恋愛シーソー 後半戦1 夏休み直前、期末テストを翌週に控えた月曜日。 秋篠は担任に呼び止められて振り向いた。 「お前に言うのもなんなんだが・・・」 「はい?」 珍しく言葉を濁らせる担任教師に、秋篠はその意図が分からず顔を傾げた。 相手は秋篠の、夏の制服を涼しげに着こなす外見を見て戸惑うものの、 「沢田のことなんだが、」 それに秋篠は眉を顰めた。 沢田の最近の――あの事件以来の――振る舞いはすでに教師といえども知らないことではない。 秋篠は改めて知られている、と知って顔を赤くしながら少し怒りを見せた。 沢田に、である。 あの日、秋篠に「片想いするから」と宣言したとおり、沢田のアプローチは勢いを怯ませない。 さすが菊池の友達、と知らしめるには充分の行為を続けているのだ。 周囲に誰が居ようとも「告白」を口にするし、隙あらば手を伸ばしてくる。 初めは無視を決めていた秋篠も、最近は諦めも入って適当にあしらっている、という日々だ。 さらに気をつけていないとストレートに告白されて顔が反応してしまう。 嬉しくないはずはない。 秋篠は、それでも沢田が好きなのだから。 しかし一度突き放した以上、どうしても素直になれない。 秋篠はグラついてしまう自分の弱い心に情けなく思いながらも、必死で冷静さを保っているのが最近の現状だった。 秋篠の表情の変化を見て取った相手も申し訳なさそうにしながら、 「いや、あいつこのまま行くと、また留年しそうなんだよ」 「・・・え?! もう、ですか?!」 まだ新しく学年が始まって半分も過ぎていない。 けれど沢田の出席日数はすでに危ういところだ。 「ああ、またこの調子で休み明けも来ないだろうしな・・・それで、他の先生とも相談した結果、この期末で全教科80点以上」 「・・・・・え?」 「取れば、夏の補習は免せてやる、ということで」 「・・・・って、補習が確実だったんですね・・・」 「当然だろ。でもあいつは進学しないのが分かってるし、いくら学費を自分で稼いでるって言ってもなぁ、多めに見るのはここが限度だな」 「・・・・ええ?」 秋篠は初めて聞く言葉にまた驚いた。 「が、学費って・・・沢田さん、奨学生なんですか・・・?!」 「いや、そうじゃない。入学金を払った後、親が蒸発したとかなんとか・・・親戚にもあまり頼りたくないとかで、出来るだけ自分でしようとしているみたいだな」 「・・・・そんな、」 愕然としたまま、秋篠は固まってしまった。 担任はしゃべりすぎた、と感じたのか気まずそうに咳払いをした後で、 「いや・・・そんなことはどうでもいいんだが、お前に頼みたいのは、つまり沢田に言ってやってくれないか?」 「・・・僕が、なにを?」 「沢田に勉強しろって、お前が言えば・・・聞くんじゃないかと思ってな」 「・・・・・・・」 沢田のラブコールは誰の目にも明らかだ。 男子校とはいえ、ここまであからさまに男へアプローチしている男のことが公けになり、誰もが黙認しているのもどうかと思ったけれど、それを利用しようとしているあたりこの学校の大らかさが見える。 とりあえず頼む、と言われてしまった秋篠は、頼まれても困る、と嘆きたいのを誰にも言えず立ち尽くしてしまった。 「え? んなの無理に決まってんだろ?」 秋篠はそのあっさりとした答えに落胆を隠せず途方に暮れた。 教室に戻って、今学校に着きました、と言わんばかりの沢田を見て秋篠はとりあえず言われたことを伝えた。 秋篠に声をかけられて嬉しそうな沢田はしかしあっさりと、そう答えたのだ。 秋篠も分かっている。 沢田の学力はきっと学年でも下から数えたほうが早い。 しかしバイト命の沢田にとって、夏休みの補習授業はきついはずだ。 「でも、夏休みに補習に来ることになりますよ?」 その条件をもう一度伝えてみるけれど、沢田は自分のことであるというのに誰より他人事のように、 「ああ、ムリムリ、もう予定入れたし」 「・・・じゃ、また留年されるんですか?」 「いや? そうならもう辞める」 「・・・・え?」 簡潔な決断に、秋篠は耳を疑った。 しかし沢田は誰にも、何ものにも縛られていないようかのように、 「別にガッコなんて、来なくてもいいしなー。働いていられるんなら、別にいつでも辞めたっていいから、本当は。今来てんのだって、シノに会うためくらいだし」 さらりと気持ちを伝えた沢田だったけれど、秋篠はそんなことはもう耳に入っていないようにただ心臓がドキドキしていることに集中していた。 秋篠にとって、学校というものは当然のように通うところだった。 それが日常で、崩れるものではないと思っていたし、沢田もサボリがちではあるけれど同じものだと勝手に信じていたのだ。 しかし沢田は秋篠とは全く違う状況にいる存在だった。 秋篠は聞いていない、と心の中で呟いた。 沢田の環境がどんなもので、どうして一人暮らしをしているのかも、知らなかった。 沢田のいきなりの気持ちを必死で撥ねつけようとしながらも、秋篠は絶えることなく続けられる告白に安心していた。 答えるつもりはない、と言い続けてずるいと思いながらもそれでもどこかでホッとしていたのだ。 沢田とは執着するものが違う。 世界が違う。 秋篠はそう改めて実感して、自分の足元がぐらつく気がした。 しかし弱い自分を知られたくない天邪鬼な部分が、必死に強がりを見せる。 「そうですか」 秋篠はただ冷静に、と自分を落ち着けて、 「じゃ、一緒にいるのも夏休みまでですね」 「・・・・へ?」 その一言に沢田の目が驚くのを見てから、 「僕、学校以外で沢田さんと会うつもりとか、ないですから。短い間の同級生でしたけど、沢田さんのご活躍を願っています」 「ちょ―――」 「もう会うこともないでしょうから、言っておきますけど、お元気で」 秋篠は最後の力で顔を笑顔にした。 反対に沢田は驚愕を一杯に広げて動揺を隠し切れず、 「ちょ、ちょっと待て待て待て! な、なんでそうなる?!」 慌てて、何かをどうしよう、と落ち着かない沢田に秋篠は何の未練もないように、 「なんでもなにも・・・だって、ただのクラスメイトですから。僕達」 「シノ――――っ!」 頼むから、と身体中の力を抜いて崩れ落ちそうな沢田は、もう一度自分に力を入れるように顔を上げて、 「する! 勉強、します! 学校も辞めません! だから会わないとかだけは止めてくれ・・・!」 真剣に見つめる視線に、秋篠は背中が冷えるのを感じた。 しかしそれは絶対に見せられない、と手に力を込めて、 「・・・そうですか、じゃ、勉強頑張ってください」 それだけ伝えて、沢田に背を向けた。 背中に視線を感じながら、秋篠は全身で動揺していた。 許されるなら、ここで泣き崩れそうなほど気持ちが揺らいでいたのだ。 なんて自分は傲慢なのだろう、と弱すぎる心に呆れてもいた。 どこかで、沢田がそう言うのを知っていたのだ。 秋篠が突き放せば、必死で追いかけることを知っていた。それを期待していた。 そしてその通りになったことで、誰よりも安堵しているのは秋篠自身だ。 秋篠は不安で仕方がなかった。 このまま、強がっていて大丈夫なのだろうか、と毎日不安で一杯だった。 沢田は毎日好きだと言い続けるけれど、それがいつまで続くのかは秋篠には分からない。 こんな強情なだけの相手は、どうせ一度抱いてしまっているのだしいつ見捨てられても文句は言えないのだ。 本当なら、こんなに強気になれるのはおかしい。 離さないで、と必死に秋篠が縋り付いてもおかしくないほどの気持ちなのに、秋篠はそれが出来ない。 沢田が必死になってくれるのを、毎日安堵している事実に秋篠は情けなくなってしまった。 もし、沢田が他の誰かを好きだと言っても、「やっぱり」と怒って、それでも笑顔で応援してあげられる強さが出来るまで、秋篠は願った。 嬉しさと辛さで揺れ動く自分の気持ちが、落ち着くまで沢田の気持ちを自分に向けていてください、と誰かに願った。 |
to be continued...