手のひらの熱 7 女々しいな。 ウヅキはそう思いながら、大きく息を吐き出した。 あの家を出て、安らかな空間を出て、結局辿り着いたのはこの場所だ。 柘植と初めて逢った、桜の木が植えられた花壇に座り込んでいた。 逃げるなら、ここには居ないほうがいいような気がする。 吹っ切るなら、ここでないほうがいいような気がする。 けれど、ウヅキはここへ来てしまったのだ。 来て、どうなる? ウヅキは幼くなどない。 その感情は、子供であるかもしれないけれど、分かっているのに平然としていられるほど大人でもない。 ウヅキは自分の気持ちを理解せざるを得ない。 初めてだった。 いや、こんな感情があるなど、思ってもいなかった。 ウヅキは、柘植が好きらしい。 あの大きな手が。 優しい笑顔が。 蕩けさせる声が。 自分のものになど、なるはずがないのに。 それでも、自分の気持ちを抑えられない。 自分のことであるのに、止めることも出来ない。 情けない。 ウヅキはもう一度、溜息を吐いた。 優しすぎる柘植のセックスに、耐えることが出来なくなった。 自分から誘った手前、もういいと言うことも出来なかった。 ウヅキのみのセックス。 それに、耐えられなくなった。 慈善事業だ。 世の中には、そういいながらも慈悲もなにもないことを平気でする人間がいるというのに。 むしろ、そのほうが多いというのに。 ウヅキは天涯孤独だ。 確かな戸籍をさらっても、ウヅキに身内といえる人間は一人として存在しなかった。 ウヅキの両親がまず、あまり親類を持たない人間だった。けれど、親子三人で幸せだったのだ。 あの時間だけは、幸せで満ちていた。 それが終わったのは、両親が一瞬の事故でその生を終えたときだ。 まだ、五歳だった卯月が連れて行かれた場所は、施設以外になかったのだ。 そこで、ウヅキは中学までを過ごすことになる。 義務教育までは国の保護下で通えるけれど、その先は自分の努力で進学するか就職するか、二つにひとつだ。 だがウヅキはそのどちらも選ばなかった。 卒業したその日。 ウヅキは、その施設を二度と帰らないと決めて逃げ出すように出てきたのだ。 「・・・いやな人間ばっかりだ」 ウヅキはその顔が、痛ましいほど歪んでいることに自分で気付いてはいない。 今でも人目を引くウヅキの容姿は、幼い頃から変わらない。 保護されるべきその子供は、保護すべき人間がいないだけで突き落とされるように地に墜ちる。 性的虐待。 その意味を知ったのは、中学に入ってからだった。 けれどそれまでに幾度も他人からの手でそれを受けてきたせいで、ウヅキはそれを知ったときも、そういう言葉があるんだ、と思った程度だった。 施設の人間の顔は、今でも思い出したくはない。 けれど、ウヅキがこうして独りで生きていけるのは、その人間が卯月に散々なことをしたせいだ。 教えたせいだ。 ウヅキの顔が、男を呼ぶのだと、教えたせいだ。 まだ男女の違いも分からない幼いころから執拗な視線に絡めて取られ、実際に肌に触れられて恐怖に怯えても、ウヅキを助けるものなど一人もいなかった。 ウヅキは、独りなのだ。 ウヅキに愛情だけを注いでいた両親がいなくなった瞬間に、ウヅキは独りになったのだ。 今は、なんてことないと言ってしまえるけれど、初めて犯された日のことは思うだけで本当は怖い。 中学生になったばかりで平均よりも細く、小さなウヅキを犯したのは施設の人間だ。 大人だと思っていた。 今思えば、それほど年もいっていなかったのかもしれない。 けれど、子供だったウヅキから見ればその体格も力も、大人の男のものだったのだ。 抵抗もままならないウヅキを、その暴力を持って三人で輪された。 たかがセックスだ。 眉間に皺をきつく入れて、そう思う。 なんてこともない。 今と変わらない。 欲望を吐き出されるのをただ耐えれば、いつかは終わる。 暴力と同じだ。 精を吐き出せば終わる。 ウヅキは座り込んだ身体を抱きしめるように、ぎゅうっと小さくなった。 まるで、その暴力に今耐えているように。身体の奥が震えるのを、そのままじっと耐えた。 やがて、その波が去ると大きく息を吐き出す。 もう、気にしないと思っていたのに。 どうして思い出させるんだろう。 ウヅキはそれも分かっていた。 優しいセックスを、知ったからだ。 甘く蕩ける熱を、知ってしまったからだ。 あれが、ただ暴力だったと、言い切れるからだ。 ウヅキは今でも、輪されることが怖い。 あの、次の人間がいる、と思う恐怖を思い出すからだろうか。 終わらないのだ。 いつまでも、耐えても次がいる。 ウヅキは耐えるだけの正気を保つ神経が、徐々に磨り減るのを感じたのだ。 ウヅキはこの場所でじっとしながら、もう少しいてみよう、と座りなおした。 周囲を見れば、会社の終わる時間なのか大人という大人が増えている。 柘植に逢ったのは、もう少し遅い時間だった。 だから。 もう少しだけ、ここに居てみよう。 居たところでなにがあるわけでもないのに。 ウヅキは皮肉な笑みを浮かべて、顔を歪めた。 自分で、あの家を出たのに。 自分から、柘植の手を振り切ったのに。 どうしてここに居るんだ? やっぱり、女々しい。 ウヅキはどうしようもないのに、と溜息を吐いた。 その時だった。 「・・・なぁ、きみ、この間までここに座ってた?」 俯いたウヅキの頭上で、声がした。ウヅキのその視界に見えるのは、男物の靴。 顔を上げると、どこか凡庸とした男の顔がそこにあった。 「今日はどこにも・・・行かないの?」 その言葉が。 男のその顔が。 ウヅキに何を求めているかなど、分からないはずもない。 ウヅキは落胆する自分に気付いた。 気付いて、驚いた。 どうして落ち込む? これが、日常だ。 ウヅキの生活だ。 こうして、ウヅキは生きるのだ。 変えることなど、出来るはずもない。 ウヅキはその男を見上げて、 「・・・おにーさん、おなか、空かない?」 それが合図だった。 さっそくウヅキを立たせて食事に行こう、とする男の手を取ろうとした瞬間、身体が後ろへ引っ張られた。 「・・・・っ?!」 手を取ろうとした男も驚いたけれど、引っ張られたウヅキも驚いた。 後ろから聞こえたのは、低い声。 「俺の連れをどこへ連れて行く」 間違えることも出来ないほど、耳に残る声。 ウヅキの腕を掴んだ手から、全身が焼けるほどの熱を感じた。 憮然とした顔の、柘植がそこに居た。 |
to be continued...