離せない温度  9






感情が止まらない。
理性など、とうにどこかへ消えた。
この気持ちが治まるのなら、片手で納まるほどの細い首を絞めてしまいたい。
身体が震えた。
怒りか? 欲望か?
悲しみか?
欲しいものが手に入らず、癇癪を起こした子供か?
ベッドの上で、卯月が身体を起こしてただ泣き顔を見せていた。
「ご、め、なさ・・・っ」
上擦った声で言われるのは、謝罪だけだ。
どうして謝る?
酷いことをしたのは、大人の自分のほうなのに。
「お前が解らない・・・」
「ナナ、さん・・・っ」
「どうすれば、お前の望むようになるんだ? お前を安心させられるんだ? お前を欲しいと思うだけじゃ、お前には足りないのか? ミチルさえも、捨てるなと言うのか?」
違う、と卯月はただ首を振った。
「俺が、ただ優しい男だとでも思っているのか? ミチルを捨てられない、弱い男だと? 愛してるさ、ミチルを!」
少しの言葉で、一つの言葉で、この気持ちを言い現せられる付き合いなどしていない。
一言で終わらせられるほどの思い出しかないはずもない。
プライドが高く、傷つきやすいミチル。
出来るなら、ずっと側にいて見守っていてやりたかった。
傷つき、涙しても大丈夫だから、と抱きしめてやりたかった。
ミチルの全てを受け入れられるのが、自分だと思っていた。
綺麗で冷たい、冷静なミチル。
それがはにかむように微笑むのは、自分だけだと思っていた。
それがミチルの幸せで、シチロウ自身の幸せだと感じていた。
けれど愛情なんていうものはそれだけでは治まらない。
ただ優しく、穏やかなそれがあることは知っている。
けれど、今シチロウを動かすこれはなんだ?
今まで培ってきた理性など一瞬で吹き飛ばし、相手を傷つけるほどの感情はなんだ?
卯月を傷つけるのはシチロウだ。
卯月を助けてやれるのもシチロウだ。
幸せという檻に閉じ込めて、真綿で押しつぶすようにゆっくりと殺してしまいたい。
それはなんだ?
これが、愛情だというのか?
それを、この少年に受け入れろと言うのだろうか。
押し付けることなら、いくらでも出来る。
ただ、もうこの少年は笑ってくれないだろう。
二度と、シチロウの胸を締め付けるほどの気持ちにさせる笑顔は、見せてくれないだろう。
本当に欲しいのは、それでいい。
ただ、腕の中で笑ってくれれば良い。
それしか、願っていないはずなのに。
実際はこんなにも傷つけ泣かせてしまう。
卯月の気持ちが、シチロウを見ていないと思うだけで。
シチロウと同じように、卯月が自分を欲していないと思うだけで。
「だがもうミチルに欲情しない、抱きたいと思わない、泣いていても慰めてやろうと思えない! ・・・・・お前がいるからだ」
卯月が、居るからだ。
目の前に、卯月がいる。
何もかもから守り、優しくしてやりたい。
傷つき泣く前に、全てから護って抱きしめてやりたい。
傷ついてみたいというのなら、それはシチロウがしてやりたい。
涙するのはシチロウのせいで良い。
笑って見せるのもシチロウのためで良い。
触れて、抱きしめて、キスをして、優しく揺すって、啼かせてやりたい。
拗ねるような可愛さを見せるなら、どこまででも苛めてやりたい。
欲望が尽きない。
どうして、こんなにも想う。
シチロウは自分にこんな感情があるなど、初めて知ったのだ。
「ミチルを助けてやらない俺が酷いか? お前を泣かせる俺が酷いか? だが仕方ないだろう、欲しいものは一つしかない。それが入るなら、俺はどんなに傷つけようともミチルを捨てる。欲しいと、もう思わない」
冷徹だと見える視線で、同じだけの熱を持った目で、卯月を見つめた。
こんな痩せ細った子供を、どうして欲しいと思うのだろう。
シチロウの欲に塗れ、ドロドロになってしまった身体を見て、どうしてまたこんなにも欲しいと思うのだろう。
「俺は大人だ。プラトニックに優しく、身体の付き合いのないものなど出来るはずがない。欲情して、誰よりも欲しくて、誰にも渡したくないこの気持ちが、愛しているなんて言葉ですむなら何度だって言ってやる」
そんなもので、卯月を閉じ込めておけるなら、シチロウは何度でも口に出来る。
他のどんなもので示せば、この子供はシチロウの気持ちを理解するのだろう。
身体を削って見せれば、それで解ると言うならすぐにでも引き裂いて見せるのに。
「・・・っナナさん・・・っ」
溢れる涙を止めれず、ただ流れるままになった卯月が、震える身体で声を絞り出した。
「すき・・・っ、好き、ナナさんが、欲しい・・・っ」
「・・・・一時の感情なら、何も言うな。それ以上言うと、逃がしてやれなくなる」
声を押し殺したようなシチロウに、卯月は首を振って手を伸ばした。
細い腕を、震えながらもシチロウに向けた。
「逃がさないで、いい・・・っ傷ついても、いい・・・っナナさんが、欲しい、ずっと、欲しい・・・っ優しくなくて、いい、だから、だから・・・っ」
泣きすぎて呼吸も苦しそうに、けれど卯月は止まらなくなった感情を向けた。
「どこにも、行かないで・・・っ」
抑えていた気持ちが、弾けたようにシチロウは卯月を引き寄せた。
細い身体を、軋むほど腕に抱きしめる。
「ナナさん・・・っ」
背中に回された手に、シチロウは苦しさを感じた。
隙間のないくらい、抱きしめてしまいたかった。
「い、言って、いいの? 欲しいって、も、いいの? 側にいてって、願ってもいいことなの・・・・?」
「お前の願いなら、なんだって叶えてやる・・・・」
「お、俺の、側にいて、どこにも、行かないで、俺だけ、愛してて、俺だけ、抱いてて・・・っ恋人のとこなんか、帰らないでここにいて・・・・っ」
卯月の感情に触れた。
これは、卯月の本心だ。
剥き出しに泣いている、子供のままの卯月だ。
諦めを知る、大人になってみせる卯月ではない。
幸せを望まない、愛情を欲しがらない卯月ではない。
「どこにも行かない」
行かせやしない。
逃がしもしない。
苦しめると知っていても、もうこの腕を離しはしない。
「愛してるのは、お前だけだ」
誰かを傷つけなければ幸せになれないというのなら、シチロウは誰だって傷つけてみせる。

たとえそれが、ただ壊れゆく儚い人間だったとしても。


to be continued...

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