恋愛シーソー 後半戦3 秋篠はそのドアの前で大きく溜息を吐いた。 どうしてここにいるんだろう、と後悔しながら、どうして従ってしまうのだろう、と自分に呆れた。 昨日羽崎に呼び止められて、 「お願いがあるんだけど、」 と本当は自分も本意ではない、と言う顔で言われたのだ。 素直になんだ、と訊き返して、聞かなければ良かったとそこでまず後悔した。 「あの沢田さんのさぁ、勉強みてやってくれない?」 「・・・・え?!」 どうして自分が、という驚きと、どうして羽崎がそれを言うのだ、という驚きが混ざって秋篠はその真意が全く解らなかった。 けれど羽崎はどうしようもない、と溜息を吐きながら、 「この間まで先輩たちが教えてたんだけど・・・あまりのバカさに自分達じゃ無理だって言って、秋篠が教えれば――しなきゃ二度と口利かない、とかって脅せば、もっとするんじゃないかって、言ってさ」 「・・・そんな、」 秋篠は上手く声も出ない。 その取引は、もう似たようなものを一度使ってしまっていた。 「明日の土曜日、昼くらいから沢田さんちでって」 「え?!」 秋篠はその提案にもう一度驚く。 あの密室で、また二人きりになる。 その現実に秋篠は耳の奥が息づくほど大きく息を飲んだ。 それを理解して羽崎は慌てて、 「いや、大丈夫・・・今度は飲んでもないし、勉強するって言ってるから」 「・・・・・・」 秋篠の視線ははっきりと訝しんだものだったけれど、羽崎はどこか楽観しているように何度も頷いて、 「うん、本当、大丈夫だって、きっと」 そのきっと、の真意は何かを聞き出せないまま、秋篠は言われるままに土曜の午後、沢田の部屋の前に来てしまっていたのだ。 ドアの前で、今日何度目かの溜息を吐き出す。 手は下にさがったまま、インターホンを押そうという気にもならない。 やっぱり帰ろうかな、と何度目かに足を戻しかけたとき、ガチャリ、と内側からドアが開いた。 「・・・・・っ!」 「シノ?」 中から冷気と共に、年の違うクラスメイトが顔を見せた。 秋篠を見てどこかほっとしたように息を吐き、 「やっぱり、なんか気配すると思った・・・なんで入って来ないんだ?」 「・・・・今、着いたんです」 秋篠は苦しいけれどそれでも自分に言うように言い訳をして、勧められるまま部屋へ通された。 その部屋に入って、身体を震わせる。 「・・・沢田さん?」 恐怖で震えたのではない。異常なほど涼しい冷気で寒さを覚えたのだ。 いくら夏だとは言え、蒸し暑いとは言え、これはクーラーの温度を下げすぎだ。 コットンパンツにシャツという軽装の秋篠は両腕を抱きしめるように部屋に設置されたクーラーのリモコンを見て、 「15度?! 下げすぎですよ! いくらなんでも・・・」 と憤りも覚えて勝手に電源を切る。沢田はまったく平然としたままで、 「そうか? ・・・・寒いか?」 「寒くないんですか?!」 「うーん? すげぇ、暑い」 しかし平然とそう言う沢田は放って置いて、秋篠はその部屋に唯一つあるテーブルに座った。 一応勉強をしていたのだろう、教科書が広げてある。 「物理ですか? 今どこです?」 勉強を教えに来たのだ。 教科書を見てそれを思い出し、もう余計なことを一切考えないように集中することにした秋篠は勝手に確認した。 けれど沢田は秋篠の隣に座り込んで、 「シノ」 その顔を覗き込む。 真っ直ぐな視線に落ち着かなくなってしまう秋篠は顔を背けて、やはり余計なことは考えないようにしよう、と呼びかけられた声を無視する。 「どこまで、しました? 先輩たちに、教えてもらっていたんですよね?」 「・・・シノ、俺が嫌いか?」 「菊池先輩とか、実は頭がいいんですよね?」 「シノ、嫌いなのか?」 「・・・・沢田さん、」 ただそれだけを問いかける目に、秋篠はどこか力を入れるように息を吐き出して、 「勉強、するんですよね? だから僕を呼んだんですよね? 僕も自分の勉強があるから、暇じゃないんです。しないなら、帰りますよ?!」 「俺は、シノが好きだよ」 「・・・・・・・」 呆れるほどただ、繰り返される告白に秋篠は頭が痛い、と目を伏せて、 「・・・・帰ります」 立ち上がりかけた腕を素早く沢田に掴まれて、その隣に座らされる。 「俺を、好きだろ?」 「な・・・っ」 「好き、なんだろ」 自信のあるように言われて、秋篠は驚いて沢田の顔を正面から見てしまった。 そこにある真面目な顔に、また驚くけれど無意味に高いプライドが脳裏を掠めて、 「何を勝手なことを・・・!」 顔を顰めて否定する。 ここで、素直に頷けたらどれほど楽なのだろう。 秋篠はいっそ縋れるほどの強さがあったら良かったのに、と弱い自分に呆れた。 そのくせ、突き放して逃げ出すことも出来ないのだ。 気付けば、握りこんだ手が震えていて、腕を掴んだ沢田に気付かれているかもしれない、とその腕を離そうと引いて、 「・・・手を、放してください」 「シノ、ちゃんと言えよ」 「・・・何をですか、もう、手を・・・」 「俺の顔見て、ちゃんと、」 「沢田さん、手を、放し、て、」 「俺を好きだって、言えよ。だから羽崎の代わりにされて、辛かったって、言えよ」 「――――――!」 目眩がした。 秋篠の腕を掴んだままの沢田の手が熱い。 身体を、その内側から秋篠の頑なな心まで溶かしてしまいそうなほど、熱い。 そう言えたら、どんなに楽なのだろう。 素直になれたら、どんなに楽だろう。 けれどここで頷けられるなら、秋篠はここまで悩んでなどいないのだ。 湧き上がる動揺が怒りに変わり、強気に気持ちを押し付けようとする沢田を撥ね退けようと視線を強くして、 「手を、放してください」 「嫌だ」 「沢田さん、いい加減に・・・」 「俺は、もう知ってるんだからな」 「何をです、もう、いいから手を・・・」 「シノが俺を、好きだって知ってる」 「・・・・・・そう、思いたければ、勝手に、」 「羽崎に聞いた。シノは、こんな俺が好きなんだろ?」 「・・・・っ、」 沢田が握り締めてくる腕が痛かった。 また、痕になると言いたいのに、口から声は出てこない。 息を飲んで、身体が硬直する。 クーラーの温度は上げたというのに、背中がゾクリと震えた。 確実に動揺を見せてしまった秋篠に気付いているのか、沢田は手を伸ばして自分より細い身体に絡める。 「・・・シノ」 そのまま抱き寄せられて、動けないまま軽く唇が触れた。 |
to be continued...