離せない温度  2






お互いに遊びのはずだった。
ポジションは友人で、それ以上でもそれ以下でもない。
お互いが誰と付き合っていようとも、それに変化はないはずだった。
いつだっただろうか。
シチロウがはっきりと、ミチルの向こうに男の影を感じたのは。
だからどうなんだ?
何がどうなるわけではない。
ただ、気になった。
早く言えば、癇に障った。
ミチルはもともと、付き合っている男のことを口にはしない。
本気で付き合っているのか全て遊びなのかも、知らない。
シチロウ自身も、本気なわけではないのだ。
そのミチルと、深く付き合うようになるまで時間はかからなかった。
口数の少ないミチルから、過去が漂う。
ミチルのその冷たい表情の、意味が知れる。
ミチルは、愛情が欲しいのだ。
暖かい、温もりが欲しいのだ。
それを知って、自分が与えればいいのだ、と気づいたのは出会ってからかなり遅かったかもしれない。
それでも、ミチルはシチロウを受け入れた。
泣きながら、シチロウに手を伸ばしてきた。
「もう、死んでもいい」
冷徹な男などどこにもいない。
目の前で泣き崩れるミチルは、ただ愛しいだけの存在だ。
死なれては困る。
これから、じっくりと愛してやるのだ。
寂しがりやなミチルに、愛情だけを注いでやるのだ。
綺麗なミチル。
可愛いミチル。
お互いに就職し、世間が少し広がっても、シチロウの中にミチル以上に綺麗な人間はいなかった。
仕事は適度に忙しく、やりがいもある。
暇を見つけては、ミチルと抱き合う。
緩やかな、暖かい時間を過ごす。
穏やかな空間。
なんて、幸福の時間だったのだろう。
さしたる諍いもなく、ただ落ち着いた時間だけが過ぎる。
今振り返っても、あの時間は確かに「幸福」だったと言える。
何をしていても、当然にある幸せ。温もり。
そう、まるで家族の中にいるようだった。
シチロウはその名前の通り、七番目の子供だ。
今では珍しいほどの、大家族で育ったのだ。
一番上の兄とはすでに15離れ、末はシチロウのすぐしたに妹がいる。
計八人兄弟だった。
実家は資産家でありながら、父親が会社を経営しかなり裕福な家庭に入る。
その中でどうしてこれほどの兄弟かといえば、両親がただ仲が良いのだ。
母親が大学を卒業するとすぐに結婚し、長子が産まれた。
家族が多いことで諍いがないわけではないが、シチロウは愛情の中で育った。
シチロウがその行動において余裕が見えるのは、大人だからではなく、その育った家庭による愛情のおかげだ。
不自由なく育ち、与えられるだけ与えられた愛情。
不足するものなど、なにもない。
誰かを蔑み、卑屈になる要素がない。
だからシチロウは当たり前のように、愛情を持っていた。
それを、誰かに与えることが出来た。
ミチルを見て、何かがかけているとすぐに気付かなかったのはそのせいであるし、また気付いてから簡単に与えることが出来るのも、そのせいでもある。
ミチルの欲しいものを与えているはずだった。
ミチルを幸せにしているはずだった。
プライドだけが高く、何も欲しくないと言いながらも、独りになると泣き崩れる弱さを持っているミチルを、シチロウは手放せなかった。
ミチルが泣かないのであれば、どんなことでも出来ると思ったのだ。
「好きだよ」
そう一言言うだけで、ミチルは泣きそうになる。
それほどの喜びなのだと、シチロウも知る。
身長は低いわけではない。
けれど、腕に抱けば細く、そのまま力を込めると壊してしまいそうだ。
傷ひとつない綺麗な身体を、慈しむように何度も抱いた。
愛しさが込み上げてくる。
この温もりが良いのだ。
この腕を解くことはない。
腕の中で、喜びに顔を綻ばすミチルを見るのが、シチロウはとても好きだった。
まさか、それを解くことになるとは、まったく予想もしていなかった。
ミチルの涙が嫌いだ。
苦手だ。
ミチルを泣かせたくない。
シチロウに出会うまで、まるで綱渡りをしているような感情を、ギリギリのところで耐えていたミチルを。
漸く、落ち着くように吐息を吐き、その温もりが偽りでも一過性のものでもない、と安心していたミチルを。
泣いているのを慰めるのはシチロウだった。
安堵を与えるのはシチロウだった。
そのはずだったのに。
誰が予想していた?
誰よりも酷い苦痛を与えるのが、そのシチロウ自身だったと。
この、感情はなんだ?
湧き上がる欲はなんだ?
穏やかな愛情?
大人の余裕?
そんなもの、シチロウの中のどこにある?
激情に駆られるほどの、この渇きに似た感情。
何かをそこまでして手に入れたいと思うなんて。
そんなものが、自分にあるなんて。
シチロウ自身も、知らなかった。


to be continued...

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