その世界の中で 5
人気のないところを探して、二人は屋上に上がった。 校内はどこにいても目立つ。 みずき一人でさえ視線を集めるのにそのうえグレイがいては見てくれと言っているようなものだ。 ここまでくれば、さすがに誰も追ってもこようとはしない。 ようやく涼しさを含めた風を受けながら、グレイは口を開いた。 「お前、本当に覚えていないのか・・・?」 みずきは視線を受けて、溜息を吐いた。 「何をだよ。覚えてなきゃいけないことがあったか?」 「あるとも! 俺はあの人生を鮮明に覚えているぞ」 「だからなんだって言うんだ?」 みずきの声は呆れ返っていた。 「今が前のことになんの関係がある? 俺は今の自分になんの不満もないし、充分満足している。前は前、実際前世なんて覚えているほうがおかしいんだぜ?」 今度はグレイが大きく溜息を吐く。 「・・・お前は変わってなんかいない。まったく、カイエンという魂は、おまえ自身なんだろうよ」 その目に、みずきは少し驚いた。 今まではっきりとした敵意を見せていた視線に懐かしさの笑みが混ざる。 しかしそれはすぐに引き締められた。 「前は前、そう言い切れるのはお前だからかもしれない・・・俺はずっと、生まれ変わってからも、引きずっている」 視線がみずきから外れて、みずきは自然とそれを追った。 「・・・何を?」 思わず、訊いた。 もちろん砕のことを諦められないことかもしれなかったが、それだけではない暗い陰りが、グレイにはあった。 「俺は貴族の坊ちゃんだった」 グレイはなんの脈略もなく、話し始めた。 「剣が使えようと、権力を持っていようと、所詮甘い貴族の人間だったのさ」 「・・・・・?」 「お前を殺したのは、俺の一族だ」 その言葉に、さすがにみずきは驚いた。 かまわず、グレイは続ける。 「俺のことを思って・・・まぁ、結局は自分たちのためだろうが、暗殺者に依頼して、その毒矢にかかってお前はあっさり死んだよ」 深い碧の視線をみずきはじっと見つめた。 「その後の皇女の嘆きと絶望には、国中が迷惑を被ったぞ」 「・・・・国中?」 「お前、本気で何も覚えてないんだな」 「だからそう言ってる」 呆れた視線にもみずきは悪びれない。 「皇女は巫女だ。国の象徴とも言える力の持ち主で・・・そうだな、今で言う超能力みたいな力を持っていた・・・今は、ないのか?」 「知らねぇよ、そんなこと・・・」 「とにかく、いつもは喜びと幸せを願っていた皇女が、誰も止められず絶望を撒き散らしたんだ。あのときは、自殺者も最高率だったな・・・」 みずきは眉を寄せて、 「それは・・・かなり迷惑なんじゃないか?」 「当然だ。しかし皇女に何かを言えるものなんかいない。国王でさえ、だ。お前を殺した奴らも焦っただろうさ。ここまで被害がでるとは考えなかったんだろうな・・・なにせ、それがもとであの王国は滅んだんだ」 あっさりと言ったグレイに、みずきは驚いた。 前世を気にしていて、執着しているものの台詞とは思えないほど、あっさりしていたのだ。 「お前はそれで・・・俺を恨んでいるのか?」 みずきは躊躇って口にしたつもりだが、グレイはあっさりと否定した。 「いいや? あれで滅ぶのならその程度のものだったんだろう」 「・・・じゃぁ、なんでお前はそんなに怒ってんだよ?」 もちろん、それは恋敵であるからに違いないが、しかしそれ以外の何かが、あった。 グレイはそれを隠すつもりはないらしい。 はっきりと言い切った。 「お前の間抜けさ加減にだ! だいたい、魔剣士ともあろうお前が! 傭兵として一流だと売っていた男があんな矢一本にやられるとはどうゆうことだ! そもそもお前が油断しなければそんなことにはならなかったのだ!」 捲くし立てられたみずきは思わず怯む。 そして、笑ってしまった。 完全にではないが、思い出した。 いや、覚えているといったほうが正しい感覚だ。 恋敵であろうとみずきは、カイエンはこの男が嫌いではなかった。 その言葉や行動には偽りがない。 信用のおける相手だったのだ。 「何を笑っている!」 「いや・・・悪い、あの時は、仕方なかったんだ。咄嗟だったしな」 「思い出したのか?」 「いや・・・なんとなく、そう思っただけだ」 グレイは苛つくのを落ち着かせるように溜息を吐いた。 みずきはそれを見て苦笑しながら、 「でも俺は・・・お前たちのように覚えていないのは、覚えていなくなかったからだと思う」 疑問を視線で受けて、みずきはその目から逃れるように背中を向けた。 「人でありたい。ただの、なんの力もない人間でありたいと、そう願っていた気がする」 みずきは前世を覚えていない。 思い出したくない過去が、在りすぎるからだ。 何も知らない人間であることに、なんの罪もない。 ありようがない。 そして、それを咎められもしないのなら、そうありたいと切に願っていた。 グレイはその背中を暫く沈黙で追って、ぶっきらぼうに口を開いた。 「・・・単純だな。誰もが、お前ほどに単純に出来ていればいいがな」 思い出したくないから忘れる。 その生がいきなり終わろうと、確かにそこに人生はあったのだ。 それがどんなものだったのかは当人しか分からない。 口に出して聞いたところで心から理解しあえるものでもないのだ。 グレイはそれからトーンを変えて、 「しかしな、前は前、今は今だ。確かにな。俺は砕を諦めるつもりはないぞ」 みずきは顰めた顔で振り向いた。 「・・・俺に言ってどうする、砕が決めることだろうに」 「余裕ぶっていられるのも今のうちだ。せいぜい覚悟しとけよ」 グレイは言い捨てて、その砕のいる校内に足早に戻って行った。 独り残されたみずきは、その見えなくなった背中に呟いた。 「余裕なんかねぇっつうの・・・・」 みずきは余裕などなかった。 一見冷静に見えるのは、昔姉に鍛えられたポーカーフェイスのおかげだ。 事実、砕の横に自分以外の人間がいると落ち着かないし、苛々とする。 それでも爆発しないでいられるのは、砕の想いに偽りがないからだ。 みずきを見る際に、零れるような笑みをする。 自分に絶大な安心と想いを寄せられているのがはっきりと判るからだ。 それだけで、冷静でいられる。 しかし、ここ数日グレイがいるだけでますます落ち着きがなくなった。 神経が澄んでいる。研ぎ澄まされている。 何もかもに反応してしまう。 小さな物音にさえ敏感に反応し、周囲に見えなくても気配で物事が分かる。 いらつきは日に日に増し、誰が見ても不機嫌だった。 全身が目のようなものだ。 気配があるたび、そちらが気になる。 何でもないことなのに、はっきりと目で確認したくなる。 気にしないで今までのように振舞おうとしても、このいきなりの自分の変化に戸惑って、冷静になる余裕がなかった。 これでは誰が見ても近づきたくはなくなる。 もしみずきでなく、カイエンであったなら、落ち着いていられたかもしれない。 が、みずきは前世がどうであろうとそんなことは何も覚えていない人間なのだ。 この不安は誰にも拭いようがない。 「みずき・・・どうしたの?」 それを砕が心配しないはずはない。 誰もが声をかけられない中、砕は違う。 気にしないで居られるはずもないのだ。 「・・・・なんでもない」 目も合わさず、低く答える。 「・・・・みずき?」 「ほっといてくれ」 それを振り切るように、みずきは自分の席に座り込んで机に顔を伏せた。 左腕に額を乗せて、目を瞑る。 しかしその左手の拳は、震えるほど握り締められていた。 頭を掻き毟りたくなる。 見えてなどいないのに、教室に教師がくる気配がする。 事実入ってきて、授業を始める、と教科書を開きノートを開く。 その全員の動作が、解る。 教室の隅で眠そうに欠伸をかみ殺しているのが解る。 教壇に立つ教師の目を盗んで携帯をつついているのが解る。 前の席の愁が、みずきを気にして何度も振り向きそうになるのが解る。 そしてはっきりと砕の視線が刺さる。 そのすべてから逃れようと、心を深く沈めようとすると、空間がなくなるのがはっきり解った。 それはいきなりの感覚だった。 隔てるものが、なにもない。 教室がなくなって、校舎もない。 ただ、そこに居る人間の、生物のすべてが解る。 湧き上がる衝動を理解して、背筋が凍るようにぞっとした。 しかし、それを実行したい自分がいる。 動くものが――――生物がいなくなればいい。 世界に独りきりなら、どれほどほっとすることだろう。 その安堵を想像して、奥歯を噛み締める。 身体中から湧き上がる本能を、ぎりぎりの理性が抑え付ける。 そのみずきを横で見ていて、砕が何も言わないでいられるはずがない。 「みずき・・・大丈夫、みずき?」 静かな教室で構わず声をかけた。 手が白くなるほど握りこめられて、その見える顔にはびっしりと汗が浮かんでいる。 「みずき?」 砕の声で、視線が自分に集中したことに、みずきは全身に鳥肌が立った。 みずきに触れようとした砕の手を、動き始めた瞬間に払いのけた。 「―――――触るな」 驚いて、その不自然な格好のまま止まってしまった砕に視線すら合わさず、そのまま立ち上がった。 「・・・・保健室に、行ってきます」 断ったものの、了解も取らずに逃げるように教室を出た。 立ち去らなければ。 そう思った。 それが、最善の方法だ。 |
to be continued...