恋愛情緒  3




教室に帰った僕は、集中する視線を浴びた。
もちろん、あんな発言をしたせいだ。
初めて、自分がどのくらい恥ずかしいことを言ったのか理解した。
隣の瀬厨に、
「・・・ごめんね、瀬厨くん」
頭を下げた。
瀬厨はまだ顔が赤くて、
「え、な、なに?!」
「へんなこと、訊いてごめんね」
「い、五十嵐・・・」
瀬厨は動揺して、
「わ・・・解ったのか? 教えてもらったの? だ、誰に?!」
「うん・・・先輩の友達なんだけど・・・」
僕は俯いてしまう。
だって、やっぱり出来そうにない。
目の前にいる瀬厨は、すでにしているのだ。
どうやったんだろう?
そんな痛いの一言ですむことなの?
セックスって気持ちいいものじゃないの?
「瀬厨くん・・・」
「な、なに?」
「僕は、自信ないよ・・・」
大きく溜息を吐いた。
抱きしめて、傍に居てほしかったけど、その先にそんなことが待っているんじゃ、僕は、どうすればいいんだろう?
みんな・・・我慢してるのかな。
「五十嵐? どうしたんだ?」
俯いてしまった僕を瀬厨が気にしてくれる。
「・・・だって、瀬厨くん、僕、あんなとこに入れられないよ・・・」
「・・・・・っ!」
瀬厨は黙り込んでしまった。
隣どうしで話してたから、周りには聞こえてないみたいだ。瀬厨を見るとまた真っ赤な顔だ。
「瀬厨くん、嫌じゃなかったの? だって、無理でしょ? 物理的に入るものじゃないよね?」
入れるところでもない。
「・・・・五十嵐・・・!」
瀬厨は頭を抱えてしまった。
「瀬厨くん、どうやって入れたの?」
「五十嵐!!」
いきなり強く呼ばれて、僕はびっくりした。
真っ赤な瀬厨が、今度は僕の手を取って教室を飛び出した。
「瀬厨くん・・・?」
その瀬厨が連れてきたのは、以前にもきたことのある窓の大きな明るい資料室だ。
その窓の外を見て、懐かしいな、と思った。
だって、ここで菊池を見たのが最初なのだ。
瀬厨はドアを閉めてから僕に向き直って、
「頼むから!! そうゆうの、聞かれても困るし!」
なんだか泣きそうだ。
こ、困るんだ・・・。
困らせてた?
「ご、ごめん・・・ごめんね、そうだよね、困るよね・・・」
セックスの内容なんて、普通は人に話すものじゃない。
僕はちょっと思慮が足りないのかもしれない。
もう一度謝った。
「ごめんね・・・他に、聞ける人がいなくて・・・」
瀬厨は大きく息を吐いて、
「いや、うん・・・いいけどさ、五十嵐も困ってるの、解るし」
気持ちを落ち着けてくれた。
壁を背に床に座り込んで、僕もそれに習う。
「あのさ・・・男子校に長いと、やっぱそうゆう知識って入ってくるし、五十嵐は途中で抜けてたから知らないのかもしれないけど・・・だから誰かに聞いたわけじゃないんだよな、俺も」
「・・・・そうなんだ?」
「うん・・・それに、昌弘として、初めてなんか、自分でも理解したというか・・・頭で解ってても、やっぱりやってみるのとは違うし」
「・・・・痛いんでしょ?」
「・・・・・・・いたい、けど。でも、すごく、・・・・なんてゆうのかなちょっと、同じくらい・・・幸せだった、てゆうか」
瀬厨はさっきと違う意味で顔を赤くした。
「気持ちが一緒になったっていうか・・・っああもう! 恥ずかしいんだよ!」
「ご・・・ごめん」
「いや、怒ってるわけじゃないんだけど! せ・・・せ、っくす、って、痛いとかだけじゃなくて・・・やっぱ、充実感があるっていうか・・・っ五十嵐も、してみれば解る・・・っ」
赤い顔で俯いた瀬厨に、僕も俯く。
どうなんだろう。
充実感?
そうゆうの、あるのかな。
そもそも、どうしてセックスしたいんだろ。
僕は・・・・セックスしたいのかな。
菊池がしたいなら、しても良かったんだけど、あれはちょっとなぁ・・・
「でも、あんなの入んないよ、やっぱり・・・」
「・・・・・・わ、わかんないじゃん・・・?」
「瀬厨くん、入ったんだ」
「・・・・・・・入ったけど! もう慣れちゃったけど!!」
真っ赤な瀬厨はなんだか投げやりだ。
「慣れるものなの?」
「なっ慣れちゃったんだもん! 仕方ないじゃん! どうせ俺はそんなのが好きなへんな男だよ!」
ど、どうしたんだろう?
「瀬厨くん・・・? 誰も変だなんて言ってないよ?」
「だっておかしいよな?! 昌弘として、あんなことされて気持ち良いなんかっ」
気持ち、良いんだ・・・?
そういえば、羽崎も言ってたよな。
菊池は巧いから気持ち良いって・・・・
僕も、気持ちよくなるの?
「おかしく、ないと思うけど・・・そうゆうのって、人それぞれだよね」
「・・・・本当に、五十嵐そう思ってる?」
「思ってるよ?」
「・・・・なら、やってよ」
「・・・え?」
「五十嵐も、菊池先輩とやってよ」
「・・・・・えええ?」
瀬厨の目がなんだか据わっている。
ど、どうしたんだろう、なんでそんなこと言うの?
「五十嵐も気持ち良いと思うかどうか、してみて、教えてよ」
「・・・・え、あ、」
「実は、こんなこと誰にも言えなかったから・・・五十嵐が友達になってくれて、ちょっと嬉しいし・・・」
「あ・・・え、っと・・・」
でも、僕は・・・
じっと僕を見つめる瀬厨に、僕は背中がひやりとしたけれど。
ごめんね、解らない。
僕はどうしても、頷けなかった。





昼休みになって、僕は買ってきたパンに齧り付こうとしたときだった。
「薫」
低い声が、教室に響く。低く小さな声なのに、何よりも聴こえる。
僕は身体をびく、と揺らした。
来客が多い。
と、言うよりこの相手には今は付いて行きたくない。
しかしすでに視線は呼んだ相手と僕に集中している。
「・・・薫」
もう一度、呼ばれた。
菊池の低い声だ。
恐る恐る振り返れば、予想通り怖い顔をした菊池が戸口に立って僕を見ている。口端は上がっているけれど、目が笑っていない。
声もすでになんだか怖い。なんで怒ってるんだろう。僕なんかしたかな?
それでなくとも、今は・・・暫く会いたくなかったのに。
「・・・・・」
僕は呼吸を落ち着けてから立ち上がり、その菊池に近づく。菊池は冷えた視線で僕を見下ろして、
「お前・・・福田に何言った?」
「・・・・福田先輩に・・・?」
僕は首を傾げた。
何か、あの人に言っただろうか?
質問はしたけれど、それに答えてくれただけでそれ以外は何も話していない。
「別に・・・本当は安堂先生に聞きに行ったんですけど、丁度そこにいた福田先輩が答えてくれたので、別に僕は・・・」
何も言っていない、と続けようとした。
けれど、
「何を、聞きに行ったって?!」
菊池は声を荒げて僕の言葉を遮る。
え? なんで、そんなに怒ってるの?
「あの・・・それは」
セックスのやり方を聞きに行ったのだ。
けれど、その内容を知った僕はここでそれが言えない。
だって、あんなことするなんて知らなかった。
俯いた僕の手を掴んで菊池は廊下を早足で歩き始めた。
やっぱり着いた先はその美術準備室で、菊池はドアを開けようとして手を止めた。
中から声が聴こえる。複数の声だ。また菊池の友人達が集まっているのだろうか。菊池がそこでしゃがみこんだ。
「・・・・先輩?」
大きく息を吐いて、そのまま床にへたり込んだので僕はびっくりした。
どうしたのかな。気分悪くなったのかな。
菊池は頭を抱えて暫く黙っていたけど、ゆっくりと顔だけ僕に向けて、
「・・・どーしてお前、あんなこと聞いたんだよ・・・!?」
「・・・あんなこと、って・・・」
それは、セックスのやり方?
だって、知りたかったけれど、誰も答えてくれなかった。
福田が答えてくれたのは僕にとっては棚ぼたな感じだったんだけど。
「き、聞いちゃ駄目だったんですか・・・?!」
菊池が教えてくれるんだったんだろうか?
「駄目っつうか・・・!」
「だって瀬厨くんも原田くんも教えてくれなかったし、先輩は昨日途中で止めちゃったし・・・!」
知りたかったのだ。
だたそれだけ。
「学校行くからって止めたのお前だろ!」
「それは今朝の話です!」
「あんなガチガチのバージン抱けるかよ!」
「だ・・・っ」
抱けないの・・・?
バージンって、初めてってこと?
なら、僕は駄目なんだ。
あんなこと出来ないって思ってたけど、抱いてもらえないって思ったらなんだか凄く胸が痛い。
自分勝手なこと思ってるって自覚はあるけど、でもそれでも。
すごく悲しくなってきた・・・
僕が黙りこんで俯いてしまうと、菊池が今度は立ち上がって、
「いや! 抱かないわけじゃねぇけど!」
焦ったように言葉を繋ぐ。
「だ・・・けど、抱かないって、さっき・・・っ」
「お前がいいんなら今すぐにでもやってやるよ!」
今すぐ?
僕はちょっと潤んできた目を顰めて、菊池を見上げた。
「・・・そんなの、無理です」
「む、りって、なんで?!」
「だって無理なものは無理です!」
してもらえると思っても、やっぱり嬉しいよりも無理って思ってしまう。
「あんなとこに絶対入んない!!」
「・・・・っ」
息を飲んだのは菊池で、一拍おいた後聴こえたのは爆笑。堪えきれずに本当に大笑いしている声。
それは目の前の美術準備室のドアの向こうからで・・・
菊池は目を据わらせたまま、その隔てたドアを勢いよく開ける。
「お前らな・・・っ」
声は低く、本当に怒っている声だ。でも中にいた菊池の友人達はそれを
本気で捉えているのか、それでも怖くないのか、笑ったままだ。
「盗み聞きしてんじゃねぇよ!」
「盗み聞きって、聴こえたんじゃん!」
「そんなとこで大声で話すほうが悪い!」
怒っている菊池に対して、周りは笑いを堪えながら必死だ。
菊池はその中の一人、福田を強く睨んで、
「お前が余計なこと言うからだろうが!」
「俺は正直に答えてあげただけだろ、感謝されるべきだろうが」
「するわけねぇだろ! おかげで・・・っ」
菊池は中に入ってその福田を締め上げる勢いだったけれど、僕を見た福田が
「なぁ、五十嵐クン、解ってよかっただろ? セックス」
僕は曖昧になりながらも頷いた。
知らないよりは、知ってたほうが良いに決まってる。
「出来るか出来ないかは・・・ハルの腕次第だよな?」
笑いながら菊池に向き直る福田に、菊池は複雑な顔で睨み付ける。
笑いの渦の中で、また一番奥で座っていた安堂だけは赤い顔で僕を手招き、
「五十嵐・・・ちょっとおいで」
僕が素直に先輩達の間を通って安堂の前まで来ると、安堂は真剣に、
「お前・・・したくないんだろ?」
「・・・・・」
「しなくったって、いいんだからな?」
言った安堂に反応したのは菊池だ。
「ちょっ・・・! 先生それはないだろ!」
「煩い、菊池。肝心なのはお前の意志じゃない。五十嵐の意思だ」
きっぱりとした安堂の言葉に菊池は口を噤む。僕は俯いて、暫く考えた。
他の先輩達や、菊池の視線も受けながら僕は困ったけれど安堂をもう一度見て、
「・・・したくないわけじゃ・・・ただ、出来ないだけで」
「出来ないならしたくないだろ?!」
「どうなんでしょう・・・よくわかんなくなってきました。だって物理的に無理だと思うんです。普通は入れるとこじゃないと思うし、絶対痛いくらいじゃすまないし」
「・・・・・・・・」
安堂が黙ってしまったけれど、僕は続けた。
なんだか思いを溜めておくことが出来ない。
口から出始めた言葉はなかなか止まらない。
「してくれないって思ったらなんかやだったけど、でもするのはちょっと怖いし、瀬厨くんも痛いって言ってたけどでも慣れちゃったって言ってて」
僕は真剣に安堂を見た。
そうだ。
聞いてみたいことがあった。
「先生、慣れたら痛くないんですか? どのくらいしたら慣れるんですか?」
「・・・・・っ」
安堂は真っ赤な顔で俯いてしまった。
あれ? なんで? 僕、今度はそんなに変なこと聞いてないよね?
安堂を覗き込むと、今度は耐えられない、と周囲から笑い声が上がった。
「? え? なんで?」
お腹を抱えて笑い始めた先輩達の中で、菊池はただ一人頭を抱えている。
「薫、お前な・・・!」
「先輩・・・なんで皆笑うんですか? 僕、真剣なんですけど!」
僕はむっとして菊池を睨む。だけど菊池は呆れた顔で、
「そんなこと他の野郎に聞くなって言っただろ! 俺に言えよ! 慣れるまでしたいなら痛くなくなるまで慣らしてやるよ!」
言われて、僕は少し考えた。
だけど、それでは意味がないような気がする。
「嫌です! だって、それでもやっぱり痛いことには違いないじゃないですか!」
「仕方ねぇだろ! 慣れるまで我慢しろ!」
「やです! 絶対いや!」
「いやって・・・! それにやってみなきゃ痛いかどうかは解らねぇだろ! お前痛くないかもしれねぇだろうが!」
「痛かったらどうするんですか!」
「それでもやるに決まってるだろ!」
「・・・・っ」
言い切られて、僕は胸が詰まりそうだった。
それでもするの? 僕が痛くても、どうでもいいの?
そんなの、酷い。
唇を噛み締める。そうしないと、涙が出そうになるからだ。
菊池は僕の顔を見て、溜息を吐く。
「・・・・泣くなよ、これくらいで」
これくらいって、どういう意味?
僕は潤んだ目で菊池を睨んだ。
「薫?」
「も・・・いいですっ先輩とはしません!」
「・・・・しないって、どういう意味だよ」
「先輩としても痛いだけならしません、慣れてからにします」
「・・・・・はぁ?」
そうだ。
慣れれば痛くないのなら、慣らせばいいんだ。
僕は安堂を振り返った。
この中で、一番安堂が優しくて安心できそうだったからだ。
「先生とする。先生に慣れるまでしてもらいます。慣れたら先輩ともします」
安堂の傍に立ってその白衣を握り締めた。
一瞬間を置いてから、また上がったのは笑い声。
それでも菊池は青い顔で僕を睨んでいるし、安堂は頭を抱えている。
「させるわけねぇだろ!」
爆笑する中で叫んだのは菊池だけれど、僕は睨み返して、
「だってさっきバージンは抱けないって言ってたし!」
「そうゆう意味じゃねぇだろ!」
「じゃぁどういう意味ですか?」
僕は安堂を見て、
「先生、してくれますよね?」
「したら許さねぇからな!」
僕と菊池両方から言われて、安堂は大きく溜息を吐いた。
「お前ら・・・落ち着け、頼むから! ほら、他のやつらも無責任に笑ってるんじゃない!」
安堂はそこに居た全員を叱りつけて、僕に向き直って、
「五十嵐、ちょっと落ち着きなさい。しなくてもいいとも言ったけど、するんならよく考えろ」
真剣に口を開く。
「痛い痛くないどうこうは・・・ちょっと置いといて、本当に、したいのか?」
僕はよく分からなくなってきた。 どうしたらいいんだろう?
「・・・したい・・・のかな。ただ、出来ないって思っただけで・・・」
「やれば出来る」
横から口を挟んだ菊池に、僕は視線を移す。
「・・・本当に?」
疑うわけじゃないけど、僕の中にそれを受け入れる根拠がない。
「絶対に? それってどうしてそう思うんですか? もしかして、先輩もしたの? したことあるの?」
そうだ。
僕は閃いた。
なんでこれを考えなかったんだろう。
だって僕も男なのに、してもらうことだけを考えてた。
「僕にもさせてください。そしたら、痛いのかどうかだって分かるし、先輩が痛くなかったら僕にも出来るかも・・・・」
良い思い付きだ。
そう思ったんだけど、何故か返ってきたのは・・・・笑い声。
菊池は震えるように俯いてしまった。
もうすでに他の先輩達は椅子にすら座れないほど、受けて笑っている。
安堂も肩を震わせて、俯いてしまった。
どうして?
なんか変なこと、言った?
黙り込んでいた菊池が、顔を上げた。
凄く、怖い顔してる。
なんで?
「・・・・出来るわけねぇだろ!」
で、出来ないの?!
なのに、僕にはさせるの?
それってちょっと酷くないですか!
「な、なんで? どうして?」
「どうしてもだ! 俺はヤル専門でヤラれたいと思ったことなんかねぇ!」
「だったら僕だってやです!」
「うるせぇ! 黙ってやらせればいいんだよ!」
「・・・・っ」
それでいいの? それでいいんだ。
今まで、あんなに大事にされてて、安心させてくれてたのって、するためだけなんだ。
優しく抱きしめてくれて、好きって言ってくれて、すごく嬉しくて、もう僕はどうにかなりそうなくらい幸せだって思ってたのに。
なんだか全部崩れてしまった。
菊池はやっぱり、セックスが好きなんだ。
したいだけなんだ。
それなら、僕じゃなくてもいいんじゃないの。
「・・・嫌です。絶対、いやです」
僕は菊池を睨みあげて、
「し、したいだけなら、他の人でして下さい! は、羽崎って人とでも、すればいいじゃないですか!」
言って後悔した。
自分で言ったけど、すごく嫌だった。
考えても、言っただけで胸が苦しい。
やっぱりやだ。
撤回しようとした僕を、菊池は冷たい目で見下ろした。
「・・・ああ、そう。いいならそうする」


to be continued...



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