その世界の中で 1




砕はまず、どうして自分がこんなところにいるのか考えた。
ベッドに転がっていたのだが、その天井には豪奢な天蓋が見える。
身体は動く。
ベッドから降りて部屋を見渡すと恐ろしく凝った調度品で整えられている。
窓は全面にガラスがはめ込まれていて外がよく見える。
いくつか見慣れたビルが見えた。
ということは、自分の知っている街である。
いつもひとつに束ねていた髪が解かれていることを除けば、自分の身体にも一切変化はない。
朝のままの、学ランを着ていた。
しかしよく分からない。
どうしてここにいるのか、だ。
頭を整理するのに覚えているところまで思い出してみることにした。






時間が確かなら、昨日の夕方。
いつものようにみずきと連れ立って帰ろうとした。
しかしみずきは校門の手前で足を止めた。
「みずき?」
横を見上げると、非常に嫌な顔をしていた。
許されるならそのままUターンしてしまいそうな勢いだった。
砕はその顰めた視線を追って校門を見ると、その向こうの車道に真っ赤なスポーツカーが止まっている。
そこから運転手が降りてくるところだった。
真っ黒な癖のない髪は肩を過ぎるほどに伸ばされ、また目を瞠るような赤いノースリーブのワンピースには際どいところまでスリットが入っていた。それを着こなすかなりのいい女、だった。
誰の知り合いかなんて、訊かなくても解る。
ただ、大きなサングラスで顔がはっきりと判らない。
「・・・久しぶりね」
「・・・・・・・・」
それは、砕の横の男に対しての言葉のようなのだが、しかしみずきは答えない。
眉を寄せて口を開かない。
「乗って」
その相手は答えないみずきになんでもないように続けて、車に乗り込んだ。
みずきは頭を抱えて、大きくため息を吐いた。
それから一緒にいたもう一人の友人、愁を見て、
「頼む」
呟くと砕を置いて、その車に大人しく乗り込んだのだ。
「え? え? どうゆうこと? 今の、誰?」
砕はすぐに走り去ってしまった車を驚愕で見送って、その頼まれた愁を返り見る。
愁も複雑そうな顔をして、口を開いた。
「あれは・・・・みずきのお姉さんだよ」
砕はもう一度、驚いた。
みずきには年の離れた姉がいる。
性格には10歳、離れた姉だった。
名を茜<あかね>と言う。
今はフランスに何度目かの留学中である。
学校に通っているというより、普通に生活が成り立っている、とみずきからは聞かされていた。
その日一日、みずきには連絡が付かなかった。
向こうからも電話すらかかって来なかった。
どうゆうことなのか、翌日学校でちゃんと問いただそう、と砕は勢いよく家を出た。
その、翌朝である。
砕は大げさにならないように、出来るだけ電車で通学をしていた。
駅からは五分ほどの距離で、その通学路で、同学校の生徒が同じ方向に向かって歩く中、砕の横に黒塗りの車が止まった。
「すみません」
きっちりとスーツを着た男が中から出て来て、砕はさり気なく身構えた。
何があってもおかしくない立場だったからだ。
しかし男は手に写真を持って、砕を見た。
「椎名、砕さまですか?」
その写真を砕に見せようとした瞬間、砕に少しの隙が出来た。
男の袖から小さなアトマイザーが出てきて、素早く砕に吹きかけた。
「・・・・!」
何も言う暇が無かった。
しまった、と思っても砕の意識はすぐに薄れた。
男は通学路の衆人の中で、堂々と砕を車に乗せて再び発進した。
あまりの非日常に周りのほうが目を疑い、誰も何も出来なかった。
そして気づくと、砕はこの部屋のベッドで眠っていたようだ。
時計を見るとお昼を指している。
外も明るい。
一日以上寝ていたのでなければ、そんなに時間は経っていないようだ。
ただ、鞄も何も持っていない。
部屋から外を眺めているうち、入り口の扉が開いた。
入ってきた人間に砕は驚いた。
「こんにちは、砕。お久しぶり・・・と言ったふが良いのでしょうか」
流暢な日本語だった。
外見は、眩しいまでの金髪に暗い藍色の瞳だった。
砕は、確かにこの相手を知っていた。






みずきは大きく欠伸をしながらいつものように気だるさを残した身体で教室に入ると、その中は騒然としていた。
「・・・・どうした?」
声をかけると、全員の目が自分に向いて驚く。
前にもこうゆうことがあったな、と思って受けていると代表して室長の成瀬が出てきた。
「みずきくん、大変、なんか砕くんが攫われたみたいなの」
みずきは一瞬で頭を覚醒させた。
「みたいって、どうゆうことだ?」
砕は学校中で知らないものなどいない有名人だ。
登校中の出来事が広まらないはずはない。
目撃者から、だいたいをかいつまんで聞いてみずきは顔を顰めた。
「・・・・堂々とした誘拐犯だな」
「みずきくん、落ち着いてないで、さっき先生たちも警察にしらせようかって言ってたんだよ」
「警察より、あいつんちだろ。なんかコンタクト取ってくるのは、実家だろ」
みずきが携帯を取り出して、
「連絡してみるから、先生にはもう少し待つように言ってくれ」
教員たちは、その実家よりも警察に連絡するほうが楽だったのだ。
が、みずきは関係なく相手を呼び出す。
成瀬に言ってからみずきは外に出た。
メモリの番号を鳴らすと、いつものようにすぐに相手が出る。
「みずきです・・・すいません、今学校で砕が攫われた、と・・・・え?」
みずきは向こうからの声に、耳を疑って聞き返した。
しかし大人しく話を聴いて、電話を切る。
それから、ため息を吐いた。
「みずきくん、」
教室に戻ると心配そうなクラスメイトがみずきに集中する。
その彼らにみずきは平然と答えた。
「大丈夫、実家には連絡済だとさ。誘拐でもなんでもない。ただの悪ふざけだ」
周りは納得しかねた。
それも当然だが、みずきは嘘は吐いていない。
しかしみずきが普通にここにいて、動くでもなく慌てるでもない。
それでは他の面々も納得せざるをえなかった。






最後の授業が終わると、みずきは自宅ではないほうへ足を向けた。
学校が終わったらゆく、と笙子に約束したのだ。
相変わらずな見上げるほどの門を潜り、その邸宅に足を踏み入れる。
初めのあの物怖じはどこに行ったのか、今ではすっかり当然のような顔でその中を歩く。
「あ、いらっしゃいまし」
すでに大仰しく出迎えることは控えてもらっている。
だから中で誰にあっても会釈で済む。
「笙子さん、いらっしゃいますか」
みずきは玄関で出会った顔見知りの男に取り次いでもらう。
相手も心得たもので、すぐに中に招かれた。
笙子に会うのはいつも決まっていた。
初めに通された和室である。
続きの部屋は組員のたまり場にでも
なっているので少々騒がしい。
部屋に入ると、笙子は難しい顔をして書類を睨んでいた。
「笙子さん?」
みずきの声に笙子は視線を上げて、書類を放り投げた。
それをいつも横に控えている坂頭がさっと集める。
「何かありましたか」
笙子は、言いながら低位置ともいう下座に座ったみずきを睨み付けた。
「別に・・・みずきくんは、何か言うことないの、私に」
「笙子さんが言いたいなら、言ってください」
笙子は暫くみずきを射るように睨んでいたが、それから諦めたようにため息を吐いた。
「あーぁ、すっかり図太くなっちゃって・・・」
「笙子さんのお蔭です」
「砕はRホテルに居るわよ」
いきなり、笙子は口にした。
みずきは笙子と暫く視線を絡めて、
「それで?」
と呟く。
「相手はアメリカの大富豪のお坊ちゃんで、ご丁寧に今日中にお送り致しますって言ってきたの」
「それで、待ってるんですか?」
「ただの金持ちの坊ならね」
「誰です?」
笙子はみずきにもともと隠しておくつもりはない。
「マクセルファミリー。今の当主はレイト・マクセル。ちょっと、裏があるお金持ちね」
坂頭は持っていた書類をみずきの前に置いた。すでに調べてあるのだろう。しかしみずきは視線を落とさない。
それを見ても仕方ないと解っているからだ。
「お坊ちゃんの名前はグレイ・S・マクセル。18で大学は博士号を取得しすでに卒業。すでに父親の片腕と言われているわ」
「その頭もいいお坊ちゃんが、砕に何の用です?」
何かを要求されたわけではないようだった。が、
「砕が欲しいんですって」
あっさりと言った笙子はいつもと変わらない表情だったが、周りの人間まではそうではない。
声さえ出さないが、しかめっ面ばかりだ。
きっと連絡を受けてから飛び出して行きそうなのを笙子に止められて苛々が募っているのだろう。
みずきは慎重に言葉を選んだ。
「・・・・どういう意味で、欲しいんです」
「さあ。そこまでは、言われなかったわ。でも、ニュアンス的には嫁に欲しい、て感じだったわね」
「砕は男だったはずですが」
「ご存知みたいよ」
「第二婦人にですか」
「着飾れば第一婦人だっていけるわよ。似合うわよ、きっと」
親ばかを隠しもしない笑顔で笙子は答えた。
そこでみずきは言葉を止める。
その視線の先は、誰を見ているわけでもない。
笙子はみずきが
何も言わないので口を閉じた。
ゆっくりと煙草を銜える。
坂頭がすぐに火を差し伸べた。その綺麗な唇から吐き出された紫煙を暫く追って、耐え切れなくなったのはみずきが先だった。
テーブルに肘を付いて、その手の先に頭を乗せる。
髪を掻き毟るようにして、大きくため息を吐く。
「・・・・解りました。行って来ますよ」
その言葉に笙子はにっこりと笑った。
みずきの負けである。
まだまだ、この女性には勝てない、とみずきは改めて実感した。
「車を出すわ」
みずきはそれに首を振る。
「いえ、今日は・・・うちに暇な人間がいますから。それに送らせます」
昨日は散々みずきを振り回し、今日は学校に送り出して自分はゆっくり安眠を貪っているであろう女が、いるはずだ。
みずきは決めてしまうと、さっさと踵を返した。


to be continued...



INDEX  ・  NEXT