夢じゃない 2
砕はみずきの後を追って、林の中に入る。 ひんやりとした空気に包まれて、夕方のきつい西日の時間だというのに涼しくて過ごしやすい。 鬱蒼と茂る木の周りには自然のままに伸びている草に覆われ、すぐに友人たちのいる川原からは見えなくなった。 独りで先を進むみずきの背中を追いながら、このままだと帰れなくなりそうだと不安になる。 それでも、みずきと一緒だ。 いや、それだけでいい。 世界に彼一人いれば、自分は生きていける。 それが解っているから、迷うことなく後を追った。 完全に喧騒から切り離され、友人たちの笑い声も、川のせせらぎも、なんとも言えない森の空気に包まれる。 みずきはその森の声を聞いて、初めて立ち止まった。 上を見上げ、目を細める。 この静けさを懐かしいと思ったのだ。 それは自分の中の昔の記憶だ。 はっきりと分かるわけではないけれど、身体が、本能が覚えている。 「・・・どうしたの?」 追いついた砕はそのみずきを不思議そうに見ていた。 まだ、怒っていた。 言い表せようもない怒りが、みずきの中にあった。 口を開くのも億劫で視線だけ砕に向けた。 それを受けて砕は俯く。 怒らせたのは自分なのだから、謝らなければと思うのだが上手く言葉にならない。 自分の中にある不安が、ますます砕を困惑させる。 「・・・あの、」 「なんだよ」 黙っていても仕方ないので、みずきは口を開いた。 「・・・・ごめんなさい」 「悪いと思って謝ってんのか、それとも常套句だから口にしているだけか」 後者を肯定するように、砕は口を噤んだ。 「言え、はっきりと。何を考えてる?!」 自分の心を隠すな、と言う。 何もかも知りたいけれど、心を勝手に探るのはいやだ。 みずきはみずきの心に偽りなく行動しているつもりだし、もしクラス中に、いや学校中にばれたって変わるつもりはない。 己の覚悟はこの生涯を終えるまで決めているのだ。 その価値があると、この目の前の生き物に、それだけの価値があると思ったからこそそうしたのだ。 「・・・俺、女じゃないし」 「・・・また、その話か」 「だって、仕方ないじゃないか、事実だもん」 「じゃ、どうすれば気が済む? みんなの前でお前を最優先しろって? お前だけに手を差し伸べていればいいのか? お姫様のように傅いて欲しいのか?!」 「違うよ! そんなこと、してほしくない!」 必死に我慢しているが、砕のその目が潤んでいる。 「・・・っいつか、みずきが、誰かほかの人を抱いても、・・・覚悟できるように、」 「なんの覚悟だ」 「・・・・っ」 瞬きをすると、涙が頬を伝う。 みずきは勢い良く砕の両腕を掴んで引き寄せた。 強引に唇を重ねて、驚いて目を開けた砕を間近で睨みつける。 「・・・俺がそんなに信用ないのかよ」 目が動揺している。 肯定しているようなものだ。 信用したくないわけではない。 みずきは吐き捨てるように言った。 「俺はお前以外抱けねぇよ・・・事実、お前と逢ってから、誰も抱いてない」 砕は今度ははっきりと答えた。 「うそだ」 「うそじゃない」 みずきを潤みながらもしっかりと睨んで、 「・・・前に、校門まで送ってくれたあの人は、」 「送ってくれただけだ・・・あの人んちに泊まったからな」 「ほら!」 「でも何もしてない」 「そんなの・・・みずきはしなくても、あの人がほっとかないよ!」 「出来なかったんだよ」 少し、気まずそうにみずきは口を開いた。 「・・・やろうと思ったし、確かにいい女で、なにも障害はなかった、でもな・・・」 みずきはじっと砕を見つめた。 この目だ。 可愛らしい外見を裏切る、強い意志を持った瞳。 それが自分を捕らえて離さない。 「出来なかった。圧し掛かったところで、あの人がお前に見えた。お前しか見えなかった」 みずきは自嘲気味の笑みを零した。 「・・・できるはずねぇだろ」 砕はその告白を訊いて、身体の何もかもが止まった。 みずきがその額を砕の肩に乗せ、ため息を吐く。 「今でも、押し倒したいのを堪えてんだぜ・・・」 砕は視界が潤むのを感じた。 ゆっくり動いた手が、みずきのシャツを掴む。 握り締めて、離さない。 「・・・俺、みずきが好きだよ・・・」 呟いた砕を見て、みずきは苦笑する。 「・・・お前、最悪に可愛いな」 ゆっくり、顔を寄せた。 しっとりとした唇が離れると、砕は改めて言った。 「・・・俺、本当に男なんだよ・・・?」 「知ってるよ、この間、触っただろ」 「・・・・!」 砕はその事実を思い出して、身体中の体温が上がった。 みずきはその長い髪をかき上げて染まった頬に、耳にキスを繰り返して、しっかりと砕を抱き寄せた。 手が、自分より薄い胸板を弄る。 「っ、みず・・・っ」 「お前が敏感なのも、知ってる。これだけで・・・・・なのも」 その耳に、微かな声で囁かれて、砕は思わず相手を押し返した。 完全にからかっている声だったし、事実その顔は笑っている。 真っ赤な顔で睨み返して、 「・・・こんなとこで、しないよ!!」 身体を離した。 みずきは一人で楽しそうに笑って、来た道に足を動かした。 「帰るぞ。飯がなくなる」 「・・・・もう、」 砕は悔しいやら嬉しいやらで複雑に込み上げてくる怒りを抑えて、みずきを睨み付けた。 「砕」 みずきが振り返り、手を伸ばす。 それをしばらく睨み返したまま動かなかったが、みずきも砕を見て動かないのを知って、足を踏み出しその手を取った。 「・・・・みずきは意地悪だ」 「今頃気付いたのか、女には優しいさ」 「女の子みたいに優しくして欲しいわけじゃないよ・・・」 みずきに引かれて、後ろをついて歩いていた砕は、不意に肩を掴まれて抱き寄せられた。 耳元に囁かれる。 「俺は、可愛がってやりたい、ベッドの中で特に」 目を見開いて、今聴いた声に硬直して、しかし真っ赤になって何もいえないでいる砕に、みずきは堪らなくなったように吹き出した。 「・・・っもう、最低!」 怒りを態度で表して、みずきから離れ先に歩いた砕は、背中で笑い声を聞く。 それが心地よく聴こえてしまう自分に腹が立つ。 嬉しくて仕方なくて、にやけてしまう顔を隠すのに、砕は暫く怒ったままでいよう、と決めた。 |
to be continued...