手のひらの熱 1 最近その桜の木の植え込みは、ウヅキの場所だった。 そこへ座って、ウヅキは世の中を覗いている。 お腹空いたな。 ウヅキは変化もない世界にただ自分の身体を思っただけだった。 怪しくなれば、移動する。 それまでは、ウヅキは同じ位置にいる。そのほうが声をかけられやすいともう知っていた。 世間は平日の夜。 行き交う場所はオフィス街。 すでに日は沈んでいるけれど街灯や会社の灯りで周囲はよく見渡せる。 会社から駅へと向かう大人が流れていくのを、ウヅキはじっと見続けた。 できれば、若い方がいい。 けれど、若すぎるのは厭だ。 すでに中年を超えた男の性欲というのは、キリがない。 射精をするわけでもなく、たたひたすら身体を弄られることは終わりが見えなくて辛い。 反対に若すぎると、制限がない。 思い付くままにいろんなことをされて、身体が付いていかない。 けれど、食欲を満たしてくれるのは年がいったほうがいい。 ウヅキはいつもの思考をめぐらせて、諦めた冷笑を吐いた。 つまり、誰だって同じだ。 一晩の寝床と、この空腹を満たしてくれる食事。 それがあるなら、ウヅキが文句を言える立場ではない。 それでも、出来ればホテルに行きたい。 昨日のような、路地裏のフェンスに押し付けられることだけは嫌だ。 身体は痛いし、汚い。 小さめの鞄の中には、何着かの衣類。 たまに貰えるお金でそれを洗い着まわす。 しかし服は洗えても、身体は洗えない。 昨日の客は上客なのか、最悪なのか区別が付けられないのはベッドと食事の代わりをお金で貰ったからだ。 ただ外ですることに、もえる男だったのかもしれない。 おかげで暫く懐が暖かい。 使えば何もしないで、空腹と睡眠が取れるだろうけれど、出来るなら簡単に使ってしまいたくはない。 今は夏が近い。 だから外で一晩いても平気だけれど、季節が変われば必然的に冬が来る。 あの凍えるような中で、雨風を凌ぐだけの廃墟ビルの隅に丸まって寝るのはもう嫌だ。 そのために、出来るだけ使いたくはない。 ウヅキはそう考えて、流れる人を見ながらふと気付く。 冬? また今年の冬も、ウヅキは同じように生きているのだろうか。 その前に、もう諦めて生きるのを止めてはいないだろうか。 変わらない未来に、生き続ける理由はなんだ。 「・・・なにを、しているんだ?」 かけられた声に、ウヅキは顔を上げた。 今日の客だ。 そこに立って、しゃがみこんだウヅキを見ていたのはサラリーマン。 制服のようなスーツが大きな体格によく似合っている。持っているものは書類鞄だけだ。 街灯からの灯りで顔を見れば、どうしてウヅキなんかに声をかけるんだ、と思うほど整った顔立ちだった。 ウヅキが少し驚いてすぐに声を返せなかったのは、その男の声が本当に不思議に思っているようだ、と聴こえたからだ。 「気分でも悪いのか?」 座り込んだままのウヅキに、相手は目線を同じにするように足を折った。 数日同じ場所に居れば、ウヅキがどういう意味でそこに居るのかを大人は理解する。 そして、そのうちの誰かが連れて行ってくれる。 最近ここに座り続けて、ウヅキはこんなにいい男がいただろうか、と首を傾げた。 「おい? 聴こえてるか?」 返事をしない卯月に、男は顔を覗き込んでくる。 まさか、本当にウヅキを心配して見せているわけではないだろう。 このまま他の人間と同じように、連れて行ってくれるだけだ。 ウヅキはもうすでに慣れて、張り付いたような笑顔を見せた。 「聴こえてるよ、おにーさん、俺、お腹空いてるんだけど」 「腹? どうして・・・家は? 帰らないのか?」 「・・・・家?」 「金は? 持ってなくて、ここで力尽きたのか? どこから来たんだ?」 「・・・・は?」 まるで送って行こうと言い出さんばかりの相手に、ウヅキははっきりと顔を顰めた。 「家なんかないよ」 「どうして」 「・・・・どう、してって・・・ないもんはないよ・・・」 会話がかみ合っていないことに、ウヅキは気付いた。 もしかして、本当に行き倒れているとでも思ったのだろうか。 まさか。 「家出じゃないよな・・・なんでここで座ってるんだ?」 「・・・座ってたら、誰かが声かけてくれるから」 「なんでそんなもの待ってる? 腹が減ってるなら・・・」 「おにーさん」 「ん?」 ウヅキは整った顔を不思議そうに傾げた男の言葉を遮り、変な男、と思いながら笑顔を作った。 「おにーさんが、なんか食べさせてくれればいいんだけど?」 男は少し驚いて、それから道の向こう、会社の並ぶほうを見た。それからまたウヅキに戻り、 「そうか、・・・まぁ、いいか」 一人で頷き、ウヅキに手を伸ばして立ち上がった。 「じゃ、行こう」 「・・・・・うん」 その反応と行動にどこか不自然さと自然さが混ざり、ウヅキは落ち着きないものを感じながらもその手を取った。 「何が食べたい?」 聞かれて、人の疎らになった歩道を並んで歩く。 横に立つと、男がかなり高いと気付いた。 ウヅキは細い。 こんな生活をしているのだから当然かもしれないが、身長が伸びないのもそのせいかもしれない、と男を見上げた。 ウヅキはその男の、胸の辺りまでしかなかった。 「・・・・何でもいいよ」 「腹減ってるなら、なんかガツン、と食べたいよな・・・んー、中華にするか」 その選択は、自然のような言葉だった。 それに、ウヅキは驚いた。 さっき、知り合ったばかりなんだけど? けれどその声は、それまでもずっと一緒だったかのように。 長い間側に居たかのように。 温度を感じる声だった。 それが、柘植との出会いだった。 |
to be continued...