手のひらの熱  4






ご飯をちゃんと食べること。
家に帰って眠ること。
男に抱かれに行かないこと。
これが、柘植の家で生活する上での決まりごとだった。
柘植はそれだけ決めてしまうと、後はなにをしてもいい、と言った。
欲しいものがあるなら、お小遣いをくれるそうだ。
食べたいものがあるなら、作ってくれるそうだ。
けれど、柘植はウヅキを抱かない。
優しい手のひらで、優しく頭を撫でて、優しく微笑んでくれる。
それで、終わりだった。
それ以上のことは、何もない。
抱かないのか、と訊くと、
「子供に手を出すほど餓えてない」
と笑われた。
柘植は本当に、ウヅキを男娼だと思わなかったのだ。
行く当てのない、子供の世話をしたと、それだけだ。
慈善なのだろうか?
それが出来るのが、大人の男なのだろうか?
まさか、そんなはずはない。
どんな人間でも、性欲には勝てない。
どんなに紳士でも、ベッドの上では似たような獣だ。
考えてみれば、柘植には恋人がいた。
しかも、男だ。
「・・・俺なんか置いてさ、その人に、なんか言われたりしない?」
恋人は男。
その家に子供とはいえ、男が一緒に暮らすというのは、どうなのだろう。
柘植はしかし、なんでもないように笑って、
「話したら分かってくれるから、大丈夫」
そういうものなのだろうか。
鞄に入れていた数枚の着替え。
それらを全部洗濯機に入れられて、着るものがない、と言えば柘植は自分のものではないシャツを取り出してきた。
どう見ても、柘植のサイズではない。
ウヅキには少し大きいけれど、柘植にはこれは着られないだろう。
誰の?
考えなくても分かる。
その、恋人のものだ。
ウヅキは頭を切り変えた。
そんなに、難しく考えることでもない。
大人の気まぐれだと思えばいい。
ウヅキを飼って、世話をして、優越感にでも浸っているのだ。
とりあえず、眠るところと食事。
それに支障がなく探して外を彷徨わなくていいというのなら、大人しく従っておくことにした。
生きていくには、どんなことにだってぶつかる。
いつまでかは分からないけれど、今日と明日くらいはウヅキは身体を売らなくても寝られる。食べられる。
それだけで、満足することにした。
もし、柘植が手を出してきたなら。
そのときは、そのときだ。
世話になった分、サービスしてやればいい。
その日から、ウヅキは柘植の家に居つくようになったのだ。
朝、会社へ向かう柘植を見送って、一日家で転がる。
家の中に居て、罵られも手をあげられもしない。
ここは、求めていた楽園だろうか?
ウヅキは静かな部屋の中で、諦めた笑みを浮かべた。
馬鹿な。
ここは、ただの仮宿だ。
いつか、出てゆくことになる。
それまで、羽を伸ばさせてもらえばいい。
セックスしないで眠れるなんて、幸せなことだから。
日曜日、柘植は夕方から出かけた。
「どこいくの?」
「いや・・・ちょっと」
珍しく言葉を濁されて、ウヅキはなんとなく分かってしまった。
恋人の所へ行くのだ。
柘植は忙しい。
ウヅキが聞いても理解できない会社でよく分からない仕事に追われている。
平日も残業しているけれど、遅くなりすぎない時間に帰って、ウヅキと夕食を食べる。
朝はソファに丸まるように眠るウヅキを起こし、一緒に食べる。
空いている時間は二人でソファに座り、柘植はウヅキの分からない本を読みその隣でウヅキはテレビに視線を注ぐ。
時折、笑いながら会話を交わす。
そんなことをしているから、ウヅキもすっかり忘れていた。
柘植には、恋人がいたのだ。
男の、恋人だ。
ウヅキをかまっている暇など本当はないはずだ。
「遅くはならないから、でも、眠たかったら先に寝ていていいぞ?」
恋人のところへ行くというのに、柘植は泊まらず帰ってくると言う。
ウヅキは少し不思議に思って、
「・・・あのさ、別に俺は気にしなくてもいいけど? ゆっくりしてくれば? 勝手にさせてもらうからさ」
「・・・帰るから、ちゃんと」
そう言った柘植は、どこか苦しそうだった。
それ、どういう顔?
ウヅキが問う前に柘植は家を出て行った。
また一人になって、ウヅキは定位置になった自分のベッドとなっているソファに座り込んだ。
なんだか、胸がもやもやとしている。
落ち着かない。
これって、なに?
俺、どうしたんだろう。
病気かな・・・風邪でも引いたかな。
柘植が用意していった夕食がテーブルの上に並んでいた。
ラップをかけてあるけれど、まだ温かそうだ。
この家で、一人でご飯を食べるのは初めてだった。
明日のことも気にせずに、ご飯が食べられるというのに。
空腹を感じず、満たされるというのに。
ウヅキはそのテーブルにつけない。
独りで、その席に座れない。
いままでのことを考えれば、ウヅキはかなり厚かましいはずだ。
今更、遠慮をすることもないはずだ。
なのに、美味しそうな食事が食べられない。
どうして?
お腹が空いているのに。
こんなにも、喉が渇いているのに。
飢餓感は止むことなくウヅキを襲い、しかしウヅキは何も口にできないでいた。
どうして、こんなに欲が出る?
欲しい。
何かが、欲しい。
ウヅキは食事の並んだテーブルを見つめながら、暫くセックスをしていないことを思い出した。


to be continued...

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