恋愛皆無  4




あのまま、腕を取られて連れて行かれたのは特別棟の最上階、さらに一番奥の場所にある資料室。
どうして、こんなに人気のない場所を知っているんだろう?
難なくそのドアは開いて、鍵は掛かってないのかな、と僕は関係ないことを思ってその部屋に入った。
そこはすごく埃っぽくて、小さな窓からかすかに光が差し込んでいるだけで、以前に瀬厨に連れて行かれた資料室とは違う、全く使われていない部屋だ、と分かった。
菊池はドアを閉めて鍵を内側から掛ける。
その音に、僕はびくりと身体を振るわせたけれど菊池は全く気にしない。
使われていないようなものが棚にずらりと並び、埃をかぶっている。床も広くはない。けれどそこに菊池は自分の上着を脱いで広げた。
「来いよ」
腕を引っ張られて、僕はその上に転がされた。かすかな光も逆行となって菊池の表情は全く分からない。そのまま近づいてきた顔に、キスをされるのかと思って目を閉じた。
「・・・っ」
しかし、唇には何も触れなかった。代わりに吐息を感じたのは首筋で、
「ぁ・・・っ」
びく、と震えたけれど、やっぱり菊池は気にしないように僕の制服に手をかけた。慣れているのか簡単に釦が外されて、下に来ていたカッターシャツもあっけなく開かれる。
首筋から鎖骨に唇が移動して、嘗められたかと思うとそこを吸われた。
「や・・・っ」
大きな手が皮膚の上を這って、全身に粟立つ。
どうしよう。
僕は誇りっぽい天井を見上げて、身体を固まらせたまま動かせなかった。
抵抗は出来ない。
だって、これが罰だからだ。
菊池の気が済むなら、終わるまで黙ってされているしかない。
息が身体にかかる。
薄い胸の上を、菊池の唇が、舌が這う。
「・・・っ」
嘗められたことなんかない。
初めて感じるその舌の感触に、僕は顔を歪めた。
これって、セックス?
抱かれるって、セックスするってことだよね?
なら、セックスってこんなものなのかな。みんなこんなことしてるのかな。
僕は頭の中をそんなくだらないことで埋めた。
そうしないと、じっとなどしていられない。
耐えてなんていられない。
押さえつけられているわけではないから、僕は手を口に当てた。
「・・・」
ごく、と唾液を飲み込む。
胸が動いて、菊池にも分かったはずだけど、そのまま身体を這っているのなら顔は見られないで済む。
見上げた天井が潤んだ。
どうしよう。
泣きたくなんか、ないのに。泣いたって、仕方ないのに。
涙が止まらない。
口を押さえて、声を殺すくらいしか出来ない。
情けない。
僕は本当に、強くなんかない。
こんなことも耐えられないなんて、どうしようもない。奥歯に力を込めて、目をぎゅっと閉じた。
セックスって、どうやったら終わるんだろう?
男女のそれは自然と知識としてあるけど、男同士でするそれは全く分からない。
他人とこんなにくっつくことすら、初めてなんだから。
ふと気がつくと、圧し掛かっていた身体が浮いた。
重さも感じない。身体を這っていた手も、感じない。
「・・・・?」
閉じていたままの目を恐る恐る開けると、菊池がじっと僕を見下ろしていた。
どうしたんだろう。
しないのかな。
部屋の暗さに慣れた目で、菊池を見上げる。
菊池は顔を歪めて、大きく息を吐き出した。
「・・・お前」
「・・・?」
「勘弁しろよ・・・」
呆れたような声だった。
どうしよう。嫌だったのかな。
つまらないのかな。
そうだよね、だって僕はただ転がっているだけだ。
でも、どうすればいいんだろう?
僕は目を擦って涙をふき取ってから、少し上体を起こした。
「あの・・・あの、僕、し、したこと、ないので・・・」
どうしよう、なんで?
胸が、苦しい。
拭いたばかりの目から、また涙が盛り上がる。
泣くなってば!
泣いたって、どうしようもないのに。ますます菊池を呆れさせて怒らせるだけだ。
菊池はそんなもの求めていない。
「だ、だから・・・っど、うする、のか・・・っわ、かんな・・・っ」
せめて、どうしたらいいのか、教えて欲しい。
嗚咽になりながら言う僕を、菊池は勢いよく引き寄せた。
「・・・?」
舌打ちが聴こえた。
それでいて、菊池は僕をまた抱きしめてくれる。
また、涙が止まらない。
湧き上がったのは安心感だ。
安堵? どうして?
駄目だ、抱きしめられて、安心なんかして、おかしい。
「や、や・・・っ」
僕はその中から逃げ出そうと、大きな胸を押し返した。上から不機嫌そうな声が響く。
「・・・なんで」
「だ・・・だって、」
「・・・そんなに、俺が嫌いなのか・・・?」
嫌い?
僕が、菊池を?
違う。そんなことは、有り得ない。
「ぼ・・・く、は、したこと、ないから・・・どう、やったらいいのか、わかんないし・・・だ、から、早く、して・・・先輩の気持ちが、納まるなら、それで・・・っ」
「納まるわけねぇだろ!」
「・・・・っ」
初めて、声を荒げられた。
一瞬、涙も止まるほど固まった。
怖い。
こわい。
納まらない、んだ。どうしよう。
怒らせてしまった。本気で、怒っているんだ。
どうしたら、いいんだろう・・・
菊池は大きくまたため息を吐いて、怒鳴ったことを落ち着かせようとしていた。
「頼むから・・・俺の気持ちを解れよ」
「・・・気持ち?」
菊池の気持ち?
「お前をこのまま抱いて、それで気が済むんならさっさとしてるよ・・・でも、そうじゃないだろ・・・俺が欲しいのは、そんなんじゃない」
「ち・・・違う、んですか? な、何が・・・だって、僕、他には何も・・・」
何も、持ってない。
お金もないし、差し出すのは身体くらいしかない。殴るにせよ抱くにせよ、僕の身体一つで終わるなら言うことはないんだけど・・・
「違うだろ、お前の身体じゃないだろ・・・俺は、お前の気持ちが欲しい」
僕の気持ち?
「今は、好きじゃなくても・・・そのうち、好きになってくれたらいい。だからそれまでは、俺以外に触らせるな。他の男のもんになるな」
そのうち?
僕が、先輩を好きに?
好きって・・・・好き?
「ええと・・・あの」
僕は混乱してきた頭で口を開いた。
「あのう・・・それって、なんだか、告白しているような気がするんですが・・・」
先輩が僕を好き、なんだろうか?
まさか。僕を?
菊池は一層深く、ため息を吐いた。
「だから・・・! そう言ってんだろ!」
どうして、そうなるんだ?
先輩が、僕に?
「どうしてですか?」
解らなかったので、素直にそれが口から出た。
「どうしてもこうしても・・・その感情以外見つからないから、仕方ないだろ!」
「でも・・・僕ですよ?」
「どう意味だ、それは・・・」
「僕は・・・せ、いかくが、悪くて、すごく卑屈で・・・嫌な人間ですから」
好かれるところなど、一つもない。
「そんなこと、知るかよ・・・少なくとも、俺にはそうは思えないし、お前の可愛さだけで、そんなもん吹っ飛んでる」
「そんなまさか・・・」
僕には、そう、瀬厨ほどの華やかさも可愛らしさもない。
原田が瀬厨を選んだのは、今なら分かる。
瀬厨は、とてもいい人間だ。素直にやきもちを妬いて、可愛いと僕も思う。
「まさかって、なんだ」
「それに」
そうだ、菊池は昔の僕を知らないんだ。
だから、そんなことを思うんだ。
「僕は・・・昔、凄く太ってて、」
「・・・お前が? どこが?」
「ぜ、全部です。太ってたし、すごく卑屈にばかりなって、虐められても仕方ないような人間で、それで・・・虐めてた人を、見返してやろうと思って僕は・・・それだけで、痩せようと思って・・・」
「・・・それが?」
「だから・・・そんな、嫌な」
「嫌って、どこが? つか、自分で頑張って痩せれたんだろ? それって褒めるとこじゃねぇの?」
褒める?
僕を?
「それにお前は今太ってるわけじゃねぇから・・・俺はよく判らないけどな。それくらいで気持ちが変わるとも思えないし・・・」
菊池は僕を覗き込んで、
「・・・やっぱ、可愛いとしか思えないしな」
「・・・・っ」
か、わいい?  
僕が?
初めて、心に響いた気がした。
確かに、今まで何度も言われていたはずなのに。
顔が熱い。真っ赤になっているのは、確実にばれている。僕は慌てて顔を背けて、
「そ、んな・・・こと、ない、です・・・」
「んな顔が、可愛いって言ってんの」
「え・・・っ」
どうし、よう。
動悸が凄い。
密着している菊池にも、確実に伝わっているだろう。
「とりあえず・・・やっと、可愛いってのは理解できたみたいだな」
「・・・あ、で、も・・・」
「でもじゃない。俺がそう言ったら、そうなんだよ」
「・・・・・・はい」
はっきりと言われて、とりあえず頷いた。
「俺は、お前が好きなんだよ。だから、抱きたい。でも・・・泣かれると手が出せないだろ・・・」
「な・・・泣かないように、頑張りますから」
「・・・・・・」
「先輩?」
「・・・お前、自分の言った言葉、理解してるか?」
「言葉?」
僕、何て言った?
泣くと、菊池が困るから、泣かないように・・・・・・・あ。
僕はどうして泣くのかを思い出して、ますます顔が熱くなった。
そうか。そういう意味・・・ああ、ち、違う!
そんな意味で言ったんじゃない!
慌てて顔を横に振る。
「ち、ちが・・・っあの、今のは・・・っ」
「分かってるけどな、どうせ、考えもせず言ったんだろ・・・抱きたいけど、我慢する」
「が、まんって・・・」
「お前が俺を好きになって、抱かれてもいいって思うまで、我慢するから」
「・・・・・」
から?
「だから、まず、俺と・・・」
菊池は一度言葉を切った。
僕が見上げると、そこには凄く真剣な顔があって、やっぱり菊池ってかっこいいとなんだか関係ないことが頭に回る。
そこにいるだけで人目を引くし、実際僕も初めてあの窓越しに見たときは見惚れてしまった。
よく変わる表情も、性格も明るくて楽しそうで、本当、もてるんだろうなって改めて思う。
「俺と、付き合え」
「・・・・?」
その菊池の言葉を、一度頭で反芻した。
付き合え?
付き合う?
えっと・・・それは、どこかに、とかじゃなくて・・・
「・・・・え?! 僕が?!」
「・・・・今までの、会話は全部なんだったんだろうな・・・? その驚きようは・・・俺の話、全く聴いてねぇんじゃん・・・」
「だ、だって! え? なんで?!」
「なんでも、なにも・・・もっかい、さっきの話を繰り返さなきゃならないのか?」
「だけど!」
「返事は? 嫌なのか? どうなんだよ?」
性急に求められて、僕は言葉が詰まる。
ど、どうしよう。
だって、本当に昨日会って話したばかりで、菊池のことは何も知らない。
そういえば、瀬厨は菊池のことを何て言ってたっけ・・・困惑したまま、瀬厨の言葉を思い出した。
そうだ、菊池は・・・・駄目だ。
付き合うことなんか、出来ない。
僕は首を横に振った。
目の前の菊池の顔が歪む。
「・・・嫌なのか? なんで?」
「だって、僕は・・・あ、遊びで、人と付き合ったり、出来ないので・・・」
「誰が、遊びだって?」
「・・・先輩が、です」
「・・・は? なんでそうなるんだよ?」
「だって、先輩は・・・そうなんでしょう? 今までだって、相手は、とっかえひっかえで・・・すごい、遊び人でって、聞いて・・・」
そう、聴いた。
付き合って、すぐに捨てられたりなんかしたら、僕にはとてもじゃないけれど耐えられない。
またこの性格で暗く悩んで、もしかしたら、今度は菊池に復讐とか考えてしまうかもしれない。
菊池は顔を歪めて、
「そりゃ・・・・それは、否定、しないけど・・・! いや、でも、それは昔の話で、お前と俺は遊びでしようなんて思ってないぞ?!」
「ど・・・どうしてですか?」
今までは遊びで、僕とも遊びじゃないなんて、おかしい。
「遊びでするんなら、さっきも止めねぇしお前のことなんか考えずさっさとやってほっとくだろ! なんで俺がこんなに時間かけて口説いてるのか、よく考えろよ!」
「・・・く、どくって・・・僕を?」
「お前以外、いないだろ・・・」
「僕が・・・」
口説かれている?
ゆっくりとそれが頭で理解して、僕はどうにかなりそうだった。
真っ赤な顔で、沸騰しそうな頭で。
心臓はドキドキしっぱなしで。
一体、僕はどうしたんだろう。
先輩が僕を好き?  
こんな僕を? 口説いているの?
そう思っただけで、落ち着かない。
くっついている身体が、どうしようもなく落ち着かない。
「お前・・・ようやく、この状況を理解したんだな・・・?」
鈍すぎるのも、ほどがあるだろ、と菊池はぼやくように呟いた。
だって!僕が誰かから好かれるなんて、考えたことも想像してみたこともない!
しかも、それが菊池?この、目の前にいるこの男?誰が見ても、かっこいいこの人?
冗談じゃないの?
どうしよう、身体が熱い。
胸が、熱い。
動揺している僕を、菊池は覗き込んで、
「それで・・・付き合ってくれるんだな?」
確認を取るように見つめられた。
「あ・・・・・」
そうだ。返事を、しなければ。
でも乾いた唇は、開いたまま声を出さない。いや、出せない。
こういうとき、どう言ったらいいの?なんて言ったら、いいんだろう?
「・・・薫?」
「・・・・っ」
なんで、そんなに優しそうな声なんだろう?
「・・・・いいんだな?」
僕は、結局声が出なかった。
ただ、小さく頷いた。
それだけだった。
その瞬間、唇が塞がれた。
「・・・・んっ!」


to be continued...



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