不器用に交叉するだけで  11






初めてだった。
初めて、偶然に出会ったのが今だなんて。
レキフミはその偶然に感謝した。
柘植は一人ではなかった。
幼いと思うほどの少年を、側に連れて笑っていた。
この笑顔は、見たことがある。あのカフェで、ミチルを前にいつもしていたのだから。
レキフミは雑踏の中に紛れる男に、すぐに足を向けた。
「・・・柘植、さん?」
その行く手を塞ぐように、身体を現した。視線の高さは同じくらいだ。
すぐ前で、同じ位置で柘植の目が驚いて固まる。
その顔に少し満足を覚えたレキフミは、柘植の隣へと視線を移した。
近くで見ても、少年にしか見えない。
背は丁度柘植の胸の辺りまでしかなく、手足も細い。
顔は大きな目が印象的で今はそれが零れ落ちるのではないかと思うほど、見開かれていた。
レキフミも、少なからず驚いた。
知っている相手だったからだ。
「・・・・まさか」
レキフミは堪えきれなくなって、笑ってしまった。
突然笑い出したレキフミを訝しんだのは、柘植だ。
「えっと、確か・・・木村くん、だったよな?」
何度もカフェで顔を合わせているのだ。名前は覚えていたようだ。
けれど、レキフミは込み上げる笑みが耐えられない。
「まさか、まったく・・・こいつだとはね」
「なに?」
笑いながら呟いた言葉に、柘植が眉を顰める。
レキフミが誰を指して言っているのかは、解かったようだ。
柘植の隣で、その少年が身体を固めているのだ。
レキフミは漸く納まった感情を押し、顔には冷笑に変えた。
「男娼も知らなかったミチルさんを捨てて、選んだのがこれですか」
「・・・・っ!」
男娼だ。
柘植の隣で、まだ幼く笑っていた少年は、身体を売って生きているのだ。
バイトとしているのではない。
この少年は家はない。
寝るところをくれる相手。腹を満たしてくれる相手。
それだけを求めて、この少年は日々生きているのだ。
「本当に、柘植さんは俺を笑わせてくれる」
「お前・・・っ」
男娼の名前は卯月。
まだ、本当に少年ほどの年齢のはずだ。
育った状況が複雑で、今は家はなく転々と男を渡り歩き生きる。
レキフミの知るのはそれくらいだ。
嘲笑ったのが解かったのか、表情を変えた柘植にレキフミは笑みを変えずに見つめ返した。
「柘植さん、俺、貴方にお願いがあるんですよ」
「・・・・なに?」
「ミチルさんを、早く振ってもらえませんか」
「・・・・・・え」
「揺れて動くミチルさんも良いんですけど、貴方がいつまでも繋いでいると、ミチルさんは堕ちてくれないんですよ」
完全に堕ちてしまえば良い。
柘植にはっきりと言われて、振られてしまえば良い。
本当に独りきりになって、闇で埋め尽くしてしまいたい。
柘植がいるかぎり、ミチルはどこかで光を掴んでいるだろう。
その手を、振り解いて欲しいのだ。
「君が、ミチルを―――?」
驚いた顔の柘植に、レキフミはもう仮面など付けないまま薄く嗤って、
「柘植さんには、もう関係ないですよね?」
隣でレキフミに怯えたような卯月に視線を移し、
「どんな人間だろうと、柘植さん、ミチルさんはもう捨てるんでしょう?」
卯月は男娼だ。
それを、柘植が知らないはずはないだろう。
レキフミの言葉に、卯月が揺れる。隣に立つ柘植がそれに気付かないはずはない。
柘植の手が、卯月に伸びた。
きっと、今までミチルを安心させるように包んでいただろう大きな手が、卯月を抱きしめる。
「ミチルには、ちゃんと言うよ。俺が今、一緒にいたいのは卯月だ。卯月の過去なんて関係なく、卯月を選ぶ」
柘植の正解など、レキフミには関係はない。
柘植が誰を選ぼうとどうだって良いのだ。
柘植が、ミチルを離すことだけが事実なら、それ以外はどうだって良い。
レキフミは嗤って、
「なら、早くミチルさんを振ってしまってください」
「木村くん、君は・・・」
柘植の表情が、戸惑ったようになりその言葉が躊躇っている。
レキフミはそんな柘植の言葉すらどうだって良く、
「貴方が、ミチルさんを手放すのなら、誰を選んだって俺は構わないんですよ、たとえそれが男娼だったとしても」
「木村!」
レキフミの言葉を、柘植の強い声が遮った。
しかし、レキフミは自分の言葉を取り消すつもりなどは、ない。
男娼は、男娼だ。
身体を売るならそれ以外の言葉などない。
「君は、卯月を」
少し躊躇った柘植に、レキフミははっきり答えた。
「抱いてませんよ。俺はすでに汚れた人間には興味はない」
卯月と知り合ったとき、レキフミはまったく卯月には興味が湧かなかった。
ただ、一度だけでも寝てみようとも思わなかったのだ。
だから隣へと回した。
丁度、友人が一度男を抱いてみたいと言ったときだったからだ。
友人がどんなふうに卯月を扱ったかすら、聞いてもいない。
初心者には、男娼は丁度いいだろう、と思ったくらいなのだ。
「卯月は汚れていない」
きっぱりと、言い返してきた柘植の視線は強い。
この強さに、ミチルは護られてきたのだろうか。
レキフミはどこか、奥でチリリと湧き上がる感情に気付きながらも、それが何かはつき止めないことにした。
ただ、どうでもいいような笑みを浮かべたままで、
「どうだっていいんですよ、卯月なんて。貴方がそれをどう扱おうとも、俺には関係ないんですから」
「関係ないな、君には。ミチルのことだって、関係はないはずだ」
関係ない?
俺が?
卯月をレキフミの視線からも庇うような柘植に、レキフミはちらりと覗いた感情が溢れたような気がした。
そうやって、ミチルを護っていたのか。
愛情だけで、ミチルを繋いでいたのか。
大きな腕に抱かれて、安心を植えつけていたのか。
優しい声で、安らぎを与えていたのか。
そんなもの、俺にはない。
「ミチルさんを振る柘植さんにも、関係ないことでしょう。捨てた男がどうなるのかなんて、気にすることじゃない。貴方が選んだのは、そこの男娼だ」
「卯月は男娼じゃない」
「男娼でしょう。身体を売るのなら、娼婦に違いはありません」
「君は・・・どうして卯月を傷つける」
「傷つけるつもりなんかないですよ。ただ、事実です」
「例え過去がそうであっても、今は違う。訂正してくれ」
「厭ですよ。俺は俺が思ったことしか、言いません」
卯月は男娼だ。
レキフミの中では、それ以上でも以下でもない。
「それで、誰かが傷ついてもか」
「誰が傷つこうとも、俺には関係ないですよ。それに、その言葉は貴方が言うことではない」
「君が卯月を傷つけるなら、俺が護る。俺は卯月を傷つけるものを、許さない」
頭が沸騰するようだ。
抑えられないこれは、なんだ?
レキフミを睨みつけるこの男の、強い視線は、なんだ?
カップを掴み割ったような、一瞬で沸騰するような憤怒。
全身を襲うのは、それだ。
「じゃあどうしてあの人を泣かせるんだ」
全て自分であるべきだ。
泣かせることも
壊すことも
笑わせることも
他の誰かで成って欲しくなどない。
悲しみを与えるのも
絶望を与えるのも
幸せを与えることですら。
ミチルの全ては自分のものだ。
ミチルの全てを支配してしまいたい。


to be continued...

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