恋愛シーソー 前半戦2 沢田和喜(さわだかずき)はふと目が覚めたけれど、もう一度寝よう、といつもの調子で夏布団を身体に巻きつけた。 その後で、今日はバイトの日だ、と思い出す。 仕方なく起き上がって驚いた。 全裸だったのだ。 「・・・・・あ?」 寝起きの気だるさも何もかもが吹き飛んだ。 改めてベッドを確認してみれば、昨夜の痕跡がはっきりと分かる。 汚れたリネンはそのままで眠ってしまったようだった。 沢田はその現実を目の前にして数秒後、動き始めたロボットのように身体を動かしベッドから汚れたシーツを剥いだ。 そのまま部屋の玄関横にある洗濯機に放り込みそれを動かして、身体はそのままユニットのバスルームへ入る。 バスタブへシャワーを流して、初めの冷水から人肌になった頃その中へ身体を入れた。 「・・・・・・・・・」 頭からシャワーを浴びて、全裸のままの自分の身体を眺める。 その瞬間、 「・・・・うわああぁぁぁっ?!!」 嘆いたように頭を抱えてそこに座り込んだ。 何なんだ、何が起こったんだ、どうしたんだ、と疑問だけが脳内を駆巡り、確かな答えは誰も答えてはくれない。 なんとなく、誰かを抱いたような気がする。 いや、現実を見れば、誰かと確実に身体を重ねているのだ。 沢田はシャワーを浴び続けていることも気にならないのか、そのまま呆然として固まってしまった。 覚えて――いないのである。 シャワーのせいで身体は徐々に温もりつつあると言うのに、内側からブリザードが吹き付けるように冷え込んでしまった。 沢田のこの部屋はワンルームの学生マンションだ。 六畳ほどのフローリングに、壁に取り付けられたクロゼット。 料理をする気にもなれないほどの小さなキッチン、ユニットのバストイレと洗濯機が玄関脇だけれど室内に置けるのがまだましな狭い部屋だった。 今この部屋に、誰かが隠れているとは思えない。 では、もうこの部屋には住人の沢田しかいない。 けれど、夜は一人ではなかったのだ。 相手がここへ来て、いつ帰ったのかすら知らない。 それはないだろ、まずいだろ、と沢田は記憶力のない自分の脳みそを打ちつけるように額を壁にぶつけた。 そうしている間に、昨日の夜を思い出す。 昨日は土曜日で、夜から高校の友人達が集まっていた。 学校に近く、なおかつ一人暮らしをしている沢田の部屋は自然と溜まり場になってしまう。 それは図らずも同じマンションに住んでいる友人も同じ状況だったけれど、付き合う相手のいない沢田のほうが、気兼ねなく誰もが遊びに来ていた。 昨日も来ていたのは仲の良いメンツで、楽しくアルコールを消費していたはずだった。 いつまでもそうしていても仕方ない、と沢田はシャワーを切り御座なりに身体を拭いて部屋へと戻る。 その部屋を確かめてみれば、飲み会のあとにしては綺麗に片付いていた。 いや、普段よりも片付いている。 いつも乱雑になっている雑誌類は重ねられて脇に避けてあるし、飲み終わった瓶や缶はそれぞれ袋にいれて隅に置いてある。 燃えるゴミも同じだった。 その状況すら、理解できなかった。 悪友を思い浮かべても、そんなことをしてくれるとは思えない。 沢田が一人、進級できなくなったときもそのお祝いだ、と騒いでくれた友人たちである。 とりあえず一人でいてもどうしようもない、と沢田は床にあったジーンズとシャツを着て部屋を出た。 行き先はひとつ階下に行っただけの部屋で、真直ぐにその部屋に向かってインターホンを鳴らす。 一度押してすぐに反応がないのを見て、もう一度押す。 今度は返事を待たずに立て続けに何度もそのボタンを押した。 最後にはそのドアを直接手で殴り、 「ハル――! ハルってば!! 起きろよ! いるんだろ?!」 近所迷惑も顧みず沢田は泣きそうな勢いで怒鳴る。そのうちに、 「うるせぇっ!」 沢田に負けない怒鳴り声と同時にドアが押し開かれた。 「てめいい加減にしろよっ?! 休日の朝っぱらから押しかけてきやがって覚悟は出来てんだろうなぁ?!」 「・・・・ハル――・・・」 部屋着のジャージを穿いただけの格好で、機嫌も悪そうに出てきたのは三年に進学した菊池ハルだ。 校内で知らぬもののないほど浮名を流した男、と有名な友人だが、この春から真剣に付き合い始めた恋人が出来たこともすでに全校の知るところだった。 昨日の飲み会にこの菊池は参加していない。 きっとその可愛くて仕方ない恋人と過ごすのに夢中だったのだ。 その朝に割り込むのは野暮だと、菊池の可愛い年下の恋人にも申し訳ないとは思うけれど、混乱しきった沢田にはそんなことを考える余裕はない。 「・・・なんて顔してんだよ、お前、」 菊池が顔を顰めてそのトーンを下げるほど、沢田は情けない顔をしていた。 シャワーを浴びたままで濡れっ放しの髪に蒼白の顔。 情けなくて涙が零れていないのが不思議なほどだった。 「ハル・・・俺、どーしよ・・・」 昨日のことを思い出そうとして、沢田はどんどん頭が真っ白になるのだ。 そんな沢田を放っておけない、見かけによらず人のいい菊池は背中を気にしながら外へ出る。 ドアを閉めて、それを背に二人で並んでしゃがみ込んだ。 そこで菊池は沢田のこの動揺の原因を聞いてやることにしたのだ。 中に入れないのはやはり、最愛の恋人がいるせいなのだろう。 ざっと筋を話してしまうと、菊池はあからさまに顔を訝しめて、 「・・・あ? 別にいんじゃねぇの? だってヤラれたわけじゃなし」 「お前・・・っ! 非道っぷりもいい加減にしとかないと五十嵐くんにだって愛想つかされるぞ?!」 「なっ、てめ、相談に乗ってやってんのに・・・!」 「だいたい、俺をお前と一緒にすんなよ・・・遊んでたってヤリ逃げなんかしたことねぇし、記憶を飛ばしたこともねぇし、何なんだよ、この状況は・・・」 俺だってヤリ逃げしたことなんかない、と菊池は言い返しながらも沢田の落ち込み具合に同情したのか、溜息を吐いて、 「もう一回、思い出してみろよ、昨日・・・誰が居たって? いつものメンツだったんじゃねぇの?」 それに不安を覚えながらも沢田はもう一度昨日の夜を思い出した。 「うん・・・福田だろ、川杉と、武川と・・・多分、羽崎もいた」 「・・・・羽崎も一緒だったのか?」 「だって川杉がいたんだぜ?」 「・・・そりゃそうか」 ついこの間まで、菊池の一つ下、現在沢田と同学年の羽崎は菊池を追いかけていて少し困った存在だった。 それが最近、どうやら仲間内である川杉と付き合い始めたらしい。 はっきり公表されたわけではないけれど、雰囲気で感じ取れるほど全員そういう気配には聡かった。 それを思い出し、沢田は深く溜息を吐く。 「・・・なんだよ」 「いや・・・羽崎さぁ・・・」 言い渋る沢田に、菊池はさっさと言え、と急かす。 「だから、なに?」 「羽崎・・・・・ちゃんと川杉と帰った、よな・・・・・?」 「はぁ?」 「いやもう、本当、夢だと思うんだけど・・・! いや夢であって欲しいんだけど!」 沢田はいっそここにのめり込みたい、と言うほど頭を下げて、低く呟いた。 「・・・・なんか、羽崎抱いた気がする・・・・・・」 「・・・・・・・お前、」 「いや! 多分夢だと思うけど!! それはさすがにないだろうけど!」 呆れた菊池の声にすぐに沢田は自分で否定した。 しかし、どこか残る記憶に――感覚に、自分の口が羽崎を呼んだ気がするのだ。 羽崎が好きだったわけではない。寧ろ、報われない思いを抱えていたことに哀れんでいたのだと思っていた。 羽崎は男にしては綺麗な容姿だった。 吊ったような目尻は白い肌に良く合い、気の強い気性そのままの顔をしていた。 少し自信がありすぎるようなところも、よく見れば必死で自分を守っているようで痛々しくさえ思えるほどだったのだ。 この友人である菊池を追いかけて追い続けて、そして振られた。 決定的なその事実に、羽崎はかなり荒れていたのだと思う。 そこで何があったのかは解からないが、川杉がいつのまにか側にいたのだ。 この川杉という男も菊池とはまた違って人癖ある男で、無口かと思えるほど何も口にしないときもあれば、一度口を開けば呆れるほどの皮肉がそこから飛び出す、あからさまに人を見下ろした人間なのだ。 そんな二人がどことどうしたのかは解からないが、川杉の隣で羽崎は落ち着いたようだった。 菊池と新しい恋人のように周囲を巻き込むほどのバカップルぶりを見せてはいないけれど、隣にいることが自然に思えるほど雰囲気が落ち着いている。 荒れた羽崎を見ていた沢田としては、それが胸を撫で下ろすようにほっとしながら、どこか落ち着かない気分になった。 決して好きだというわけではないが、ずっとそれが心にあった。 そのせいかもしれない、と沢田は自分の邪な思いに落ち込んでしまう。 菊池はその沢田を見ながら呆れた溜息を吐いて、 「訊いてみりゃ早いだろ」 「お前、そういうけど・・・」 沢田が困惑しているのを横に、菊池はさっさと携帯を取り出してアドレスから友人を探してさっさとかけてしまう。 「ハル・・・っ」 「うるさい、黙ってろ・・・・あ、川杉?」 慌てた沢田を抑えて、菊池はすぐに反応のあった電話に耳を傾ける。 「おはよ・・・ああ、悪いな、まだ寝てたって? そりゃそうだよなぁ・・・いや、お前さぁ、昨日羽崎と帰ったのか? ・・・・ああ、やっぱり。いや、ならいいんだけど・・・昨日沢田んちで飲んだだろ? そのとき、誰が他にいた? うん・・・・ああ、そっか、最後に帰ったやつ、解かる? え? ・・・まじで?」 菊池の声だけが聴こえることが、まるで拷問に耐えるかのように沢田は心臓がドキドキした。 菊池が会話を終えてもう一度沢田に振り返ったとき、これ以上にないほど情けない顔をしていたに違いない。 その沢田に菊池はあっさりと、 「秋篠くんだってさ」 「―――――――はあ?!」 沢田はまた、間抜けな顔をしていただろう。 それほど、予想外の返答だったのだ。 |
to be continued...