恋愛情緒 4
僕は瀬厨と顔を合わせるように一つの机を挟んで向かい合って座った。 放課後になっていた。 授業が終わっても立ち上がろうとしない、帰らない僕を心配して、瀬厨は一緒に残ってくれた。 「い、五十嵐・・・大丈夫か?」 僕は頷けなかった。 あれから、どうしたんだろう。上手く感情が動かない。 初めて見る顔だった。 なんの感情も持たない顔で、僕を見ていた。そうする、と言った菊池はそのまま誰の制止も聞かずに準備室を出て行ってしまった。 僕はそこで、漸く菊池を怒らせたと気付いた。 あんなに僕に優しくしてくれて、僕の気持ちを解ってくれていた菊池を僕はそれだけは言ってはいけない言葉で突き放してしまった。 それからどうしたのか、よく覚えていない。 気付くとちゃんと教室に戻っていた。 でも周りが何を言っているのかよく理解できなかった。 放心していたんだと思う。 今も、あまり心は戻っていない。 「・・・・瀬厨くん」 僕は二人きりの教室で、俯いたまま口を開く。 「なに? 一体、なにがあったんだよ?」 「僕・・・本当に、やっぱり、性格が悪いみたいだ・・・」 まったく、直ってなどいない。 見返してやろうとか、人より優位に立ちたいとか、そんな浅はかな気持ちが大きい僕は、やっぱり人から好かれるのは難しい。 「せ、性格が悪いって・・・五十嵐が? なんで?」 「なんでって・・・どう見ても、そうだよ・・・」 「五十嵐、なにがあった? 俺、頼りないかもだけど、言ってみて?」 僕は瀬厨に顔を上げた。 真剣に、心配そうな顔が僕を見ている。 瀬厨くんって、本当に可愛いんだなぁ・・・ 「瀬厨くん・・・」 「な、なに?」 「・・・僕、本当に、菊池先輩が好きみたいだ・・・」 「・・・はぁ?」 心が苦しい。嫌われて、凄く心臓が苦しい。 好きだからって解れば、意味が解る。好きになって、あんなに幸せだって思えたから、今すごく辛いのがよく解る。 どうしたらいいんだろう。 「五十嵐? どうしたの?」 「き・・・嫌われた・・・」 口にすると涙が零れた。 自分でもびっくりしたけど、瀬厨はもっとびっくりしてた。 「い、いが、らし・・・! き、嫌われたって・・・菊池先輩に?! 有り得ないだろ?!」 僕は首を振って肯定する。 「・・・っん、も、ほんとに、き、嫌わ、れた・・・!」 僕は一体なにに甘えていたんだろう。 あんまりにも菊池が甘いから。優しいから。 我侭に何を言っても、困らせたって、嫌われるなんてちっとも考えていなかった。 僕は嫌われるようなことばかりしてきたのに、何に甘えてあんなこと言ってしまったんだろう。 菊池のしたいことも、やりたいことも、僕は抵抗できる立場になんかいなかったのに。素直に全て受け入れていれば良かったんだ。菊池がしたいといえばさせてあげれば良かった。 出来るというなら、我慢してじっとしていれば良かったんだ。経験の多い人間の言うことを信じもしなかった。 でも、正直、ちょっと怖かったんだ。 ただ、それだけだったのに。 「何、があった・・・?」 泣き出してしまった僕を、瀬厨はただ優しく訊いて傍にいてくれた。 「・・・真樹? 五十嵐?」 そこに、原田が入って来た。 瀬厨を探していたんだろう。教室で二人残って、しかも泣いてしまっている僕に気付いて戸惑っている。 「どうしたんだ・・・?」 瀬厨に確かめても、瀬厨も困惑してしまっている。 僕はどうにか涙を擦って、 「・・・あの」 心配してくれる二人を見た。 「・・・は、原田くん」 「なに?」 「もし・・・瀬厨くんが、他の人としてくればって言ったら、どうする・・・?」 「・・・・はぁ?!」 二人が一緒に驚いた。 「やっぱり、怒る?」 でも僕は言ってしまった。そのまま怒らせて、嫌われてしまった。 原田は困惑した顔で瀬厨を見て、それから僕に向く。 「よく・・・分からないけど、怒らないと思う・・・けど?」 「・・・・なんで?」 「な、なんでって・・・そりゃ、ムカつくだろうけど、拗ねてるだけだろ?可愛いと思うけど・・・?」 「まっ昌弘・・・っ!」 真っ赤になった瀬厨に、原田は本当だ、と言い切る。 「そう・・・・なの?」 「うん・・・て、五十嵐? 菊池先輩に、そう言ったのか・・・?」 不安そうな原田に、頷いた。 言ったのだ、僕は。勢いもあったし、少し意地になってしまった。 「うん・・・言った」 原田は大きくため息を吐いたし、瀬厨は心配そうに、 「な、なんでそんなこと言ったんだよ? あんなにお前・・・!」 「だ、だって・・・するの、無理だって思って・・・」 「む、無理? やるのが? それだけで?」 「それだけって・・・だって、無理なものは無理だから・・・」 「無理じゃなかったら?! やってみなきゃわかんないじゃん! してみてって俺も言ったじゃん!」 勢いよく言われて、僕は驚いて瀬厨を見た。 瀬厨は何故か泣きそうな顔で、 「なんでしてもないのにそんなこと言うんだよ? 五十嵐、初めはして欲しいって思ってたろ?」 「・・・だ、だけど、そんなことするって知らなかったから・・・」 「自分で無理って思ったら、諦めるのか? そんなことしてたら、欲しいものなんかなんにも手に入んないだろ?」 「・・・・・っ」 僕は頭を殴られたくらいの衝撃を受けた。 瀬厨は正しい。瀬厨は昔から、真っ直ぐだった。 欲しいものは欲しいと言ったし、我侭じゃなく手に入れるべく自ら動いた。だから、みんな憧れて、みんなに好かれた。 僕はそれを見ながら、瀬厨だから出来るんだ、と諦めていた。瀬厨が努力したことさえ、認めず自分が卑屈に考えていただけだった。 こんな僕は、やっぱり誰にも好かれない。 「・・・っご、ごめ・・・っ」 ごめんなさい。 瀬厨も、原田も、本当にごめん。 今まで、自分を優位に立てようと必死で見下ろせるようにと嫌なことばかり考えていた。 瀬厨はどうして謝られるのか分かっていないのか、 「な、なんで謝る・・・てゆうか、泣く前にさぁ、菊池先輩に正直に言いに行こうよ・・・」 謝りたい。菊池にも、謝りたい。でもそんな勇気、僕にはないんだ。 昔から臆病なのだ。自分から、言いに行く勇気がもてない。 ただ、言ってもらうのを、気にしてもらうのを待っているだけだ。 だって、怖いよね? 慰めてくれる二人に謝って、僕はただ、自分が莫迦なことを自覚しただけだった。 結局、瀬厨にいくら勧められても僕は菊池に会いに行けなかった。 学校には来ていても、美術準備室にはあれから一度も行ってないし、校内で菊池が現れそうなところにも近づいていない。 当然、菊池も会いに来ることはない。 そのうちに、僕にも噂が聞こえた。 菊池と羽崎が一緒にいて、どうやら付き合っているらしい、と。 それに慌てたのは、僕より瀬厨だ。 否定してくれたのも、瀬厨だ。なのに、僕はなにも言えなかった。 だって、仕方ないだろう? 我侭でさせない僕より、羽崎のほうがいいに決まってる。 僕でもそれくらいは分かる。 「五十嵐!」 ぼんやりと過ごしていた僕の手を取って、瀬厨がいきなり駆け出した。 「な、なに・・・?!」 びっくりしてただ引っ張られるままに走った。 瀬厨は廊下の端までくると、何かを握って僕に差し出した。 「・・・なに? どうしたの?」 「これ・・・! あげるから!」 瀬厨の顔が赤いのは走ったからじゃないだろう。 なんだろう? 僕は手を開いてそれを受け取った。 「? ・・・なに?」 手の平にあるのは小さな瓶。 綺麗なガラス瓶だった。僕の手にも収まるくらいの小さなものだ。 「香水・・・?」 「違う! これは・・・っ」 瀬厨は一度言葉を切った。どうやら、赤い顔で言いにくいらしい。 「その・・・昌弘に頼んで、手に入れてもらって・・・その、」 「なに?」 僕は蓋を開けて鼻に近づけた。 甘い香りがする。蜂蜜? 「あ、嘗めれるらしいけど・・・」 「なに?」 「じゅ・・・・・潤滑油」 僕はその言葉を聞いたことがなかった。 首を傾げて、繰り返す。 「じゅんかつゆ?」 「・・・・多分、五十嵐が用意しなくても、大丈夫かもだけど・・・」 「え?」 「で、でも、出来るかどうか、わかんないって言ってたの五十嵐だし」 ちょっと、瀬厨くん、最初から話して? 「出来るって? なにが?」 瀬厨は少しきつく僕を睨んで、 「せ・・・えっち、だよ!」 えっち、って・・・・・・エッチ? え? なんで? それと、これに何の関係が? 「それ・・・! 塗ると、痛くない、みたいだから・・・っ」 「・・・・え?」 そうなの? そうゆうものなの?! 「瀬厨くんは、使ったの?」 「お、俺は・・・・っ」 瀬厨は真っ赤な顔を俯かせて、 「俺のことはいいからっ! お前のことだよ! それ、使っていいから」 どうやら、瀬厨はこれを使って僕に菊池として来い、といいたいらしい。 そんなこと言われても。もう嫌われたのに? それに菊池はもう・・・ 「諦めるなよ」 「・・・・え?」 顔を上げると、瀬厨の真剣な顔がそこにあった。 真剣で、泣きそうだ。 「・・・簡単に、好きなの、諦めるなよ」 「瀬厨、くん・・・」 「俺は、諦められないよ・・・嫌われても、昌弘といたいって、思うから。俺は、自分に正直になりたい。好きなものは好きって言いたい。誰を傷つけても、諦めたくない」 瀬厨の強い瞳は、昔と変わらない。 僕が憧れていたままの、瀬厨だ。 「本当は・・・五十嵐の、そういうとこ、嫌いだった」 「・・・え?」 「本当は出来るのに、自分から勝手に諦めて、なんにもしないの、ずるいって思ってた。出来なくても、いつも誰かに助けてもらえて、羨ましかった。俺はこんなに頑張ってやってるのに、やらなくても手に入れてる五十嵐が昔から羨ましかった」 僕は瀬厨の告白を驚愕のまま聴いた。瀬厨は何を言っているんだ? 瀬厨が、僕が羨ましい? どうして? 「昌弘に助けてもらってばっかりで、ずるいって思って・・・だから、虐めちゃってて・・・ごめん、謝るから」 だから、僕にどうしろって言うの? 菊池に言いに行けと? 「で・・・でも、もう、嫌われてる、のに・・・」 「だからなに?!」 「・・・・」 「嫌われてるからって、なんにもしないのかよ! そんなのずるい! 怖いのなんかみんな一緒だ! 怖いけど、勇気出したから諦めれるし、次にも進めるし、自分で納得できるんじゃないのか?」 「ぼ・・・僕は、」 「嫌われててもいいじゃん、大事なのは、五十嵐が菊池先輩を好きかどうかだろ・・・? 自分の気持ちも押さえ込んで、なにもなかったみたいにするなよ、あんなに、楽しそうだったじゃん、お前・・・!」 瀬厨の歪んだ顔は、耐え切れなくなったのか泣き顔に変わる。 どうしよう、瀬厨。僕も、泣きそうだ。 ごめんね。 心配掛けて、迷惑掛けて。僕は本当に誰の気持ちも理解できない人間なんだ。 瀬厨の言うとおりだった。 僕はそんな情けなく、根性も無い子供だ。瀬厨も、そして羽崎も、自分に正直なだけだ。僕が嫌ったり、ましてや見下したりできるものではない。だって僕は、同じフィールドに上がってもいない。 「・・・・ごめん、瀬厨くん・・・ありがと」 心を決めよう。 嫌われてるなら、せめて自分の気持ちだけはっきりさせておこう。 もし、菊池の気持ちが戻らなくても、痛い思いをするなら菊池がいい。たった一度でいいから。もう、一度だけでいいから。 菊池に抱きしめて欲しい。 放課後、僕は久しぶりに菊池と連絡を取った。震える手で、携帯に電話をかける。 一度だけ、会いたいと告げる。すでに自分の部屋に帰る途中だという菊池に部屋に行っていいか訊いた。 躊躇ったけれど、頷いた菊池に僕は本当に心を決めた。 「・・・少しだけ、時間を下さい」 言って、僕は瀬厨から貰った瓶を握り締めた。 使えると、実はあまり思ってなかった。 |
to be continued...