君を想う ―キミヲネガウ― 2




そんな生活がしばらく続いたある日、瑛が帰ると食事が出来ていた。
といっても、手作りではない。買ってきたもののようだ。しかしその辺のお弁当ではなく、レストランからのオーダーのようだ。
「…どうしたんだ、これ」
「俺がとったの。……バイトしたんだ。お金が入ったから」
「ふうん」
レイが勧めるまま、瑛は椅子に座った。食べ始める瑛を見て、レイが満足そうに笑う。その顔を見て、瑛が心の中でため息を吐いた。
最近、笑うようになった。
初めは何をするにも無表情で、愛想笑いすらしなかったのに、最近心が顔に出ている。良いことだと思うが瑛はそのたびに、居心地が悪くなる。
粗方食べ終わった所でチャイムが鳴った。レイは体を揺らすほど驚いたが、瑛は自然に立ち上がって、インターフォンに近づいた。
「俺だ」
向こうから声が聞こえると、瑛は何も言わずにドアを開けた。下のエントランスもオートになっていて、しばらくしてさっきとは違うチャイムが鳴る。瑛が再びドアを開けるスイッチを押すと、勝手知ったるような足取りで男が部屋に入ってきた。
「瑛ぁなんか食わせてくれ」
いつもの文句だ。この男は織田 方士(おだまさし)。瑛の学生時代からの友人だ。
ネクタイに指をかけスーツを着崩しながらリビングに入り、テーブルに座った二人を見て、足を止めた。
「……邪魔したか?」
「だったら入れてない」
瑛の方に視線を向けて、しかし相変わらずのそっけない言葉が返ってくる。
方士はレイを見て、驚いた。女ならまだしも友人以外で男がここにいることが珍しかったからだ。
レイはその方士を無表情に見つめているだけだ。なにも言わない。
「方士、今日はなにも作ってない。この残り物くらいだ」
「……どうしたんだ? 珍しい、こんなもん」
「レイがとってくれた」
「レイ?」
方士は間近でレイを見て、口笛を吹くまねをする。
「すげぇ美人だな。俺は織田 方士。はじめまして、レイ」
「呼ぶな」
「え?」
レイは感情もない目を方士に向けて、立ち上がった。
「勝手に名前を、呼ぶな」
そのまま言い捨てて、奥に消えた。
方士はその後姿を見送って、複雑な顔を瑛に向ける。
「……どうゆう意味?」
「そのままの意味だろ」
「じゃ、なんて呼ぶんだ?」
「さぁ…名前を呼ばなきゃ良い」
「……どうゆう教育してんだよ、」
方士は瑛を睨みつけて、椅子にどっかりと座り込んだ。そのまま当たり前のように目の前の料理に手を伸ばす。
「あれ、なに? いつからいんの?」
「さぁ…いつからか」
「趣味変えたのか?」
「寝てるわけじゃない。ただ、ここに住みついてるだけだ」
「……昔から思ってたけど、お前、ほんっと、なに考えてんのか……」
「別に害があるわけじゃない」
「そうかぁ? だいたいあれ、未成年じゃないのか?」
「さぁ…ただ、そんなに幼くはないはずだ」
「なんで?」
「俺の本を片っ端から読んでる。原書でもだ」
「……まじで、どうして知り合ったんだ?」
方士は手を止めて、顔を顰めた。答えが返ってくるとは期待はしていない。
友人は、そうゆう人間だと解っている。






翌日、レイは瑛の部屋に遅くなってから帰った。貰った鍵でドアを開けると、中から話し声が聞こえる。しかも複数だった。
レイは首を傾げてリビングに入って、足を止めた。合計八つの目が自分を一斉に見た。驚いてその風景を凝視した。いつもの食事をしているテーブルに、マットが敷かれていた。その上には小さな四角い石が並んでいる。
いつのまにか、雀卓になっていたのだ。そのテーブルについていた一人、瑛が口を開く。
「遅かったな」
「……」
レイが何も言えないでその光景を見ていると、瑛の向こうに座っていた人間が奇声を上げた。
「うわぁ! ほんとに男の子だ! しかもかわいい! どしたの瑛ぁ」
背中まである巻き毛がよく似合う、瑛と同年代の女だった。その向かいには昨日来た方士、その隣にもう一人見たことのない男が座っている。
「……レイ?」
瑛が微動だにしないレイを訝しんで立ち上がった。レイは触れようとした瑛の手を、跳ね除ける。
「触るな」
その尖った声に驚いたのは全員だが、まず口を開いたのはその女、藤 紅理(ふじあかり)だ。
「ちょっと、少年、口の聞き方がなってないわね。年上に向かって、その言い方はなによ」
先ほどの奇声より三オクターブは下がっている。
「……」
レイは何も答えず、鋭い目を背ける。
「躾がなってないわね、親に習わなかったの? 目上には礼節を弁えなさい」
「紅理」
立ち上がって腰に手を当てて言い切る紅理に、落ち着くように手をかけたのは竜崎 高峰(りゅうざきたかみね)。
全員、昔からの友人だった。そしてこの家のこの机はよく麻雀に使用される。
「黙って、高峰。ガキはガキらしく、ちゃんと言って聞かせないと」
「うるさい」
レイはポツリ、と言った。しかし全員に聴こえた。
「うるさいぃ? ほんっとに生意気!」
「うるせぇよ! 香水くせぇ息吐くな!」
その瞬間、紅理の何かが切れた。
ゆっくりとレイに向かって一歩を踏み出す。それを慌てて止めたのは高峰だ。
「離して高峰。このガキに指導しないと治まんないわ」
「て、そのガキに本気になるなよ、」
「先公みてぇなこと言ってんな、消えろ」
暴走しようとする大人の紅理を押さえる横から、レイは口を開く。さすがに、瑛はレイを掴んだ。
「レイ、何を怒ってる。それから、俺の友人に失礼なことを言うな」
「友人?! コレが?!」
顔を顰めて、レイは掴まれた腕を離そうと力を入れるが瑛はそのくらいで手を離すつもりはない。しかしその掴んだ腕を見て、それを確認したくて、勢いよくその袖を捲り上げた。
痣があった。赤く、縛られたような痕だ。瑛はそれを確かめるように、レイのタートルで覆われた首を、その服を強引に引っ張って見た。
「……」
瑛の表情が、怒っていた。その眼鏡の奥の目が、激怒している。
「こうゆう……ことをするなって、言っただろ!」
その声に、友人たちも驚いた。それほど、瑛が声を荒げるのは珍しい。
レイの首にはくっきりと何かで縛られたような痕がある。叱られて、レイは一瞬怯んだが、しかしその手を振り払った。
「ほっとけよ! あんたに関係ない! 俺がどうやって稼ごうと、金が入りゃいいだろう!」
「身体を使うな、と言ったはずだ」
「俺にはこれしかない! 俺は身体しか持ってない。あんたはそれを要らないっていったじゃん!」
「誰が働けといった? 誰が金を欲しがってる?」
「……っ!」
レイの顔が歪んだ。泣き出しそうな、それを堪えている目だ。しばらく見守っていた友人たちも、口を開く。
「瑛、お前……どうゆう繋がりだ?」
方士が心配そうに訊いた。
「瑛のいうとおり、子供が体使って稼ぐもんじゃないわ」
紅理の一言に、レイはさっきまでの怯んだ目を一転させて睨みつける。
「お前に関係ない! 女はしゃべるな! 虫唾が走る!」
「レイ!」
瑛は今までになく、厳しい声を上げる。レイはそれに身体を硬直させ、壁に背中をつけて支える。足から、身体中が震えていた。立っているのがやっとだ。
紅理はゆっくりそのレイに近づいた。
「いいわ、瑛。あんた、女が嫌いなの?」
紅理は瑛を抑えて、レイに向かって言った。
紅理を睨みあげて、
「話すのもむかつく。同じ空気を吸ってるだけで吐き気がする!」
言われても、紅理は声を荒げず、
「男が好きなの?」
「大ッきらいだ!」
何を思い出したのか、レイは憎悪の塊を見るように何かを睨み付けた。
「じゃ、なんで寝るの」
「女よりましだ」
「お金がほしいの?」
「いらねぇ」
ほかの三人は、完全にその話し手を紅理に任せていた。これでもカウンセラである。だから不安に思いながらも見守ることにした。
「なにを、しているの? 何がしたいの?」
紅理は言葉を選んで言った。確実に、レイが答えるように。
「……死にたい」
その言葉に、全員が驚いた。しかし紅理はトーンを変えることなく、
「でも、死んでない」
「……まだ、死ねない」
「どうして」
「……三年、待つって約束だ。あと一年、まだ、一年」
明らかにレイの声は大人しくなっていった。目の焦点も、合ってない。震える手でその身体を抱きしめる。
「もう…嫌だ。待てない。もう、無理」
「無理じゃない。もう、二年も待ったんでしょう? あと一年じゃないの?」
レイはかすかに首を振るだけで、紅理は俯いたままの少年に首を傾げて覗き込んだ。
「ねぇ名前、教えてよ。私は藤 紅理。後ろの男どもは織田 方士と竜崎 高峰。瑛の友達。方士に聞いたよ、瑛と同じ様に呼んじゃだめなんでしょ」
「……そう。荻谷、黎」
「黎、黎なら、いいの、黎って、呼ぶよ?」
また、微かに首が動いただけだ。
「黎、なんで死にたいの? 死んでなにがあるわけじゃないと思うけど」
「……楽になる」
レイは小さく、答えた。
「何も、考えたくない。独りだ。ずっと、ひとりだ……もう、いやだ…独りは、嫌だ…っ」
消えそうな声だった。レイはずるずると壁に背中を押し付けて床に座り込んだ。膝に目を押し当てて、小さく震える。
「……っき…アキィ……もう、無理…っ」
大人四人は、その小さくなった子供を見た。紅理は無言で瑛を振り返って、顎で示した。
どうにかしろ、というのだ。とりあえずは瑛に懐いている子供だ。瑛はため息を吐きながらレイに近づいて、その前に膝を付いた。
「レイ」
「……っ」
瑛が手を出すとその服をしっかりと掴んだ。それから、首に手を回して、抱きついた。小さな子供の行動だ。母親を求めるような仕草だった。
瑛はその膝をすくって、子供を抱き上げた。瑛にしがみついて泣くレイを抱えたまま、奥の寝室に入っていった。
残された三人は、顔を合わせて、再び机に座った。
「……しかし、驚いた」
高峰が呟くと、お互いに同意する。
「さすがだな、紅理。俺なら殴りつけて終わりそうだ」
「だって単純そうだったじゃない。自分のテリトリーに異質なものが入ってきた、それを拒絶する。まったく子供だわ」
「瑛が苦労しそうだな」
「たまにはいいんじゃない、瑛の生活にも変化があったって」
「同感」
笑っていたところで寝室から瑛が出てきた。
「あれ、あの子は?」
「寝た」
大きく息をついて、瑛は椅子に座る。
「まったく、やっかいごとはごめんだ……」
「じゃぁ、なんで一緒(ここ)にいるんだ」
「そもそも、どうして知り合ったの?」
誤魔化しの効かない三人に見られて、瑛は思わず目を逸らす。
「別に…拾ってくれっつったから、拾ったんだよ」
「犬猫かよ」
「ぴったりね。まさに捨て猫」
「しかしこれで、しばらくは振り回される瑛が見えるわけだ」
「俺が?」
「振り回されてるだろ?」
「すっごい、気にしてるわよねぇ?」
平然としてみても付き合いの長さからか、この連中には勝てなかった。
確かに振り回されている。いままでにない感情が沸き起こる。それを表に出さないようにするので精一杯だ。嫌な弱みを握られてしまった、と瑛は小さくため息を吐いた。















初めの一年は何となく過ぎた。
まだ学校に行っていたし、変わらない世界でも日々同じことの繰り返しでも寝れば次の日が来た。
それからが、どうすればいいのか判らなかった。
世界は動いているけれど、自分は動いていない。
それって、本当に生きてる?
俺は、ちゃんと生きて待っていれている?
変化が欲しくて、生きている実感が欲しくて、自分を傷つけた。
痛みを感じないと、分からなかった。
どうせもう、心は何も感じない。
でも、もう待てないよ、俺。
世界がこんなに時間をかけるなんか、知らなかった。
俺はいつになったら、生きれるのかな。















レイが目を覚ますと、ベッドには一人きりだった。しかし、ドアの向こうから人の気配がする。寝室から出て、リビングに顔をだすと、瑛が新聞を見て煙草を銜えていた。
「起きたのか」
「……」
レイの返事を待つわけではなく、瑛は立ち上がってキッチンに立った。
すぐに、いい匂いが漂う。
目玉焼きとウィンナ、簡単なレタスサラダを置いて、
「座れ」
立ちっぱなしだったレイを呼んだ。その前に料理を出して、食え、という。
「……瑛さんの分は」
「俺は朝食わない」
レイが食べ始めるのを見て、
「レイ」
「……なに」
「昨日のあいつらは、俺の友人だ。また何度もこの部屋に来るし、お前も会うだろう。でも、二度と、あんなことは言うな」
「……俺、出て行かなくていいの」
「そんな必要はない。お前が生きて来た中で、嫌な奴が多かったのかもしれない。でも、俺はお前を傷つけないし、あいつらもお前を傷つけたりしない。それだけ、信用してくれ」
「……ごめんなさい」
「俺に謝らず、紅理に謝れ」
レイは素直に頷いた。
「それから、絶対に、誰とも寝たりするんじゃない。それで稼ごうなんてもっての外だ」
真剣で厳しい目に、レイはまた頷いた。
「なにかしたいことがあるなら俺に言え。できることなら、してやる」
「……別に、なにも」
「今までは? なにしてたんだ」
「……去年、高校を出て、それから、何も」
「高校? 出たって…お前、俺の本読んで、理解してるだろう?」
「うん……ちょっと難しいのもあるけど」
「どこの学校だ」
「英翔」
瑛は目を見開いて、驚いた。全国でもトップの学校だ。偏差値の高さから、そこをでるだけで肩書きに出来る。大学の進学率も百パーセントに近い。
「そこを出て、大学にはいかないのか?」
「行っても、何もない」
「まぁ、やることがなきゃ、行っても仕方ないな、確かに」
「……瑛さんは、大学で、なにしてるの」
「講師だ。専攻は歴史」
レイは持っていたフォークを置いて、驚いた。
「そんなに驚くことか? ……まぁいい、そろそろ俺は出る」
瑛が立ち上がって玄関に行くのを、レイは付いて行った。靴を履いて、ドアを開けたところでレイが呟く。
「……あの、」
「ん?」
振り返った瑛に、レイは戸惑った視線を返した。
「なんだ?」
思いが、声にならない。出てこない。困惑しながらも呟いた。
「……いってらっしゃい」
瑛は驚いて、しかし笑ってしまった。苦笑に近いが久々に笑顔になった。
「行ってくる」
言って、ドアを閉めた。
レイはキッチンに戻って、座り込んだ。
自分に湧き上がる感情が、ある。それを認めてもいいものかどうか、戸惑っているのだ。
自分のためだけに用意された食事を前に、それを見つめて考え込んでしまった。


to be continued...



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