恋愛シーソー 後半戦2 試験勉強を始めて三日目、すでに沢田は飽いていた。 秋篠に言われたその日、やる気を誰よりも見せて友人の屯う美術準備室に向かい、放課後上級生になった彼らから習った。 動悸の不純さはさておき、勉強するのなら、といつもそこに集まることを嫌う講師の安堂も教えられる範囲は教えてくれた。 授業も今までで一番真面目に受けた。 しかし、自分の時計を確認して時間になるとバイトへと向かう姿はいつもと変わらない。 沢田は勉強に集中しながら、その後で働くことのストレスのなさに驚いていた。 やはり自分は、こっちのほうが合っているのだ。 そう思うとやる気を見せていたことに飽きを感じる。 どうしてこんなにも必死になってしなければならないのか、と考えていると教室の秋篠の視線を感じて、慌てて思い出す。 秋篠に、見放されないためだった。 あっさりと笑顔で別れを告げる秋篠に、沢田は必死にもなる、ともう一度教科書と顔を付き合わせる。 沢田は未だに悔やんでいることがある。 あの日、確実に抱いたであろう秋篠を思い出せないのだ。 どんな身体をしていたのか、どんな声をあげたのか、きっと泣かせたであろうその涙すら、思い出せない。 自分の記憶力のなさに呆れながらも、しかし確かに抱いたという事実だけはあり時折凶暴な気持ちが暴走しそうになる。 そんなときに秋篠を見れば、見境なく襲ってしまいそうだった。 自覚してしまえば、沢田は自分の気持ちが素直に納得できた。 惚れているんだなぁ、としみじみ思い直したくらいだ。 お気に入りだ、と思っていたけれど、本当に好きなのだ、と気付いた。 どうも沢田は自分の気持ちに疎いようだ、と最近気付いた。 羽崎にしてもそうだった、と改めて過ぎた想いを振り返る。 やはり、羽崎は気になって――好きだったのだ、と思う。 しかし友人である川杉と一緒にいる姿を見て、安堵したのも事実だ。 幸せになったのなら、それでいい、と自分の気持ちを納めてしまえた。 秋篠を見て、いつか誰かと幸せになるのだろうか、と想像した瞬間、背中がゾッとした。 震え上がったのは、怖さではない。 自分の中にある狂暴さを自覚してしまったからだ。 そんなことになれば、本当に秋篠をどうにかしてしまいそうで、泣いて叫んで抵抗されても、止めてやれない自信があった。 秋篠は今のところ、沢田の想いをどうしていいのか受け入れかねているように見える。 本気なのか、と疑って、信じられない、と呆れているだけのように思えた。 だから沢田は必死でまず、気持ちを信じてもらうことから始めたのだ。 信じてもらって、口説き落とすのはそれからだ、と自分の中で計画を立てた。 それを踏み越えないように、と理性も少々働かせている毎日だ。 沢田にしては初めて誰かを好きだ、と自覚したところでこのまま自分がどうなるのか、自分にすら分からなかった。 いつか、秋篠に振り向いてもらえるのだろうか、と思いながら最後までこのままだとどうしよう、と不安にもなる。 そこに来て、今の事態だった。 「・・・勉強なんかキライだ」 思わず唸ってしまうほど、沢田は教科書を睨みつけた。 理数はどうにかなりそうだった。 公式を覚えてしまえばどうにかなるものは、簡単だ。 しかし文系はまず理解できないのだ。 自分の感情すら疎い沢田に、読み込んだだけで内容を理解しろと言うほうが無理だ、と悪態を吐く。 もちろん、飽いてやる気のない沢田に気付かず善意で教えてやっている友人たちでもない。 沢田以上に呆れて、 「お前なー! 教えてやってんだから、少しは覚えようとしろよ!」 「だってキライだし」 「ふざけんな! 俺だってキライだ!」 「誰のためにしてやってんのか分かってんのか?!」 「お前なんかもう秋篠くんにフラれてんだから、さっさと諦めちまえ!」 思わず子供のように愚痴ってみれば、倍の勢いで言い返される。 さらに最後の言葉にもぐっさりと落ち込み、 「・・・・酷い・・・酷いヤツラがいる・・・」 「お前が一番酷いことしたんだろうが!」 「自業自得!!」 最早何を言っても言い返されて、それが当たっていることだけに沢田の荒んだ気持ちは一向に浮上しなかった。 その先輩達に混じり、一緒に教えてくれていた羽崎だけはまだ真剣に、 「もう、ちゃんとしろよ、そんなんだと本気で秋篠に振られるからな」 教科書を開いて次に進もうとしてくれる。 沢田はヘタリかけた気持ちをそれに向けて、 「・・・・本気で毎日振られてるけど?」 少し愚痴りたくもなって後ろ向きに言ってみる。 羽崎はそれに驚いて、それからはっきりと顔を顰めて、 「ふざけんなよ、あんたなんか、振られて当然だろ・・・っとに、秋篠もこんなののどこがいいんだか・・・」 ぼやきに近い羽崎の言葉を誰もが聞いた。 「・・・・・・・・・・」 沢田はどういう意味だ、と何度も頭の中で繰り返し、さらに深読みしていいのか、と動揺した。 突然の言葉に周囲もそれは同じだったようで、美術準備室に暫く怪しい沈黙が落ちる。 「・・・・?」 羽崎はその沈黙をなんだ、と視線を上げて見渡せば、そこにいた全員の視線を自分が集めている。 どうしたのか、と訊きかけて、自分の言葉を思い出し、 「・・・・っやばっ!」 慌てて口を押さえた。が、もう遅い。 「・・・・・羽崎?」 慌てたまま、その場を逃げて誤魔化そうとした羽崎を素早く掴んだのは沢田だ。 その慌て具合が、ますます浮かんだ疑問を確信に変える。 「いまの―――」 「知らない! 俺は何も言ってない!! あんたたちも、何も聞いてない!」 どういう意味だ、と聞く前に羽崎は全てを否定した。 けれど否定はされるだけ確信を深くさせるだけだ。 「あーあーあー、もう・・・っ」 頭を抱えて、誤魔化せないことに頭の中で秋篠に謝っているだろう羽崎を見て、沢田は今日までの秋篠の態度に理解できなかった。 「・・・え? 秋篠くん、こんな男が本気で、いいの?」 周囲が改めて確認するのにも、羽崎は赤い顔で知らない、とだけしか答えない。 それが答えを教えていると分かっていても、羽崎には口に出来ない。 けれどそうならば、また疑問が浮上する。 「じゃ、どうして振り続けるわけ・・・?」 誰もが感じた疑問を、羽崎は全員を睨みつけるようにして、 「そんなの・・・っ自分で考えろ! このバカ集団!!」 それを捨て台詞にして、羽崎は今度こそ本当にそこを出て行ってしまった。 残された沢田は、突然教えられた事実に戸惑っていた。 本当だろうか、と疑いながらどこかで嬉しい、と素直に喜んでいたりもする。 けれどやはり、信じきれないから戸惑っていたのだ。 もし本当に沢田を好きなのなら、どうしてこんなにも想う気持ちを受け入れてくれないのか。 沢田は笑顔で別れを言った秋篠を思い出し、動けなくなってしまった。 |
to be continued...