恋愛シーソー 前半戦4





「目、悪くなるよ」
言われて目を上げると、机の向かい側に食べかけのパンに齧り付きながら羽崎が座るところだった。
秋篠はそれを見て笑って、
「図書室は飲食禁止だよ」
「細かいこと気にするなよ」
図書室の一番隅のこの場所は、秋篠の定位置だ。
素早く昼食を終えて、この隅で窓から差し込む光で本を読む。
今日は雨だけれど、昼間はそれでも明るい。
室内照明でないことで、羽崎は目に悪いといつも言うのだが秋篠はこれが好きなのだ。
秋篠の手元を覗き込んで、
「また推理小説だし・・・よくおんなじの読めるよな」
「同じじゃない。ひとつひとつちゃんと違うものだ」
「おんなじだよ、殺人が起こってトリックがあって探偵が説く。それだけじゃん」
「違う、全然違う」
大人しい秋篠は羽崎のこの言葉をいつも真剣に否定する。
好きなものを否定されたくはない。
しかしお互い本気で言い合っているわけではないので、いつのまにか苦笑で終わるのだ。
いつもは、それで終わるはずだった。
けれどいつのまにか羽崎の視線は真剣で、秋篠を貫くような視線で見ていた。
「本の中じゃうまくいくトリックも、現実はそんなに簡単じゃない」
「・・・・・・」
秋篠はその視線を正面から受けて、声を失くす。
暫く見詰め合ってから、逃げられない、と秋篠は先に目を伏せて溜息を吐いた。
「・・・・相手が単純だと、簡単に引っ掛かるもんだよ・・・」
「まぁあいつら相手なら、それで充分だね、全員信じ込んでるよ」
「羽崎は、どうして気付いた?」
パンを最後まで食べてから、羽崎は呆れたように、
「気付くだろ、普通! 携帯は着歴が残るのが普通だし、問題の非通知電話は午前5時前、その前は沢田さんの部屋に行く前に駅からかけた川杉からのだから前の日のだけ。なんで夜中の12時に帰ったはずのお前が、朝方の非通知を知ってんだよ?」
聞いた話を纏めてしまった羽崎に、秋篠は苦笑するしかない。
「うーん、バレないと思ってさぁ・・・」
「あの人たちは気付いてないよ。全然。そういうトコ、抜けすぎてる。あの非通知も、お前だろ? 自分の携帯を非通知設定にしてかけたらいいんだもんな」
「・・・慌ててたからね、そんなことしか出来なくてさ」
「なんで逃げた?」
羽崎の視線は真直ぐで、秋篠は開いていた本を閉じて机に置いた。
その上に頭を伏せるようにして、
「・・・・なかったことに、ならないかなぁ、と思って」
「・・・・イヤだったんだ?」
羽崎の口調は優しい。
一見、羽崎はとても強い印象がある人間だ。
気も強いし言葉もきつい。
表情もそれに負けないように視線を揺るがすこともない。
けれど本当は弱くて情けない自分を隠そうと必死なのだ。
強がっている、だけだ。
秋篠は付き合いの長さからそれを知る。
傷付きたくなくて、先に誰かを傷付けてしまう羽崎が、秋篠はとても哀れでそして、好きだった。
ある意味自分にはない強さを持つ羽崎が、とても好きだった。
「羽崎、男に抱かれるのが好きな男なんて、そうそういないよ?」
「そっか? 慣れるといいけど? あれ」
「・・・・慣れたいとも思わないよ・・・」
「で、なかったことにしていつも通りになればいい、と秋篠は思ったんだ?」
「・・・それが一番、円くおさまると思わないか? ちょうど沢田さんだって忘れてくれているみたいだし」
「でもさ、お前の気持ちはどうなるんだよ? イヤだったんだろ?」
「・・・・・・いいはず、ないよ」
「ならさ、怒れよ! 怒って沢田さんに謝らせろよ、なんにもなしで終わらせるなんて、沢田さんに都合良過ぎじゃん?!」
「ことを荒立てるより、このほうが誰も傷付かないと思って」
「秋篠が傷付いてるだろ?!」
「羽崎、声が大きい」
「秋篠・・・!」
感情的になる羽崎を、あくまで冷静にしようとする秋篠は顔を顰めた。
それが内側からの感情のものだと、羽崎には解かる。
傷付いていないはずがないのだ。
それを冷静に納めようとする、大人振る秋篠が羽崎には納得できない。
感情的だと言われようとも、秋篠は羽崎にとって大事な友人の一人だった。
その秋篠を傷つけられて、黙ってなどいられない。
「怒れよ、みんなお前の味方になってくれるし、絶対助けてくれる」
「・・・味方なんて欲しくないよ、このまま、忘れてくれるほうが僕は良い」
「無理だ」
耳に入ったその声は、話に夢中になっていた羽崎のものでも秋篠のものでもない。
突然の第三者の声に驚いて同時に振り向くと、秋篠のいた大きな机の向こうに沢田が他の友人を引き連れ立ち尽くしていた。
「なんでここに・・・ついて来たな?!」
羽崎が年上の友人達を諌めるけれど、その筆頭の沢田はそれも耳に入っていないのか真っ直ぐに秋篠を見たままで、
「お前なんで・・・なんで言ってくんねぇわけ?! そんな細工してまで、なかったことにしたいのかよ?!」
「したいですよ、沢田さんは違うんですか?」
正面から秋篠は返した。
その強さに沢田のほうが顎を引いてしまう。
「覚えていないのなら、忘れたままでいいじゃないですか。どうして僕がなかったことにしようとしているのに、掘り返そうとするんです?」
「そん・・・っそりゃ、覚えてねぇけど! もう知らないままでいられるはずねぇだろ! 怒れよ! 俺を殴ってもいいし、罵ってもいいから!」
「嫌です」
きっぱりと宣言した秋篠に、誰もが声を失くす。
見守っているようにしていた周囲も、驚いて秋篠を注目してしまう。
怒らない、罵らない。
それを嫌だという秋篠の真意が解からなかったのだ。
秋篠は驚いたままの沢田に深く息を吐いて、
「・・・あのときに、僕が考えたのは二通りだけです」
「二通り・・・?」
「沢田さん、すごく酔ってましたから――もし、覚えていなければ何もなかったことにしようと」
「無理だ。もう知った」
「・・・・覚えていたときは、」
秋篠の選択を否定する沢田を見上げて、強くその目を睨んだ。
「二度と、僕に近づかないで下さい」
「な・・・・・っ」
再び、沢田は声を失くす。
それほど、秋篠の目は真剣だった。
ここまで強く意思を見せる秋篠を、初めて見る。
しかしそのまま頷けれはしない沢田は、すぐに自分を取り戻して、
「なんで?! そりゃ俺が最低なことしたのは解かるけど! それでも俺シノのこと好きだし、このまま別れるなんか――」
「付き合ってもいないのに、別れるもなにもないですよ。さらに言えば、友達でもない。ただクラスにいる存在として、この先縁のない付き合いをしていきましょう」
「――――――――」
いきなり突きつけられた最後通知に、沢田は思考も止ってしまうほど固まってしまった。
代わりに慌てたのは傍観していた周囲で、中でも羽崎は自分が見破ったせいだ、と顔を顰めて机に乗り出し、反対側に立っていた秋篠の手を掴んだ。
「秋篠――」
「痛い」
「え?」
少し触れただけのその動作を、秋篠は手を振り払うようにして眉根を寄せる。
それから一人だけ着ていた長袖の腕を翳して、
「強姦以外の、なんだったっていうんです?」
袖を捲くって細い腕を見せた。
その光景に誰もが息を飲む。
白い肌に残る、赤黒い痣。
いまだはっきりとそれがなんなのか解かるほど、しっかりと刻まれた痕跡。
沢田の手の痕が、そこに残っていた。
そのまま誰とも視線を合わせないまま、秋篠は足早に立ち去った。
姿が見えなくなってから、呆然と立ち尽くしたままの沢田はへたり込むように図書室の床にしゃがみ込み、
「・・・・・簀巻きにされてぇ・・・」
誰よりも低い声で落ち込みを見せた。
その願いは、しかし誰も叶えてはやらない。
それくらいの罰で赦してやろうとは誰も思ってはいないのだった。
秋篠の変わりに、誰もが口々に罵った。


to be continued...



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