いで何度かその上で揺れたレイは、しかしすぐに瑛を睨み上げる。瑛はそれさえ気にせずにレイのズボンに手をかけた。
「いやだ! やめろよ!」
あっけなく、何もかもを剥ぎ取られたレイをうつ伏せにして、瑛はその中心に手を伸ばす。その双丘を割って、顔を寄せた。
「…っ! や、やだ! やめ…っい…っやだ!」
生暖かい感触を感じて、レイは身体を硬くする。手を握り締めて、震わせる。
「いや…っあ、瑛さ……っ」
何も答えないまま、瑛はレイを掴んで、手を動かす。
「あ、瑛さん……!」
「力、抜け」
一言、低く呟いて、瑛は自分を押し付けた。
「――――!」
悲鳴を上げることもできず、レイは目の前が真っ暗になった。
思っていたより狭いそこに瑛は呻き声をあげて、しかし止めようとはしない。
「……力、抜け」
もう一度、呟く。血が流れているのがレイにも分かる。
レイは意識が何度も遠のくのが解った。しかし完全に向こうにいけない。息ができないほど、苦しい。
「レイ、」
「…っ!」
細い身体に覆いかぶさって、腰を揺らした。
短い息が、口から漏れる。瑛の手が、身体を思い出したように弄り中心に伸びる。
「っつ、! ッ!」
瑛は苦しそうな声を聞きながらも、動きを止めない。そのうちに、レイの中に出してしまった。レイの先端を引っかいて、レイも小さい声を上げて、瑛の手を汚した。
暗い寝室に、荒い息遣いだけが残る。
ゆっくりと落ち着かせて、レイは声を出す。
「…っ、…ぬ、け……もう、抜いて」
その声に、瑛はもう一度奥まで押し込む。
「……ああっ!!」
そのままただ、腰だけを揺らして、瑛は口を開いた。
「ふざけるな、だれが、同情だ……っそんなもんで、男が抱けるか」
「…ッ、あ、あっ……!」
「我慢してただけだ。目の前で、お前が……っくそ、誰か、いるんだろうが、忘れられないやつが!お前のなかに! 三年も待てるやつが!」
「いっ…! あ、あっ!」
瑛は今まで押さえていた思いを、感情を一気に溢れさせるように、抱いた。泣いても、意識を無くそうと、必ず引き戻して現実に留めた。何度も、レイが動けなくなっても、その身体を攻めた。
許せなかったのだ。
この身体を、他の男に抱かれたことに。
自分が、レイが許せなかった。
思い返せば初めからこの子供に嵌っていたのだ。気付かない振りで過ごしていたのに。
怒りを埋めるように、レイを傷つけた。






朝になっているのに気付いた。
カーテンの隙間から差し込まれる光は、柔らかい。うつ伏せになったまま顔だけ、明るいほうに向いていた。
レイは身体中の何もかもが、動かせなかった。呼吸をしていることさえ、解らないほどだ。視界に、自分の右手がある。その手首に、包帯が巻かれていた。薄く開いた目を動かすと、肩にもガーゼが当てられている。手当てをしてくれたようだ。
「気が付いたのか」
視界を男が遮った。誰だ、と思う暇もなく、身体を抱き起こされた。
「――――!」
目が眩むほど痛みが走る。
身体中が、悲鳴を上げていた。
「喉、渇いたろう」
確かに、渇いていた。男の腕の中で、身体を支えられながら痛みを堪えて震えていると、口を塞がれた。
生ぬるくなった、水が押し込まれる。
「…っ、う、」
音を立てて飲み込んでも、溢れてしまう。口の中が空になると、もう一度繰り返された。
やっと口が開放されて、大きく息をした。
深呼吸を繰り返してゆっくり目を開くと、瑛が見下ろしていた。変化もないが、いつものように眼鏡をかけていない。冷たい目が直接、レイを見ている。
「……きら、さん」
「手当ては、しておいた。しかし自業自得だからな。優しく介抱してやる気にはなれん」
口調は、いつもと変わらない。
自分に気があるのかないのか、解らない。それでも、目が潤んだ。瑛の顔が滲む。
「…俺、瑛さんに、抱かれたかったんだ、ずっと、一緒に……いてほしかった、」
「いるだろ」
力なく、レイは首を振った。
「ちが…瑛さんが、他の誰かといるの、やだ……俺だけ、そばに、居たかった」
唇に、瑛の唇が触れた。
触れるだけの、優しいキスだ。
「お前が、どこのどいつかを待ってる間の、繋ぎか?」
「……やだよ、そんなの…ずっと、一緒じゃなきゃ、…居られないなら、居たくない」
瑛はため息を吐いて、ゆっくりレイをベッドに戻した。
「お前は、百かゼロしか、ないんだな」
「誰かと分け合って、何の得があるの? 全部じゃないなら、いらないよ」
瞬きをして、涙が頬を伝う。
「……だから、あいつとも別れたんだけど」
「あいつ?」
「一緒に、死のうと、思ったんだけど……死なないほうがいいって、あいつが……」
「良案だな」
「……良かった」
「なにが」
「死ななくて……」
レイは瑛のシャツを力なく、しかししっかりと握った。瑛がいないと辛い。苦しくて息が出来ないほどだ。だからレイはここに帰ってくる。
苦しそうに、それでも必死で瑛を見上げて、
「俺……全部じゃなくて、いい」
「なに?」
「瑛さんの、邪魔、しない、だから……」
小さく、呟いた。
「捨てないで……そばに、居たい……お願い、瑛さん」
乾いたレイの唇に、キスをした。柔らかい唇を嘗めて、深く、口付ける。
「俺でいいなら、全部やるよ」
ゆっくり唇を離して真剣にレイを見下ろした。
「そのかわり、お前も、俺のものだ。二度と、他の誰かに、抱かれるな」
「……っ」
「あんなにむかついたのは、久々だ」
レイは痛いはずの身体を動かして、腕を瑛の身体に回した。顔をその胸に押し付ける。震えて、泣いた。
「……ッ瑛さん」
ゆっくり顔をあげて、瑛を見る。その目が、誘っている。
瑛にはそれがはっきりと判った。
「お前な、昨日あんだけやったのに、懲りないのか? 痛いだろうに」
レイは首を振って、
「いい…だいじょぶ、ねぇ、お願い…瑛さん」
瑛は苦笑して、キスをした。
「……ゆっくりな」
完全に、手に入れたとは思えない。
だけど今は確かだ。確実に、この手の中にある。
今は、それだけで良かった。
明日のことは、明日、考える。


to be continued...



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