ラブレター 1 「ん? なんだ、コレ」 綾部 衣(アヤベ キヌ)が下駄箱を開けたとき、ひらりと一枚の紙が舞い落ちた。 これが封書などであったなら、最近色めきがない綾部も心弾んだかもしれない。 綾部はそれを眼で追って、スニーカーを上履きに履き替えてから上体を屈めて拾った。 「・・・・代筆部?」 そのものを読んだ言葉に、綾部は不思議な気持ちだった。 正直、何のことやらさっぱりわからなかったのだが、何事にも興味津津なお年頃。 気になってつい熟読していしまった。 しかしそれは熟読するほどの内容ではなく、よくよく見れば部活の宣伝だったのだ。 「・・・受付は放課後第三資料室、なおポストにて手紙でも可? 代筆、手解き承ります? 部長、二年B組 黒蜜・・・なんて読むんだ、これ」 おそらく、細い筆で書いたと思われるそのチラシは、チラシと言うには高級すぎた。 コピーなどではなく、ちゃんとB5サイズの和紙に綾部が見ても美しい文字が綴られているのだ。 代筆、と言うからには何かを代筆してくれるのだろう。 現代、携帯、パソコンの普及で現代人はあまり字を書かない。 けれども趣あるものには興味もあり、こういった仕事も増えてくるのかもしれない。 ――その、波に乗ってんのかな? 綾部は綺麗に擦れもない黒い言葉に、すでに意識を奪われていたことに自覚はなかった。 これは、彼女いない歴3ヶ月、高校三年、ルックスそこそこ、偏差値平均、人生平穏過ぎるのが少し退屈。そろそろ新しい彼女が欲しい、と思う平凡に生きる男の、物語である。 「代筆部ぅ? って、ああ、二年の代筆屋のことか?」 「代筆屋?」 一年の時からの腐れ縁、新聞部の部長を務める緑川なら、と綾部は教室に入るなり下駄箱の一件を話した。 綾部は、今まで一度もそんな名前を聞いたこともない。 しかし緑川は本気でマスコミ志望なだけもあって、校内の情報にも詳しい。 綺麗な和紙で作られたそれを緑川に見せると、ざっと目を通した相手は名前を見て何度か頷いた。 「うん、やっぱ代筆屋じゃん。なんだ、部に昇格したのか?」 いつのまに、と緑川は自分の知らない情報を気にする。 「そうなのか? この・・・二年の、くろみつ?」 「そう、黒蜜衍路。書道家の家でさ、子供のころから習ってて・・・その巧さはすでにプロって言われてる」 「・・・それって、書道が、ってことだよな?」 綾部の言葉に緑川は呆れた顔を隠さない。 「当然だろ、それに黒蜜は、確か頼まれて始めたのが噂で広まって・・・今は教師連中も大事な宛名書きを頼んでるらしいけどな」 ちなみに無償だ、と緑川が言うのは綾部はもうどうでもよく、紙面に書かれた名前に目を奪われていた。 黒蜜衍路。 その名前にただ無性に惹かれてしまったのだ。 ――えんじ、って読むのか・・・これ、 甘そう、と正直な感想を持って、綾部はそれを大事そうに鞄にしまった。 広告らしいけれど、他の誰にも見せるつもりもないし渡すつもりもない。 なぜかそれは、自分のものだ、と自覚もなく思いこんで放課後の予定を決めたのだった。 * 第三資料室、と言われてすぐに場所が解かる生徒は少ない。 特別教室を集めた別棟と、部室棟との境にある場所で、そこに入るには校内ではなく裏庭を経由しなければならないのだ。 綾部がそこを知っていたのは、一年の頃に使わない資料をそこへ持ち運んだことがあるからだった。 その時の記憶を思い出してみても、とてもお世辞にも部室と呼べるような状態ではなかった、と首を傾げた。 雨除けの軒下にあるドアは、今見ても古びたものだった。 資料室、と書かれたプレートすらないそこを、綾部は一応躊躇いつつもノックする。 ノブの隣に小さく設置された簡易ポストを見て、間違ってはない、と感じた。 「・・・はい」 数拍おいて、内側から声が聞こえた。 それに誘われるようにドアを開けると、視界に入ってきたのは自分と同じ制服を着た生徒だ。 「・・・・・・」 綾部はその姿を目に焼き付けようとしたのか、瞬きもせずドアを開けた状態のまま魅入ってしまう。 「・・・・どうしました?」 見つめられた相手のほうが苦笑して、首を傾げた。 それでも、嫌な顔ではない。 「あ、その・・・」 綾部は訊かれて初めて、自分が何をしようとしているのかを考えた。 単純な興味だけでここまで来たものの、何がしたいのか、と言われてすぐには答えが出てこない。 誤魔化すように辺りに視線を向けると、以前は完全な資料室だった場所が目を見張るほど変化していた。 教師すら手をつけるのを放棄した場所を整然と片付け、以前から資料としてあったものは片端に整頓して積み上げられ、棚には混雑していた本なども綺麗に並べ替えられている。 その中で、会議用の長机が一台真中にあって椅子が二つ並べられていた。 もうひとつある机は資料棚とは反対側の壁に向けてあって書道の道具なのか綾部にはよく解からないものが載せられている。 その前に立つ生徒は、カーテン越しに光を背負っていて姿勢の良い身体をすらりとして見せる。 「綾部先輩?」 「え・・・っ」 もう一度訊かれて、綾部は何度か瞬き、その相手を凝視していたことに気づく。 「ええと・・・っ」 綾部は言葉をもう一度探し直し、思い出したように鞄に手を入れた。 「あのさ、これを・・・見て、」 差し出された一枚の紙は、無造作に鞄に突っ込んであったせいで少しよれてしまっていたけれど、文字の美しさは変わらずあった。 相手はそれに少し笑って、 「代筆ですか?」 言われて、綾部はでは目の前の男が黒蜜なのだ、と思った。 真っ直ぐに見詰められて、綾部はとっさに視線を逸らしてしまう。 ――あれ、俺・・・なんか、すっげ緊張してる・・・? 逸らした先に手にある用紙があって、綾部はその中の文字を拾った。 「あ、や・・・うん、これ、手解き・・・って?」 「ああ・・・それは、手紙の書き方や、ペン字の修正などが欲しい人もいますので」 「手紙・・・」 「先輩が、書かれるんですか?」 「・・・・うん」 何故か、綾部は頷くことしか出来なかった。 視線はまた黒蜜に戻り、最早逸らすことも考えられない。 一つ年下である黒蜜は、同じ制服を着ているとは思えないほど上品で、一切の加工をしていない黒髪が、小振りなつくりの顔に似合っていた。 その中でも目が、印象に残る。 綾部から外されない視線。 綾部からも、外すことはない。 黒蜜は空気に溶けるように、笑った。 「どなたへの手紙ですか?」 「・・・その・・・気になる、人に」 綾部の答えに、黒蜜は少し驚いて、それからまた笑う。 「恋文ですか」 恋文。 言われて、綾部は否定も出来なかった。 恋と呼ぶほど確かなものではないけれど、この気持を確かめたくて想いを書き連ねるのなら、そうなのかもしれない。 黒蜜は初めて綾部から視線を下ろし、 「良いですね」 「え?」 「いえ・・・・では、書いてみましょうか」 綾部と重ならない視線で微笑まれて、綾部はその先が気になった。 その中に自分は入っているのだろうかと、ただそれだけが気になった。 それがすでに恋をしているのだと、このときはまだ気付かず、黒蜜の一つひとつの動作を脳裏に焼き付けるように視線を奪われていた。 |
to be continued...