その世界の中で 4
みずきは砕を急かすようにロビーを突っ切った。 さすがにこんな格好では普通に外も歩けないし電車にも乗れない。 タクシーでも拾うのかと思えば、みずきはそのタクシー乗り場をさっさと通り抜けた。 「みずき?」 その横顔を見上げると、視線は前に向いたままだ。 追うと、その少し向こうに車が止まっている。 白い、どこにでもありそうな国産車だった。 二人が着くと同時に運転席から人が降りる。 「貴方が砕くんね?!」 歓喜の声を上げるのは、薄いセーターにジーンズというラフな格好をした女、茜だった。 砕が驚いて、まじまじと相手を見返す。 昨日の夕方にあの校門で見たときとはまるで違う雰囲気だったからだ。 気取ったところなど欠片もなく、笑うと少女のように可愛らしい。 みずきより10歳上だと言うなら27にはなっているはずである。 「やだ! ほんとに可愛い! みずきも何で早く言ってくれなかったの、そしたら昨日一緒に連れて行ったのにー!」 今にも砕に抱きつかんばかりのはしゃぎようにみずきは溜息を吐いて、 「姉貴、いいから早く車だしてくれ」 砕のためにドアを開けてやった。 これ以上外にいるよりましだと思ったのだろう。 「はいはーい」 車が車道に出て少しすると、砕は戸惑いながら口を開いた。 「あの・・・みずきのお姉さんですよね・・・始めまして、椎名砕です」 「あら、自己紹介がまだだった? 初めまして茜です。愚弟がいつもお世話になってます」 バックミラー越しににっこりと笑って見せた。 「いえ、俺が、いつも迷惑かけてるので・・・」 今回のことも、そうである。 俯きかけた砕に茜のさっぱりとした声が留める。 「迷惑じゃないわよ」 「え?」 「迷惑ならこの子は関わらないわ。好き嫌いははっきりした子だから」 その二人の会話をみずきは溜息を吐きながら止めた。 「いいから、運転に集中してくれ。昨日みたいにカーチェイスなんか始めるなよ」 「しないわよ、さすがにこの車じゃ出来ないもの」 あっさりと返ってきた返事に、みずきは出来る出来ないじゃない、とまた溜息を吐いた。 「ところで、どっちに向かうの? 家? 砕くんち? 私としては食事くらいしたところなんだけど」 砕が受けようとしたところを、みずきが遮る。 「砕の家だ」 その砕と視線を合わせて、 「笙子さんにちゃんと顔見せて来い。笙子さん以上に心配しているお兄さんたちにもな」 「あ・・・はい」 砕は思い直して頷いた。 確かに、自分自身に何もされていないが、連絡ひとつ自分からはしていないのだ。 心配をさせているはずだ。 「残念だわー、私もう少しこっちにいるから、また遊びましょうね?」 ミラー越しに視線を合わせて、砕はどきりとした。 やはり、みずきに似ていた。 その視線が、だ。 それが嬉しくて、砕は笑って頷いた。 その門の前に着くと、みずきはさっさと車を降りた。 名残惜しそうにする茜を振り切って、砕も促す。 茜をその車内に留めたまま、砕を見た。 「さすがに力ずくでどうこうしようってわけじゃないだろうが、一応気をつけろよ」 あの男に対してだった。 砕は素直に頷いた。 「うん・・・」 「それから、そんな格好は二度とするな」 きつい言葉に驚いて、みずきを見て、瞼を伏せる。 「・・・似合わないかな」 「そうじゃない」 あっさりと否定された。 「理性がぶち切れるほど、似合ってるさ―――だから、やたらと他の人間の前でそんな格好するな」 砕はみずきを見上げて、零れるように笑った。 みずきは拳を握りこんで、それに耐える。 ここをどこか忘れて抱きしめたくなるのを、必死に抑えた。 夏のあの日に、身体を重ねたと言ってもそれから何度もしたわけではない。 むろん、砕の家でするほどみずきも神経が太くないし、ただするためにホテルに入ってそれだけにするのは気に入らなかったのだ。 その衝動を抑え、みずきは素早く車に乗った。 「明日、学校でな」 「うん、おやすみ」 あっさりと挨拶を交わして、急かすようにみずきは車を出させた。 引かれる後ろ髪を断ち切るためだった。 仲の良いクラスメイトたちは、翌朝砕が登校してきて初めてほっとした。 心配ないと微笑む砕を見て、漸くすっきりしたのだ。 落ち着いたかのように見えたクラスは、その日、再び騒々しくなる。 HR直前、ほとんどの人間が教室内に集まった中、廊下からざわめきが聴こえた。 そして、それは自分たちの教室で止まる。 からり、と開いたドアに全員の視線が釘付けになった。 全員の視線を浴びながら、その本人は全く自然でそれが当たり前のようにさわやかに笑った。 「ああ、砕、やっと見つけたよ」 「・・・・グレイ?!」 微笑まれた砕は硬直してただ見つめ返した。 偽者か、自分の見間違いではないのかと疑った。 しかし本物だった。 昨日騒ぎを起こした当人、グレイ・S・マクセルが居た。 落ち着いたスーツを身に着けていたが、しかし着ている人間が違う。 どうあってもその華やかさは失えなかった。 「・・・・どうして、ここに」 それしか、言えなかった。 グレイはその質問を解っているかのように、にっこりと笑って、 「休暇は一週間しかなくてね。その間は出来るだけ君に会いたい。だから、残りの時間をここに通うことにしたよ」 すでに肯定されたことであった。 砕はもちろん、話についていけないクラスメイトたちも驚愕して何も言えないでいると、ちょうどチャイムとともに担任が教師に入ってきた。 「・・・ああ、もう来ていたんですか」 グレイを見るなり、そう言った。 そして一気に集中する視線を受けて、顔を顰めながらも、 「一週間、このクラスに短期留学することになったグレイ・マクセルさんだ。みんな、仲良くするように」 まるで小学生のような説明だが、それ以上聞かないでくれ、と目が訴えている。 常識外れもいいとこであるが、きっとそれには収まりきらないなにかが動いたのだろう。 砕は大きく溜息を吐いた。 「席は、砕の隣がいいな」 笑って空いた砕の隣を指すと、後ろから低い声がかかった。 「そこは俺の席だ」 驚いて全員がまたそっちに視線を向けると、機嫌も最悪に悪そうなみずきが立っていた。 さっきまではいなかったはずである。 今日も遅刻か、と思っていたところのこの騒ぎですっかり忘れていたのだ。 和やかだったグレイの視線が鋭く光る。 「・・・後でお前に話がある」 「俺はねぇよ」 「俺にはある」 二人の間に火花が飛ぶようだったが、そこは砕が抑えた。 「二人とも、とりあえず座って。グレイ、他の席に座って」 困ったように睨み付けると、グレイは肩を竦めてそれに従った。 そんな仕草さえさまになる。 案の定、女子生徒の視線はグレイから離れない。 HRを終えても、教室は静かだった。 全員、動くに動けなかったのだ。 どういう行動を取ればいいのか判らなかったのだ。 そこに、グレイが動いた。 「鐘河みずき、一緒に来い」 「フルネームで呼ぶな」 鋭く返しながらもみずきは立ち上がって一緒に教室を出た。 その二人が見えなくなった瞬間、教室は爆発的に騒がしくなった。 特に、砕にはまた質問が集中した。 「あの人誰?!」 「砕くんのなに?」 「どこかの王子様?!」 砕は苦笑して、本当に困った声を出した。 「王子さまじゃないよ、確かにお金持ちだけど、あの人は・・・所謂前世繋がりで。俺は男だって言ってんのに、諦めてくんないんだよ・・・」 その外見で、諦めてくれと言われて諦めるほうがおかしいであろう。 「じゃぁ、みずきくんとも知り合いなんだ?」 「・・・うーん、たぶん・・・」 こればかりは本人の申告によるしかない。 みずき本人は覚えていないと言っているのだ。 「なんで俺なんかに寄ってくるんだろう・・・」 人事のような呟きは、全員に心内で溜息を吐かせ、そして無視をされた。 言ってやれる人間は生憎、この中には居なかった。 |
to be continued...