その世界の中で 2
砕はその部屋の中で昼食を取っていた。 入ってきた金髪の男がルームサービスを頼んだのだ。 男は紳士らしく、笑って名乗った。 「グレイ・S・マクセルです」 お腹も空いていたし、相手も料理に手を付けたので砕は美しく盛られた料理を口に運んだ。 とてもルームサービスとは思えない料理だったが。 「マクセルさん」 「グレイで結構」 「じゃ、グレイ」 「何でしょう」 「理由、なにかな」 グレイは上品に首を傾げた。 「理由?」 「俺を攫った、理由」 グレイは手を止めて、ナプキンで口を拭いた。 「お金が欲しいのかな。でも、こんなホテルに優雅に泊まってるみたいだし、なんでなのか解らないのだけど」 グレイは砕の言葉に首を横に振った。 「そんなものに、代えられるものではありません」 真剣に砕を見た。 その仕草さえ、絵になるような美しい男だった。 「私は、貴方が欲しいのです」 砕はその目をじっと見た。 相手を探るように、その深い藍色の目を見つめる。 外見はとても可愛らしいのに、その目が違っていた。 その視線を受けて、グレイは笑った。 満足したように、だ。 それで砕はため息を吐いた。 「俺、なんかしたかな? たぶん、貴方と会ったのは一度だけだと思うんだけど・・・」 「はい、一度です。でもそれで充分でした。私の心を捉えるのには、あの出会いだけで充分だったのです。一瞬で私は貴方の虜になりました」 「・・・・・・・」 砕は俯いてしまった。 歯がむずむずして、表情が歪むのを隠したのだ。 砕とグレイは以前に確かに一度だけ、会っていた。 夏に軽井沢に行ったとき、道を訊かれたのである。 みずきが寝ている間のことだった。 道に迷った車が別荘の前に止まり、それに乗っていたのがグレイである。 しかし、本当に一瞬だったはずである。 時間にしても五分と経っていないのだ。 グレイは砕を見て、良ければ一緒に夕食を、と素早く誘ったが砕はそのときみずきで頭がいっぱいだ。 すぐに病人が寝ているからと断った。 グレイは簡単に諦め去っていった。 だからすでに忘れていた。 社交辞令だろうと、気にもしないでいたのだ。 「まさに、ヴィーナスが降りてきたのだ、と思いましたよ。このために、私は道に迷いここに導かれたのだ、と」 うっとりと話し始めるグレイを、砕は止めた。 これ以上聴くと暴れだしそうだったからだ。 「俺、男なんですが」 「だからなんだと言うのです? 貴方が美しいことに変わりはない」 にこやかに笑う男に、砕は大きくため息を吐いた。 こういう人間の相手をするのは疲れる。 「あの・・・」 砕が口を開くと、それを遮るようにグレイが話を始めた。 「しかし、これは運命と言うのでしょう」 「・・・・・は?」 「きっと、神のお導きですね。私は貴方に出会う前から、貴方を知っていた・・・そう、前世から、貴方を知っていたのです」 砕は目を丸くして相手を見つめ返した。 どこかで聞いた話だ。 砕は眉を寄せて、柔らかな笑みを浮かべるグレイを見た。 「ダイアナ皇女、私を覚えておいででしょうか」 砕は驚きを隠せなかった。 ただの、イカれた思い込みではない。 その名前を、今は誰も知るはずがないのだ。 みずき以外は。 ダイアナ皇女。 確かにそれは、砕を示す名前だった。 長い間、その名前で呼ばれてきた。 忘れるはずもない。 砕は頭に思い浮かんだ名前があった。 グレイを見て、ふと出てきたのだった。 「キエフ、さま」 グレイは良く出来ました、とにっこり微笑んだ。 ゆっくりと記憶が巡る。 相手を砕は知っていた。 そういえば、この人は以前も今と変わらない外見をしていた、と思い出す。 「思い出してくださいましたか、婚約者どの」 グレイは感無量、と幸せな言葉を呟く。 砕はその言葉に昔が蘇る。 そうだ、この人は自分の婚約者だったのだ、と。 もちろん、ダイアナの親である国王の決めたことだ。 王国は広く、その中でもダイアナは「ここに宝石あり」と賞賛されるほどの美しさを誇っていた。 誰がその皇女を射止めるか噂の的でああったが、有力な貴族の男に矢がとまった。 それが、キエフである。 しかしもちろん、ダイアナはキエフと一緒にはなっていない。 「ダイアナ皇女」 砕は鋭い視線でグレイを見た。 「グレイ、昔話が、したいの」 その声は、守られるだけの人間の声ではない。 「俺は、もうお姫様じゃないよ」 「では、砕と呼びましょう」 グレイは視線を変えた。 今までの柔らかな目ではなかった。 獲物を捕らえた、獣のような鋭い目だ。 「私と一緒に来てください」 「・・・・どういう意味?」 「そのままです。私と、これからずっと一緒に居て欲しい」 砕は一拍置いて、首を振った。 「悪いけど、俺はもう、一生を一緒にいる相手がいる」 「鐘河 みずき」 グレイは淀みなくその名前を口にした。 当然、調べてあったのだろう。 「この男と一緒にいるんですか」 砕は驚いたけれど、頷いた。 それは変えられない事実だったからだ 。なにがあろうとも、変えられない。 誰に言われたからでもない。 自分で決めた運命だからだ。 グレイはつまらなさそうに、 「どういう価値があります、この男に?」 「貴方には解らないよ。解ってほしくもないけど」 砕はきっぱりと言って捨てた。 「理解出来ません・・・」 「しなくていいよ」 グレイは大きく息を吐いて、それから砕を見る。 「この状況が、解っていますか、砕?」 射抜くような視線だ。 しかし負ける砕ではない。 「俺は女じゃないよ」 「構いません、貴方なら」 「どうしようって?」 「そうですね・・・」 グレイは砕を見て、笑った。 「とりあえず、脱いでもらいましょうか」 |
to be continued...