ラブレター  2




「お前、代筆屋と付き合ってるって、マジで?」
黒蜜 衍路(くろみつ えんじ)は透明感のある美しさを持つ青年だった。
少年と呼ぶには大人びていて、男と呼ぶには清楚なのだ。
およそ、綾部の見てきた同年代の高校生とは思えないほど落ち着きと清廉さを持ち合わせた黒蜜は、いくら見ても飽きなかった。
綾部が便箋に向かって必死になっているとき、黒蜜は優雅にペンを滑らせる。
時には葉書に筆で何かを書いている。
忙しそうだな、と思うけれど、綾部は二人きりになるこの部室へ通うことを止められなかった。
それが連日続いた朝、情報の早い緑川が少し驚きを込めて綾部に向かった。
「は?」
はっきりと顔を顰めて見せると、緑川は少し安堵をして、
「なんだ、ガセか・・・」
「え? なんだよ、って、そういう噂があんのか?」
「まぁ・・・どこからともなく、代筆屋って、顔キレイだろ? 実は人気があるってゆうか・・・」
「・・・・・男だけど?」
「男子校で女見つけるほうがおかしいだろ」
そりゃそうだ、と綾部は頷きながら、黒蜜の美しさを思い出した。
話題に上らないはずはない。
綾部しか知らないはずもないのだ。
 ――俺だけじゃ、ないのか・・・
綾部はそのことに、いくらか落胆した自分に気づいた。



これは、創業百年を迎える老舗呉服屋の気楽な三男、何に拘りを持つでもなく、好きな服を着て好きに遊ぶ周りの目も気にしないある意味お坊ちゃんな男の、恋の手解きである。



滑らかに、滞ることなく細い筆ペンで文字を綴る姿を、綾部はじっと見つめてしまった。
見ないようにしなければ、と思うのだけれど、視線はもう理性で制御できるものではなく、そして一度視界に捉えれば放すことなど無理だった。
こうして、綾部の放課後は二人きりの部室で終わるのだ。
黒蜜は視線を手元に落としたままで、ふ、と笑った。
その笑みにも綾部はどきり、と反応してしまう。
「書けましたか?」
言いながら、黒蜜は筆ペンを置いた。
そちらのほうが書き終えたようだった。
綾部は自分の手元を見て二行ほどで止まっていることに慌ててしまう。
綾部が手紙を書く、と言いだした以上、黒蜜はそれにつきあってくれるらしい。
しかし、その手紙の原案は綾部が書くのだ、と数日前からこうして文章を考えているのだが、まったく言葉が浮かばないのだ。
黒蜜の視線が綾部に向いたのを気に、綾部は視線を下げた。
「う、いや・・・まだ、」
「そんな難しく考えないで、気持を表してくだされば、手紙にあう言葉に一緒に変えるよう考えていきましょう?」
つまり、採点もするので気負わず書け、と言われているのだが、生まれてこのかた手紙なんてものは印刷の年賀状ほどしか書いたことのない綾部にはかなりの高技術だったのだ。
「どこまで書けました?」
黒蜜は自分の席を立って綾部の後ろに移動してくる。
「あ、や、まだ・・・っ」
慌てて隠そうとするけれど、その手を黒蜜の細い指が押し留めた。
決して、強い力ではない。
むしろ女性のような柔らかさであるというのに、綾部はそれを払いのけることができない。
自分の左手にかかる、黒蜜の指先を今度はじっと見つめてしまう。
固まったようになっていると、黒蜜が後ろから覗き込むようにして綾部の手元を見てきた。
「・・・・・っ」
顔が至近距離になったことに、綾部はごくり、と息を飲んだが、その音が相手に聴こえたのでは、と背中に緊張が走る。
しかし黒蜜は変わらない顔で二行の便箋を見て、
「・・・君のことが、気になって仕方がないのです。どうすれば良いのかも、解からなくて、」
「あ・・・!」
黒蜜の透明感のある声を聞いて、そのフレーズは自分が書いた言葉なのだ、と気づいた。
しかし羞恥に染まった時にはすでに読まれてしまっていた。
黒蜜の途切れた言葉までしか、書けていないのだ。
黒蜜は少し笑った。
「恋文ですね」
それは嘲笑するものではなく、どこか羨ましさを含んだものに見えて、綾部はその意味を深く知ろうと間近なままで黒蜜を見詰めた。
「・・・素敵ですね」
綾部の感じたものは間違いではない、と黒蜜がもっと目を細めた。
「こんな・・・っものしか、俺には、ってか、こんなんじゃ、全然・・・」
足りない、解からない。
綾部は自分の戸惑ったままの気持ちを口にすると、黒蜜がゆっくりと視線を向けて、
「とても・・・解かります。先輩の、嬉しさと、不安が混ざって・・・これを受け取る方が、羨ましい」
「・・・・え?」
「こんな幸福になる手紙が、僕も欲しい」
手が、綾部の手にかかったままだった。
顔は、その赤い唇まで数センチと離れていない。
視線が間近に絡んで、動けなくなる。
綾部は真っ黒な目に自分が映っているのがはっきりと見えた。
気持が騒いで、凶暴な感情が押し上げてくる。
もう少し顔を寄せただけで、唇が重なる。
そうしてしまいたい衝動に気づいて、綾部は勢いよく顔を逸らした。
「・・・・あ、」
逸らしてしまってから、背中に冷たいものを感じる。
「あの・・・その、」
この気まずい空気をどうしたら、とついでに納まりそうもない動悸をどうにかしなければ、と考えていると、先に黒蜜の手が離れていった。
慌てて顔を向けると、すでに身体も綾部から離れ元の席へ戻っている。
それに落胆を感じている自分にも呆れ、話題を変えよう、と黒蜜の席にある便箋に向けた。
「・・・それは、何を書いているんだ?」
「これは、校長先生からの依頼で、今度の理事会に対する案内状です」
「・・・・一枚一枚、書いてる・・・のか?」
「ええ、10枚ほどですし・・・コピーでは、筆で書く意味がないでしょう?」
それにしても、と綾部は達筆で書かれた文字に半ば呆れてしまう。
「お前、それ無償だって聞いたけど・・・」
「はい、部活の一貫ですので」
「部活って・・・部活にする前から、無償だって聞いたぞ?」
良く知ってますね、と微笑まれて、綾部は新聞部の部長がクラスメイトで、と正直に答えた。
「好きなんです」
「・・・・・・!」
正面から言われた告白に、綾部は全身に緊張が走る。
その綾部の顔を見て、黒蜜は苦笑にそれを変えた。
「書くことが、好きなんです・・・だから苦ではありません」
「・・・そ、そう、か」
綾部は緊張を解きながらも、落胆していることにも気づく。
そんな自分が愚かに思えて、気を取り直すように自分の手紙を見る。
「お前なら・・・もっと、気の利いた言葉で、巧い文章が書けるんだろうな」
気ばかりが焦ってしまって、綾部は言葉すら思いつかない。
しかし、この空間で二人になることが出来るのなら、いつまででも書きあげたくはない、と思っていることも事実だった。
クスリ、と前で笑われて、綾部は視線を上げる。
そこには、楽しそうに目を細めた黒蜜がいた。
「僕なんて、何も書けない無粋ものですよ。先輩の書く恋文は、誰より気持ちが籠っていて素晴らしいと思います」
「恋文って・・・かさ、そんなんじゃ、全然なくて、これは、」
しかも自分を卑下しすぎだ、と綾部は達筆な文字を見つめる。
黒蜜も自分の手元に視線を落としながら、
「僕には、そのように見えます・・・先輩からなら、それはどんなものでも、何よりも嬉しく素晴らしい手紙です」
「・・・・え」
「本当・・・・・受け取られる方が、羨ましい」
俯いたままの言葉に、綾部はその表情を見ようと顔を屈めた。
それに気づいた黒蜜が顔を上げると、そこにはもう変わらない綺麗な笑顔の黒蜜だった。
「僕は、手紙すら、書けなかったので」
羨ましい、と言う黒蜜に、綾部は少なからず驚いた。
「書けなかった・・・って、書いた、ことが?」
「・・・書き上げられなかったのです、どうしても」
「そんな・・・お前からなら、それこそどんなものだって、嬉しいのに!」
手習いの書き損じだって、大事に取っておきたい。
綾部のその真剣さは自覚のないもので、言いきってから自分に驚いた。
目の前で、黒蜜も少し目を瞠っている。
そのまま少し視線を彷徨わせて、黒蜜は俯いた眼で口を開く。
「・・・先輩も、ですか?」
嬉しいことが、だ。
その表情はあまりに儚く、まるで消えてしまいそうな夢のような存在に思えて、綾部は机の反対側に居るその肩を掴んだ。
掴まれたことに驚いた黒蜜を見て、その肩が見かけよりも細いことに綾部も驚いた。
女性のように柔らかいわけではない。しかし男性のように強くもない。
一体この感触と感情はなんだ、と綾部は自分に混乱しながらも、その手を離せなかった。
「・・・嬉しい、よ」
黒蜜が握る、筆そのものに思わず嫉妬してしまいそうなほど、綾部は本当にそう思っていた。
黒蜜の視線が俯いたまま戸惑い、しかしゆっくりと見上げてきたそれに、綾部は逸らすことなど出来ない。
「・・・書こうとして、何度も書き直して・・・でも、書けなかった。僕は、どうしようもなく、臆病で・・・それでも僕を知って欲しくて、精一杯の気持ちを込めて、部活の案内を書きました・・・」
「・・・・・え?」
「たった一枚だけ、何の意味もない広告だというのに、手が震えて・・・何度も書き直して、それでも出来たものを、下駄箱に入れることがまた怖くて」
「・・・・・黒蜜」
綾部は耳に聞こえる言葉が夢ではないだろうか、と漆黒の眼に吸い込まれそうになりながら考えた。
「興味がないと、捨てられたら・・・諦めようと、最後の気持ちを込めて、」
夢じゃない、と確かめたくて、綾部は手に触れるだけでは足りず、上体を伸ばして腕に抱きしめた。
力いっぱいの腕に、苦しいはずなのに抵抗の力はなかった。
綾部は、現実だろうか、と不安になりながらその腕を解くことは出来なかった。


to be continued...



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