恋愛皆無  3




翌朝、僕はびくびくしながら登校した。
なんだか、どこかで菊池の目が光っている気がしたからだ。
「五十嵐? どうしたんだ?」
教室に入ると、不思議そうな顔で瀬厨がその僕を見る。
「な・・・なんでもないよ」
ふうん、と言った瀬厨はますます僕を硬直させる言葉を吐く。
「あ、昨日、五十嵐早く帰ったろ? 菊池先輩が来てたんだぜ?」
「・・・・っ」
「探してたみたいだったけど、誰も五十嵐の連絡先、知らないからさー訊かれて困ったんだぞ?」
だから携帯の番号を教えろ、と瀬厨は自分の携帯を取り出す。
「う・・・・・うん」
僕はかなり躊躇した。
ここで教えてしまったら、また菊池が来たときはばれてしまう。しかし断る理由が思いつかない。
僕は泣きそうな顔をどうにか隠して、瀬厨に番号をメールのアドレスを教えた。
しかしそんなことを菊池に知られることよりも、もっと早く捕まってしまった。





「薫」
昼休みになった直後だった。
まだ、教室から教師も出て行ってもないのに、戸口から菊池が覗き込んでいる。
僕は座ったまま身体を固まらせた。
「薫、来いよ」
か、・・・・薫って、なんですか?
いつのまに、名前で呼んでるんでしょう?
ロボットのように顔を振り向かせると、菊池の視線とぶつかった。
「・・・・来い」
「・・・・・っ」
口元に笑みがあるけれど、その目は全く笑ってなんかいない。
誰かに助けを求めたくても、誰も助けてなんかくれない。
僕は、行くしかないのだ。
ぎごちない動きで菊池に近づくとその手を取られて、耳元に口を近づけられた。
「・・・昨日はよくも帰ったな? 俺との約束を破りやがって・・・お仕置き、だな」
「・・・・・っ」
周りに聴こえない低い声に、僕は泣きそうになった。
ぞくり、と腰に響く声。だけれど腰は退ける。
に、逃げ出したい・・・
そう思っても、しっかりと掴まれた手を握られてそのまま廊下を歩き始めた。
菊池一人でも視線を集めるというのに、手を取られたまま歩いているせいで昼休みのごった返した人ごみの中、注目を浴びてしまった。





着いた先はまた同じ美術準備室だった。
しかし、今日は無人ではない。菊池がドアを開けるとその狭い中に生徒が三人、一番奥の机に美術講師が一人、座っていた。
「あれ、ハル・・・その子」
「あーあー、噂のイガラシくんだな?!」
「うわ、可愛いじゃねぇか、どこで見つけたんだよー」
気安く口を開くのは、菊池の悪友たちだ。菊池は僕の手を掴んだまま中に入り、ソファにいた二人を手で追いやった。
「ほっとけ、ほら、こっち来いよ」
素直にどいた二人はもう一人と同じように折りたたみの椅子を出してソファの向かいに座りなおす。その空いたソファに菊池は僕を引き込んで座らせた。
視線を全て浴びて、僕はそこで固まってしまった。
相手は全員三年生だ。何を言うことも出来ず、ただ座るしかない。
「ハル、で、どこで見つけたって?」
「相変わらず手ぇ早いな」
「お前からだろ?」
菊池はにやにやと笑ったままで、
「いいや? コイツから。どーしても、って言われてなー、な? そうだろ、薫?」
「・・・・・っ」
俯いたまま、そんな質問に答えれるはずはない。
肩は菊池に抱え込まれて、身体が密着していて、動くことも出来ない。
「緊張してんの?」
「はは、マジで可愛いなー」
「手ェ出すなよ、お前ら。俺のなんだからな?」
「イガラシくん? なんでハルなの? 俺のが優しいよー」
「何言ってんだよ、この鬼畜男が」
勝手に口々に言葉を吐き出す先輩達に、僕は俯いて何も言えない。代わりに口を開いたのは、
「お前らな・・・いい加減にしろよ? その子はお前らのおもちゃじゃないだろ」
呆れたような口調で、しかしきっぱりと言い切った声に僕は顔を上げる。
その方向を見ると、机に向かっていた美術講師が椅子を回してこちらを見ていた。
「困ってるだろ、菊池、離してやれ」
その言葉にも、菊池は鼻で笑うように、
「嫌だね、薫は俺のもんなの、好きでおもちゃになってんだよ」
「菊池・・・!」
キッと菊池を睨むけれど、絵の具で汚れた白衣の下はどうみても細身で美術講師がこの先輩達に勝てるとは思えない。顔もよく見れば綺麗に整っていて、やっぱりこの講師も遊ばれているのでは、と思ってしまう。
「な、薫、そうだろ?」
僕に同意を求める菊池の声は、悪魔でからかいを隠さない。僕の頬を指で面白そうに突付き、
「柔らかすぎ、お前」
と笑っている。
僕はその瞬間、すっと立ち上がった。抱えられていた肩もすんなり手が離れて立ち上がれた。俯いたまま、
「・・・・帰ります」
言ったけれど、菊池がそれを許してくれるはずがない。素早く僕の手を取って、
「駄目だ、まだ座ってろ」
「嫌です」
「却下」
「どうして・・・・」
僕は菊池を見下ろして、
「あ、やまってるのに・・・・っ」
謝っているのに、お詫びをしたいとは思うけれど、こんな風に晒して遊ばれるだけで、一体菊池は僕をどうしたいんだ?
僕は訊きたかったけれど、最後まで言えなかった。
嗚咽が込み上げて、目に涙が浮かぶ。
それをばっちり菊池に見られた。
「・・・っ」
唇を噛み締めて涙を堪える。その瞬間、菊池の手が緩んだ。
その隙に僕は翻して準備室を走り出た。
「薫!」
背中にまた、菊池の声が聴こえる。だけど止まることなんか出来ない。
涙が溢れそうな顔を俯かせて、とりあえず人気のないところを目指して走る。
昇降口から裏庭へ向かうほうへ出て、そのまま帰ってしまおうかと思ったとき、
「・・・薫!」
追いつかれた菊池に腕をまた取られた。
「・・・・っはな、して!」
「いやだ、落ち着け、薫」
「やだっ離して!」
「駄目だって言ってんだろ」
腕を振り回して、どうにか逃げようとする僕をいきなり抱きしめた。
「・・・・っ」
体格が違いすぎる。
その腕の中に収められたら、僕はもう逃げることなど出来ない。
それでも目の前の身体を押し返そうともがいていると頭上からその抵抗がなくなるほど、優しい声が降りてきた。
「・・・・悪かったよ」
びくり、と動きを止めた僕に、さらに優しく声をかける。
「ちょっと・・・昨日の仕返しって、思っただけだ・・・お前に会うの、楽しみにしてたから・・・悪かったよ、ごめん」
もう一度謝られた。
楽しみにって、どういうこと?
それに、僕は謝るほうで、菊池に謝られるようなことはしていない。
その腕のなかで僕は菊池を見上げた。
「・・・・謝るのは、僕です・・・怒られても仕方ないこと、しましたから。でも・・・あんなイヤガラセは、嫌です・・・お、怒るなら、殴るとか、そんなので・・・」
「出来るか、そんなこと」
殴られて、そのままもう気にしないでいられたほうが楽なのに。菊池は思い切り顔を顰めて否定する。
「お前を殴れるわけ、ねぇだろ・・・」
「で・・・でも、ど、どうしたら、許してくれるんですか?」
「いや、だから・・・」
菊池は大きく息を吐いて、
「お前が、名前使ったことに関しては、俺は怒ってない」
「・・・・? どうしてですか?」
「だから・・・言っただろ、むしろラッキーだって」
意味が解らず、眉を寄せた僕に菊池は苦笑して、
「お前と出会えるきっかけだろ? だから怒るなんて有り得ない」
「・・・なんで?」
「お前・・・鈍いな、」
「に、鈍い?」
「鈍すぎ。俺、お前を好きだって言ってんだけど?」
僕は理解するのに少し時間が必要だった。
数秒黙って、その言葉が脳みそに届いた瞬間、顔が熱くなった。
「は・・・はぁ?!」
「・・・・・どうして、その反応なんだよ、そっちのが傷つく」
「な・・・なんで、どうして? か、からかわないで下さい!」
「からかってない。真剣」
「そんな・・・」
言われても、信じられるはずもない。
大きな胸に抱かれながら、僕は困惑してしまう。
「・・・信じろよ、薫?」
笑って覗き込まれて、僕は泣きそうになった。
信じられるはずはない。
どうして、そんなことになるの?
その顔で菊池は僕の考えが解ったのか、
「たぶん・・・一目ぼれって、やつかな? もう、惚れたって感情しか、ない」
「そんなの・・・・嘘です」
「嘘?」
「先輩の勘違いです」
「か・・・勘違いって、お前・・・」
僕は菊池を睨みあげて、
「僕なんか、好かれるはずもないし、可愛くもないし・・・」
「いや、可愛いって」
「違います! そんなこと、ないです!」
「俺がそう思ってんだから、可愛いって!」
「可愛くないです!」
言い合って、かなりくだらないことを話していると気付いたのか菊池は大きく息を吐いて、
「いや、そうじゃなく・・・お前が自分のこと、どう思っていようといいけど、俺がお前を好きだって言ってんのは否定するなよ、俺の気持ちは俺のもんだろ」
「・・・・だ、だけど、有り得ませんから・・・そんなの、思い込みです」
僕は俯いて口を開く。
どうしても、これ以上菊池を見ていられない。出来るなら、すぐにこの腕の中からも離して欲しい。
菊池はしかし、腕を離すことはなく、
「俺さぁ・・・告白した相手に、自分の感情を勝手に否定されたの初めて・・・」
「だって・・・!」
「どうしたら、お前は信じてくれるんだ?」
「し、信じられません、だって、僕は・・・・」
性格が、悪い。
根性も悪い。
ただ、瀬厨を見返すためだけに時間を注ぎ込んだ。
考えてみれば、かなり変な人間だ。
卑屈で、後ろ暗くて、助けてもらいたがってるのに自分からは動かない、卑怯な人間だ。
こんな僕は、虐められても仕方がない。
今分かった。
僕は、酷い人間だ。
強くなんかない。全然、強くなんかなっていない。
ただ、外面を覚えただけだ。
こんなに優しい腕に、包まれるような人間ではない。
虐められていれば良かった。
さっきまでのようにそれで気が済むのなら、あのまま晒されて虐められていれば良かった。
それが嫌だなんて言う資格は、僕にはないのに。
僕はぎゅっと口を噛んで、涙を堪えた。
それに気付いた菊池は、
「ああ・・・泣くなって、マジで・・・なんで泣くんだよ、もうしねぇから」
本当に困惑した声で僕の目を拭ってくれた。
その手は、とても暖かくて。
僕はますます涙が止まらない。どうして涙が出るのかなんて、僕が訊きたい。
勝手に出るんだから仕方ない。
「は・・・離して、下さい」
「嫌だ」
「・・・な、なんで」
「俺の気持ちを、受け入れろ」
「・・・・・」
そんなことが出来るはずがない。
「俺が嫌いなら、それで仕方ねぇけど・・・俺の気持ちまで、勝手に決めつけんな。俺が、嫌いか?」
「・・・・・っ」
好きか嫌いかなんて、考えたことがない。
「なぁ、嫌いなのか? キスしたの、嫌だったか?」
「・・・・っ、ぼ、僕は・・・人を好きになる資格なんか、ないです」
「は? 好きになるのに、資格なんかいらないだろ?」
「だ、だけど・・・っ」
「訊いてんのは、俺を好きか嫌いか、答えろ」
「・・・・・」
俯いて黙ったままの僕に、菊池は腕に力を入れた。
ぎゅうっとその胸に抱きかかえて、
「はぁ・・・なら、いい」
「・・・・?」
「答える気も、ないんだな?」
その声は、さっきよりももっと低い声で、
「なら・・・抱かせろ」
「・・・・え?」
訊き間違えたのかと、身体を硬直させた僕に、菊池は優しさなんか全くない、冷たい声で囁いた。
「・・・抱かせろよ、それで、勝手に名前使ったこと、許してやる」
「・・・・っ」
「もう、お前を追いかけたりもしない。諦めてやるよ。だから・・・」
抱かせろ、ともう一度はっきりと言った。
その意味が、今のような抱きしめることじゃないということは、僕にも分かる。
僕は身体を固めたまま、頷いた。
それしか出来なかった。


to be continued...



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