恋愛シーソー 後半戦4 「・・・酷くして、ごめん。お前を泣かせることなんか、もう二度としない。だから、俺を好きだと、言ってくれ」 羽崎に秋篠の気持ちは知られていた。 確かに、秋篠は沢田が好きだったのだ。 だからこそ、赦せないことがあった。 けれどどこかで、弱い自分がその手を嬉しいと泣いている。 いっそ縋り付いて、側にいて、自分を見て、と泣き出してしまえと甘い誘惑が湧き上がる。 心の中の葛藤をしかし、どうすることもできずただ徐々に力の込められる抱擁に、硬直したまま受け入れることも撥ね付けることも出来ないでいた。 「羽崎じゃなくて、シノが好きだ。本当に、苦しくなるくらい、シノのことしか考えられないくらい」 背中に手を這わせて抱き寄せながら、熱い唇が頬に、額に、瞼へと落ちる。 時折、唇をも掠めて、熱の篭った吐息で耳許に好きだ、と囁く。 どうしてこんな展開になったんだ、と秋篠は困惑しすぎてどこか違うところに出てしまった思考が巡る。 今日は勉強をしに来たはずだ。 沢田に何を言われても、秋篠は答えるつもりはなかった。 そう決めた意志を強く持って、何があっても動揺しないつもりでいた。 この部屋で、泣き出してしまうほど辛いことをされたこの部屋で、もう一度二人きりになるのは秋篠にとってかなりの勇気が必要だった。 そのせいで部屋の前でも、ここに来るまでも何度も逡巡した。 いつものようになんの考えもないようにただ告白を繰り返す沢田など、惰性のようなものだ、と割り切るつもりでもいたのだ。 だが沢田の熱い手が秋篠の身体に触れて、いつもより真剣で強い視線が秋篠を離さない。 それにどうしても苦しくなって、秋篠は固まってしまっていた気持ちがどこか外れて、それと一緒に硬直した顔がくにゃりと歪んでしまうのを止められなかった。 「・・・沢田さんは、ずる、い、」 「・・・シノ?」 「なにも、分かってない」 こんなに苦しい気持ちを何も知ってはいない。 羽崎の代わりとして抱かれたことは、確かに赦せないけれどもうどうでも良かった。 沢田は羽崎ではなく、秋篠を見ているのだ。秋篠のことだけを考えているのだ。 そう思うと、ますます苦しい。 「何も、分かってないんだ、貴方は、」 「・・・俺が、なにを?」 覗き込むように聞き返されて、秋篠は溢れた涙が零れて落ちるのを止められなかった。 しかし拭うことも泣くそのまま沢田を睨んで、 「僕を抱いた、償いなんて要らない。少しの、気の迷いなんて、要らない。一瞬の気持ちなんて、要らない」 秋篠の想いは自分で確かめるとその分だけ、増えていくようだった。 酷い男だと分かっているのに、気持ちはただ増加する一方だ。 けれどそんな秋篠の気持ちを知らないまま、沢田は簡単に告白を口にする。 秋篠は反対に、それに簡単に答えることなどできない。 自分の気持ちがどれだけ執着が強く醜く鬱陶しいものか、誰よりも秋篠自身が理解していたからだ。 ここで一度でも、沢田に受け入れられてしまうと、もう秋篠は戻れなくなってしまいそうだった。 一生側にいられるわけではないと、恐怖を抱えて生きなければならない。 いつか振られてしまうのだと、不安を持ち続けていなければならない。 それが、怖い。 そうなった自分が今より哀れで、辛くて、ならば近寄らないほうがましだ、と抵抗していたのだ。 「遊びなら、良かったのに」 お祭り好きで、楽観主義者で、一見軽薄に見える沢田が、本当は責任感が誰より強いことも、もう秋篠は知っていた。 秋篠の気持ちを知らず、ただその場の雰囲気で抱いただけなら、一夜の気の迷いと言い切れるものなら、それで良かった。 きっとこの想いに辛くても、諦めがついたはずだ。 けれど沢田は秋篠の気持ちを知ってしまったのだ。 沢田が、秋篠を突き放すことはない。秋篠が執着している間は、沢田から離れることはない。 「付き合ってもらう」ことなど、秋篠のプライドが許さない。 その想いを込めて睨みつけて、 「僕が、どんな気持ちなのか、全然知らないでしょう、沢田さんは」 こんな強情な人間は振られてしまえばいいのだ、と自棄になりながら呟くと、その目の前で沢田が笑った。 「・・・シノ」 ふ、としたそれはとても柔らかくて、硬く尖った秋篠の気持ちを包み込んで溶かしてしまいそうなほど、暖かかった。 「お前こそ、俺の気持ち分かってねぇな? 責任とるだとか、遊びだとか、そんな気持ちで俺が見込みもないような相手を追いかけると思うか?」 「・・・沢田さんは、責任感が、強いから――」 「お前が思うほど、俺はそんな人間出来てねぇよ。誰より、最低な男だって自覚もある。お前を、好きだって・・・本気で、そう思っているって、これからじっくり時間かけて教えてやるから、だから言えよ」 「・・・さわ、ださ・・・」 「俺を好きだって、言えよ。頼むから、言えよ」 「・・・沢田さん―――」 とろり、と蕩けるような笑みで、沢田は秋篠の頑なな心を溶かしてしまう。 これまで必死に強情を張ってきたことなど、無碍にするように簡単に秋篠を掴んでしまう。 腕に抱きとめられて、自分より大きな肩に縋りつきたくなって、身体を震わせた。 言ってしまおうか、と気持ちが揺れる。 このまま沢田の背中に手を回して、力を入れるだけできっと沢田は分かってくれる。 今までの気持ちが収まりつくわけではないけれど、きっと全身をただ安堵が襲って嬉しくて仕方なくなるはずだ。 それだけは、確実に今分かる。 逡巡する秋篠をしっかりと抱きしめた沢田は身体を摺り寄せるようにして、 「・・・シノ、暖かいな、」 その温もりを確かめるように呟かれた。 「・・・・・?」 甘い空気に呑まれて、腕を回そうとしたときだった。 不意に秋篠の脳裏にこの状況が浮かぶ。 暖かい? 秋篠は視界にある狭い部屋のベッドを見て、遠くない過去を思い出した。 このベッドで、無理やりだけれど抱かれたあの日、沢田の身体はこんなに熱かっただろうか。 クーラーを切ってもまだ冷気の残るこの部屋で、沢田に触れられる場所以外は寒さを感じるというのに、その沢田の身体は発火しているように熱を感じる。 その沢田が秋篠を暖かい、と言う。 「さ・・・・沢田、さん?」 「・・・・寒い」 抱きしめられるというより、力なくしな垂れかかられる、というほうが正しいように寄りかかられてきて、秋篠は初めてその身体を押し返す。 「沢田さん?!」 「シノ・・・さむい」 クタ、と秋篠という添え木をなくしただけで沢田の身体は床に崩れた。 その顔は頬を染めたというより、確実に熱を持って熟れている。 額に触れるまでもない、沢田の身体全体が、熱かった。 熱があるのだ。 そのまま意識を失くしたように返事もなくなった男に、秋篠は一気に冷えてしまう頭を抱えて、 「・・・・っ最低――――――!!」 聴こえてはいないだろう耳に罵った。 |
fin.