恋愛シーソー 延長戦2





「はぁああぁぁぁぁぁ・・・・・」
どこまでその息が続くのだろうか、と思わず時計を見てしまいたくなるほどの長い溜息を吐かれて、いつもの美術準備室でいつもの面々は顔を見合わせた。
吐いた本人の沢田は、また落ち込みを隠しもせず座った足の内側に床にのめり込みそうな頭を入れて肩を落としていた。
そこまであからさまに落ち込まれても、周囲はまたか、とこっちも溜息を吐きたくなってしまう。
それでも一応、口を開いた。
「今度はお前、なにしたの」
それに沢田はがばり、と顔を上げて、
「俺がなんかしたって前提で言うのやめろよ!」
反論するけれど、周囲にそれに同意するものはおらず、
「だって、なんかしたんだろ?」
「また懲りずに秋篠くんにか?」
「いい加減、秋篠くんも分かるだろうけどなぁ、コイツのどこがいいんだろ?」
「おまえらな・・・っ」
沢田は握りこぶしを震わせて怒りを見せるけれど、その声は全て事実のような気もするので反論もない。
その生徒達に呆れたのは、また背を向けてそこで仕事をしていた講師の安堂だった。
「お前らな、人のことを言う前に、自分を省みなさい。沢田のことを言っている場合か? 終業式も終わったと言うのに、どうしてここにいるんだ?」
椅子を回して身体を向けて、狭い室内をさらに狭くしている生徒達を睨みつける。
それもそうだ、と誰もが頷いた。
今日の終業式で、一学期はめでたく終了し明日から待ちに待った夏休みのはずなのだ。
受験を控えた面々は夏期講習もあるとはいえ、沢田もここぞとばかりにバイトを入れている。
結果から言うと、沢田はなんとか期末の結果を担任の言うラインを超えてみせることが出来た。
誰もが奇跡だ、と驚いたけれど、誰より驚いていたのは沢田本人だ。
あまり勉強したという記憶もない。ただ、直前に必死で秋篠が示すヤマの範囲を丸暗記しただけなのだ。
それが後日、秋篠効果だと言われるのは置いておいて、沢田はこれで晴れて夏休み中バイトに励められるというのに気分は誰より落ち込んでいた。
秋篠はしぶとく、認めたくない態度を見せているけれど、最終的に沢田とお付き合いをすることになった、とすでに誰もが知っていた。
何より、沢田が上機嫌すぎて怖いくらいなのだ。
未だところ構わず秋篠に告白するのはすでに癖付いているのか、秋篠はそれを迷惑そうにしながらも顔を赤らめてしまっていれば関係がどうなったのかなど明らかだ。
粘り勝ち、というものを目の前で周囲が実感するのはすぐだった。
水を得た魚のように、しつこさを見せて傍にいる沢田に誰もが呆れながら、その反面羨ましくも思ってしまう。
秋篠の表情の変化は、ある意味沢田より分かりやすかったからだ。
その染まった顔は怒りというより困惑で、照れてしまっているようにしか見えない。
嬉しさを必死で誤魔化そうとしているようにしか見えない。
結局痴話喧嘩か、と誰もが突っ込みたい二人だった。
そして夏休みだ。
開放的な夏になると言うのに、沢田は誰より嬉しくあらなければならないはずなのに、この態度だった。
沢田は可愛くもない顔を拗ねさせて見せて、
「俺だってシノと帰ろうと思ってたのに・・・今日は羽崎と約束したからって――」
まるでお前のせいだ、と言わんばかりに川杉を睨みつける。それを受けて川杉は、
「・・・アレの首に縄でも付けていろっていうのか?」
「どっちかってーと、縄がついてんのはコイツの首だよな」
それを受けて隣に座っていた菊池が暗いままの沢田を笑って指す。
「うるせぇ! そういうお前は五十嵐くんはどうした! 振られたのか?!」
「縁起でもねぇことを・・・瀬厨と用があるんだってよ、後で落ち合う予定だ、俺は!」
「へーぇ、そうですかー、いいですねー」
どこか貶しを含んだ沢田の相槌に、菊池は顔に青筋を立てながらも違和感を覚えた。
とても、好きな相手を落としてめでたく付き合い始めた男の態度ではないのだ。
「・・・お前、どしたんだ?」
改めて聞かれて、沢田は深く、もう一度溜息を吐いた。
気分は浮かれていた。
あれだけ恋焦がれた秋篠と付き合い始めたのだ。
秋篠に嫌われていない、と思った瞬間の喜びは、今までのなにより嬉しかった。
押せばどこか弱い秋篠を、このまま押し倒せば思うようになる、と楽観的にも考えていた。
が、想いが通じたあの日、ベッドの上で抱きしめたままの身体をそこに倒した。
ここでそんな状況にあるほうが悪い、と沢田はあまり気にせずその身体に手を伸ばした。
その瞬間、秋篠の身体が震えるほど強張ったのが分かった。
息を飲み、脅えた顔で沢田を見上げて、見つめた視線を拒むように小さく首を振った。
「・・・・っや、やだ―――」
その目が潤むのを間近で見れば、沢田に何かが出来るはずもない。
この同じベッドで、秋篠相手に、どんな酷いことをしたのか今は思い出していた。
はっきりと怯えを見せる好きな相手に、それ以上何が出来ようというのか。
沢田は慌てて秋篠の身体を抱き起こし、
「悪い、ごめん―――何も、しないから、悪かった、」
もう一度腕に抱いた。
抱いたことでほっとしたのか、強張った身体を緩めるのにどこか嬉しく思いながらも沢田は複雑だった。
沢田に抱かれて安堵しながら、押し倒すと怯えを見せる。
まさに自業自得、どうすればいいんだ、と枯れるはずのない若い自分の身体を思って沢田は途方に暮れたのだった。



テスト休みを挟んで終業式を迎え、開放的な夏休みに向けて買い物をしよう、と先に言ったのは羽崎だった。
「新しいパンツが欲しいんだよねー」
海にも行きたいし、と好みの服屋を回るのに、秋篠はただ寄り添って付き合う。
ぱっと見て派手に見える羽崎は、その衣装にも手をかけている。
けれど秋篠は下手すれば量産されるチェーン店の服で充分だ、と安くいつも済ませてしまう。
それに羽崎は顔を顰めて、
「せっかく綺麗な顔してんだから、ちゃんと服選べ!」
と半ば強制的にこうして買い物に連れ出す。
今日はそれもあるけれど、羽崎はいつもより暗い顔をした秋篠に気付き、それを訊いてみようと誘ったのが本音だった。
どうやら過日、自分も絡んだテスト勉強の日あたりから秋篠は態度を変化させていた。
沢田の気持ちを受け入れ、そこに踏み込もうかどうしようか悩んだ顔で頬を染めていれば、誰だって解かるだろう。
ならば今がとても熱くなっている時期なのでは、と思うのに、秋篠は思い出すように時折表情を曇らせ溜息を吐くのだ。
今も、服を適当に漁る羽崎に付き合いながら、目を伏せて肩を落としていた。
「秋篠・・・何がやなの?」
「え?」
服へ視線を向けながら、羽崎は意識を秋篠に向ける。
秋篠は声をかけられた意味に驚きながら顔を上げると、羽崎は躊躇いつつも視線を返す。
「沢田さんと、付き合い始めたんじゃないの? 嬉しくないの?」
秋篠は真っ直ぐな目が、心配しているのをはっきりと感じて、困ったように目を伏せた。
「あ・・・うん、それは、そう・・・嬉しい、けど」
躊躇いつつも、秋篠は沢田の気持ちを受け入れ、その腕に不安を包んでもらうことで自分の気持ちも守ってもらうことにした。
それが付き合う、ということなら、晴れて秋篠は沢田と付き合っているのだが、秋篠は先日から考えていることに意識を取られ、よくぼうっとしてしまう。
今も買い物に付き合いながら、考えていたのをこの羽崎は勘良く見抜く。
「なんかあるなら、聞くけど?」
一応、同性と付き合うことに関しては羽崎は先輩だった。
丁度目の前にあったセルフのコーヒーショップを指され、秋篠は困惑しながらも自分では解決の糸口さえ見つけられない、と心を決めた。
お互いに冷たい飲み物を持って狭く混雑した店内の隅に座ると、羽崎はさっそく、と身体を乗り出す。
「で? 今度は沢田さん、何したんだ?」
「なにって・・・何もしてないよ」
羽崎にまずそう言われてしまうほど、沢田は印象が悪い。
秋篠はそれも解かっているから、苦笑しつつも否定する。
「沢田さんが悪いんじゃなくて、これは・・・僕、の問題っていうか、」
「秋篠の?」
全く見当も付かない、と目を瞬かせた羽崎に、秋篠は真っ赤になる顔を抑えることは出来ず、俯いた。
「その・・・こ、拒んじゃって・・・」
店内の雑踏にかき消されそうな小さな声は、けれど羽崎の耳にちゃんと届いた。
拒む? と首を傾げそうになったけれど、顔を上げられない、と赤くなる秋篠にそれがいったい何の行為を、なのかを理解し、驚いて目を見開いた。
「え――え?!」
「・・・そ、そんなに驚く・・・?」
「や! だって、あの――」
やはり、くだらないことだろうか、と秋篠が落ち込みを見せるけれど、羽崎が驚いたのはそこではない。
あれだけ頑なに沢田の想いを拒み、漸くその気持ちを受け入れて、初々しさを醸し出していた二人が、特に恋愛と言うものに関して晩熟だ、と誰もが感じる秋篠のものとは思えず驚いたのだ。
しかし羽崎はこの変化を安堵して息を吐き、なんだ、と笑う。
「また沢田さんがなにかしでかしたのかと・・・」
「なんだ、って・・・あのね、羽崎、僕は結構真剣に・・・」
「うん、で? 拒んだことに沢田さんが落ち込んでんのを見て秋篠も落ち込んでる、と」
「う・・・・」
これだけの言葉で全てを理解され、秋篠は否定も肯定も出来ず声を失くした。
「そっかー、それがやだったのかー」
「や、やって、いうか・・・」
びっくりして、と秋篠は赤い顔に戸惑いを見せて羽崎を見つめる。
「ちょっと・・・怖く、なって、その」
泣いてしまった、と秋篠はもう隠しても意味はないだろう、と正直に口にした。
あの部屋で、同じベッドで、沢田に同じように覆いかぶさってこられて、その陰に驚いて身体が硬直したのだ。
全身に疼いた痛みを思い出し、それは嫌だ、とはっきりと言うと今度は沢田が慌てて、ごめん、と謝った。
その腕に抱かれてあやされながら、安堵しつつ、秋篠は今度は不安になる。
嫌だ、と感じたけれど、同じ腕に抱かれて安心しているこの矛盾はなんだ、と自分で分からなくなったのだ。
「怖い? って・・・ああ、まぁ、怖い、か」
「羽崎も?」
思いだしたように納得されて、秋篠は恋愛に長けた友人に驚いた。
羽崎は頭をかいて、
「うーん・・・まぁ、そりゃ、いきなり抑えつけられれば、誰だって怖いだろ」
「そ・・・そっか、羽崎も、そうなんだ」
「ただ・・・俺はするの慣れてるからなー」
拒んで見せても、その行為を始めてしまえばつられてしまうんだ、とあけすけに言われて秋篠は再度顔を染めた。
「う・・・ど、どうしたらいいのか、僕には、」
「秋篠、拒んだの後悔してんの?」
「・・・・・・」
沈黙は肯定だった。
「てことは、沢田さんとやりたい、と」
「そんな・・・っ」
はっきり言うな、と思うけれど、正直なところ間違ってはいない。
けれど怖いことに違いはない。
それでどうすればいいのか、ずっと悩んでいるのに、と秋篠が拗ねたように羽崎を睨めば、相手は苦笑して、
「俺はもう、そんな気持ち忘れたなー」
すれた自分を卑下して見せるのに、秋篠はもっと顔を顰めた。
そんなこと言うな、と口を開こうとしたのに、羽崎は何かを見つけて、
「あー、ちょうどいいのが来た」
「え?」
「俺より、初心者の気持ちをよーく知ってるヤツがさ」
「は?」
羽崎の意地悪そうに笑う顔を久しぶりに見た、と秋篠がその視線を追えば、同じ店に丁度どこかで見たことのある後輩が入ってくるのを見つけた。


to be continued...



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