その世界の中で 3
みずきは堂々とそのホテルのロビーを通った。 周りの人の目が一度は振り返ってみずきを見る。 一見、学生には見えない。 あれから姉の茜を叩き起こし車を出させた。 その途中、このホテルに行きたいと言うと、その格好では無理だ、と言われたのだ。 その結果が、これである。 ネクタイを締めていなくてもそのスーツ姿に身を包んだみずきは上等に部類する男になる。 みずきは迷わず、フロントに向かった。 「グレイ・マクセルが泊まっているでしょう」 フロントに居た年嵩の男は愛想笑いを崩さず、 「失礼ですがお客様、どちら様でしょう?」 「砕を返してもらいたい。相手にそう伝えてもらえれば分かるはずです」 みずきはにこりともせず、ただそう言った。 「お調べいたしますが・・・お客様、お名前を伺ってもよろしいですか?」 「言っても分からない。そう伝えるだけでいいです」 みずきの動かない表情を見て、相手も頭を下げて、 「お調べしてみます」 とその奥に消えた。しかしすぐに、また出てきた。 「お部屋にご案内するようにとのことですので、こちらへ・・・」 役職に付いた身分だろうに、その相手は自ら案内をした。 みずきはなにを言うわけでもなく、ただ大人しく付いて行った。 みずきは部屋に案内されて、あまり驚きはしなかった。 予想は付いていたのだ。 エレベータを降りた時点で、黒尽くめの男がいた。 そこから離れていない部屋のドアの前にも、立っていた。 その男の前を堂々と通り過ぎる。 こうゆう迫力のある人間には、砕の家で慣れてしまっているみずきなのだ。 案内をしたホテルの人間ではなく、黒尽くめの男がドアを叩いた。 「入っていただきなさい」 中からの声に、すぐに扉が開かれた。 部屋に入ったのはみずきだけだ。 ゆったりと寛げるようにと基調を落ち着いた色で統一してあるその部屋を、ぐるりと素早く見渡した。 部屋の中央にあるソファに男が座っている。 金髪碧眼の、誰もが息を呑むほど造形の整った男だ。 「グレイ・マクセル?」 みずきは見つけるとすぐに口にした。 それから、その向かいに座る人間に気づいた。 自分には後姿しか見えなかったけれど、誰なのかすぐに解った。 相手が振り返ったのを見て、息を呑んだ。 グレイを見ても何の衝動も起こさなかったみずきが、だ。 淡いクリーム色のワンピースは身体にしっかりとフィットしていて、その細い肩を完全に顕にしている。 髪は丁寧に纏め上げられ、左の耳の後ろからクルリ、とその先が流れている。 その纏められた部分には生花がその顔を生えさせるように飾られていた。 戸惑った表情でも、その顔は美しかった。 砕である。 あれから砕は時間をかけて飾り立てられたのだ。 みずきと砕が声をかける前に、グレイが口を開いた。 「貴方が、鐘河みずきですね? 初めてお目にかかります」 にこやかに言ったグレイも驚いていた。 ただの高校生だ、という報告を受けていたのに、ここに来る度胸とこの威圧感のある外見は少なからずも驚いた。 しかしそれをおくびにも出すはずもない。 「砕の迎えでしょうか? しかし今日中にお返しする、と伝えていたはずですが」 「一方的に連れて行って一方的な約束か」 グレイは真正面からみずきを捕らえ、そしてその口調に違和感を感じた。 いや、どこかで知っている、と反応したのだ。 しかし、初対面のはずだった。 「砕のご家族に言ったことを気にしてこられたのですか。しかし、私も本気なのですよ。遊びや気まぐれで、言ったわけではない」 「冗談にしか聞こえない」 「ところが冗談ではなく、この上ない本気です。誰に誓ってもいい。私は砕を手に入れます」 その自信は全く虚勢ではなかった。 事実、これまでそうして手に入らなかったものはないのだろう。 「だから?」 みずきはそのままグレイを睨み付けた。 「砕が望まなければ、そんなことは有り得ない」 「いいえ、これは運命です。私たちは本当なら前世から繋がっているはずだったのです。それが叶わず、この世に再び生まれそして出会った。これが運命でなくなんだと言うのです」 どこかで聞いた話だった。 みずきは眉を寄せてグレイを見て、それから砕に視線を移した。 砕は困惑したように、そこに立ち尽くしたままだった。 「・・・なんでそんな格好してるんだ」 「したくてしたわけじゃないんだけど・・・」 「お前は女か? さっさと着替えろ」 そのぶっきらぼうな言い方に、グレイが顔を顰めた。 「私の見立てが悪いと? 美しく、この世の誰よりも輝くばかりに似合っているでしょう」 「砕は女じゃない。着飾ればいいもんでもない。どんな格好であろうと、その魂が汚されるわけじゃない」 グレイは声が出なかった。 その言葉を、どこかで聴いたことがあった。 この突き刺さるばかりの視線もだ。 「砕、着替えてこい」 「でも、制服が・・・着替えが、ない」 いつのまにか、どこかに処分されていたのだ。 みずきは呆れたように溜息を吐いて、 「なら、そのままでいい。帰るぞ」 その言葉にやっと反応したのはグレイだった。 「待ちたまえ、なにを持ってそんな・・・」 素早くみずきに寄って、その肩を掴んだ。 その瞬間、身体中を電流が走る。 衝撃のような閃きが、脳裏に浮かぶ。 この相手を知っている。 ただの高校生にしてはふてぶてしい態度も、癇に障る物言いも、知ってた。 「お前・・・まさか、カイエン・・・!?」 驚愕に見開かれたその目に、みずきは首を傾げた。 その名は確かに自分の名前だが、砕しか知らないはずだった。 「・・・・誰だ?」 訝しんだみずきに、砕が答えた。 「みずき、その人は・・・キエフだよ。ダイアナの、婚約者だった」 みずきは溜息を吐いた。 また、それだ。 みずきははっきり言って覚えていなかった。 砕のように昔を毎日見ていたわけではない。 事実、夢に見ることがあっても、それは砕だけ、ディアナのみだったのだ。 「覚えていないのか・・・? まったく、以前から図々しい奴だとは思っていたがその上記憶力もないとは・・・! お前のような奴になぜ皇女が惹かれたのか未だに理解不能だ。そのうえここに来てまで俺の邪魔をするのか?!」 捲くし立てたグレイの言葉は今までとは違っていた。 落ち着いた気品など欠片もない。 ただ目の前にいる男が憎くて仕方ないようだ。 「覚えていてなんになる? 今、その昔のことがなんの関係があるっていうんだ」 「あるに決まっているだろうが! 俺はお前に決闘を申し込むぞ! むろん、砕を賭けてだ!」 「・・・お前、いつの時代の人間だ? 勝ったからって砕が手に入るわけじゃないだろ」 「お前さえ居なければ俺は皇女と一緒になっていた!」 「・・・・それは、そうだな」 あっさりと肯定したみずきに、グレイはますます怒りを顕にする。 「お前はいつもそうだ! いきなり現れて皇女を攫って勝手に死んだ! それも皇女の心を持って行ったままだ! お前ほど図々しい奴を俺は見たことがない!」 怒りで顔を真っ赤にしたグレイをみずきはまじまじと見て、 「なんだって、そんなに覚えているんだ? 覚えていなきゃいけないことでもあったか?」 そのまま質問ごと砕に視線を移す。 砕も困惑して、 「えっと・・・どうだろ、俺は今はみずきがいればいいから・・・昔はh別に」 「ダイアナ皇女! 貴方もあんなに傷ついたではないか! こいつが死んだ後、どれだけ深く悲しまれたか覚えていないと言うのか?!」 「覚えてる、けど・・・でも、みずきがいるから」 確かに、二度と立ち直れないほどに悲しんだ。 しかし、二人にはここまで憤るグレイが解らなかった。 今、現実にいるのに、それだけで砕もみずきも充分なのだ。 一人で興奮している自分を不思議そうに双方から見つめられて、グレイは漸く我に返った。 落ち着かせるように深呼吸をして、その金糸のような髪をかきあげる。 「・・・マスター、どうかされましたか」 さすがに怒鳴り声が気になったのか、分厚い扉が開いた。 それでも入っては来ない。 「なんでもない。呼ぶまで入るな」 落ち着いたグレイの声に了解して、再びドアは閉じられた。 「・・・本当に、俺はお前なんか大嫌いだ」 グレイはその深い碧い目でみずきを睨んだ。 トーンは落ち着いているものの、その目は相手を圧倒させるほどに、燃えている。 みずきはそれを受けて、 「あんたはいつも・・・自分に正直だな」 「思い出したのか?」 驚いたグレイに、みずきは首を振って、 「いいや? なんとなく、そう思っただけだ」 グレイは心から嫌そうな顔を隠そうともせずみずきを睨んで、それから不意に視線を外した。 身体ごと、背を向けた。 「今日はお引取りいただいて結構だ。そういう約束だったしな」 あっさりとした言葉に、みずきと砕は顔を見合わせた。 グレイはその背中を向けたまま、 「ただし、俺は諦めないからな。今度こそ、手に入れてみせる」 その言葉に軽く溜息を吐いて、みずきは砕を促してドアを開けた。 グレイは背中でドアの閉まる音を聞いて、それからソファにどっかりと座り込んだ。 天井を仰いで大きく息を吐く。 グレイも覚えていたくて覚えていたわけではない。 できるなら、忘れていたかった事実だ。 砕はそれを気にしていないように振る舞い、みずきは全く気にしない、必要ないことのように記憶すらしていない。 自分が気にしすぎるだけなのか、と思ったが、 「・・・・いや、あいつが図太いだけだな」 人知れず、苦笑した。 |
to be continued...