恋愛皆無 2
僕は混乱した。 思ってなかった、想像してなかった展開だ。 目の前で涙ながらに懇願する相手は、僕がいつか仕返しを思ってた瀬厨ではなくて、只管に許しを請う見知らぬ相手で。 ど・・・どうしたら、いいの? 僕はとりあえず視線を巡らせた。 このまま直視してなどいられない。 そして、その部屋の大きな窓から中庭がよく見えた。そこで談笑している生徒が視界に入る。 ふと見ただけなのに、視線を惹きつけられた。 それほどの、存在感。 そこにいたのは数人の先輩のようだったけれど、その中の一人は一際人目を引いた。 誰だろう? 僕はそう思ったけれど、とっさに言い訳が思いついた。深く考えることなく、口に出してしまっていた。 「あの・・・瀬厨くん? 僕、原田くんのことはなんとも思ってないから」 「・・・だ、だけど」 「えっとね・・・僕、この学校に戻ってきたのは、他に理由があるんだ」 「なに?」 「・・・ほら、あの外の・・・あの人、あの人が、いるから、僕・・・」 言いかけて、瀬厨が口を挟む。 「・・・・菊池先輩?」 菊池? あれ? もしかして、知り合い? やばい? そう思っても、もうあとには引けない。 僕は引きつった笑みを浮かべて、 「そ・・・、そう、菊池先輩。彼が、いるから・・・僕は、他の人は・・・」 誰だろう、その菊池先輩。 しかし瀬厨の表情が見る見るうちに明るくなる。 「な・・・なんだ、そうだったんだぁ・・・そっか、五十嵐は菊池先輩と・・・」 「・・・・・・う、うん」 安堵して息を吐き、目に溜まった涙をふき取る瀬厨に、僕は訊かずにいられない。 「せ・・・瀬厨くん? 菊池先輩、知ってるの・・・?」 瀬厨はきょとん、として、 「知らない人なんて、いないよ。すっごく有名だよ!?」 「あ・・・そ、そう、なんだ?」 僕は焦りを隠せない。 早まったかな・・・ そんな気持ちを知らない瀬厨は、 「学校一の遊び人で、昔からとっかえひっかえ相手が・・・あ、ごめん」 瀬厨は僕に気付いて、言葉を止めた。 僕の気持ちを思ってらしかったけれど、その言葉を聞いて僕は安心してしまった。 遊び人、らしい。 なら、遠慮なく名前だけ、借りておこう。 僕はただ微笑んで、 「気にしないで、いいんだ、僕は」 そう、そのほうが、いいんだ、僕は。 だって全く知らない人だし。 付き合ってもなければ、そんな予定すらない。 ただ、今このときを誤魔化せればそれでいいんだから。 「だから、瀬厨くんも気にしないで? 僕、原田くんのことは・・・」 「あ・・・うん、解った。ごめんな?」 「いいよ・・・ね、もう教室帰ろう? みんな瀬厨くんを心配してるよ」 「そうだね・・・」 その部屋を出ようとしたとき、僕はもう一度窓の外を振り返った。 中庭で、相変わらず笑ってる菊池先輩は、やっぱり目を引いた。 数日後、僕は変わらない日常を過ごしていた。 あれから、久しぶりに原田と引き合わされたけれど、向こうも驚いただけで変わりはなかったし、瀬厨はそれでますますほっとしていたみたいだったし。 僕は心に誓っていた復讐を、出端を挫かれた感じでどうしようもなくなって、そのままにしてしまっていた。 クラスメイトは誰も僕を無視したり虐めたりはしないし、何より、その瀬厨が僕をいい友人として見ている。 これって、ちょっとどうなんだろう? あれほど頑張って、仕返ししようと思ってたのに、僕の気持ちがまず、落ち着いてしまっている。 僕は結局、瀬厨に認められたら、それで良かったのかな? 僕が噂を聴いたのは、そんなときだった。 朝、いつものように教室に向かうと視線が一気に集中した。 「・・・・?」 あからさまな、視線だ。 どうして? 僕はまた、なにかされているのだろうか? そんな不安に駆られて席につくと、クラスメイト達がおずおずと近づいて、 「い・・・五十嵐?」 「ど、うしたの・・・? みんな、僕、なにかした・・・?」 とりあえず、無視されているわけではないようだ。 彼らは首を振って、信じられないことを口にした。 「あのさ・・・お前、菊池先輩と付き合ってるって、ほんとなのか・・・?」 「・・・・・・っ?!」 背筋が一気に冷えた。 どうして、その名前がここで? 一体、なんでそんなことをみんなが言うの? 口を開きかけて、教室に入ってきた瀬厨が見えた。僕は勢いよく立ち上がって、 「・・・瀬厨くん・・・!」 「・・・お? 五十嵐、おは・・・え? なに?」 「ちょっと、来て!」 驚いた瀬厨の手を取って、僕は教室を飛び出した。 朝は人気が少ない裏の昇降口まで引っ張って行って、 「瀬厨くん、君、もしかして菊池先輩とのこと、誰かに言った・・・?!」 僕と菊池先輩とやらの接点なんて、そこしか思いつかない。 瀬厨は少しびっくりしたけれど、素直に頷いた。 「うん・・・みんなが五十嵐を狙ってるから・・・つい、もう五十嵐は付き合ってる人いるよって・・・・・ダメだった?」 「駄目って・・・・!」 駄目に決まっている。 僕は頭を抱えて壁にへたり突いた。 「ご、ごめん、五十嵐・・・・あの、秘密だったんだ? ど、どうしよう、俺」 うろたえる瀬厨に、思わずため息が漏れる。 どうしようって言っても、どうしようもないだろう。 すでにクラスが知っているっていうことは、校内中が知っている。 「・・・・いいよ」 僕はもう一度ため息を吐いて、呟いた。 「いいんだ、別に」 「五十嵐・・・」 泣きそうな瀬厨に呟く。 別に、いい。 実際に僕とその先輩が何かあるわけでもないし、ただの噂としてなら、もし本人の耳に入ったとしても、その先輩本人も知らないことのはずだから笑って終わるはずだ。 こんな噂、すぐに消えるだろう。 だからもういい。 「気にしないで、瀬厨くん・・・別に、こうなったところで何があるわけじゃないんだから、ね?」 自分に言い聞かせるように、僕は口に出した。 そう、何があるわけではない。 その、はずだった。 昼休みになって、教室が一気にざわめいた。 授業が終わったからではない。 これから昼食を取ろうとしている一年の教室に、思いがけない人が顔を覗かせたからだ。 「・・・五十嵐、いるか?」 ざわめいた教室でも、その声は響いた。 僕は相手を見て、そこから逃げ出したかった。 そう、そこにいたのは、噂の菊池先輩、だった。 菊池ハル。 この高等部の、三年生。 少し伸ばした髪を流すようにセットして、切れ長の目は流し目にはもってこいの威力を発揮する。 菊池は教室を見渡して、クラスメイトの意識がまだ座ったままの僕に向いているのが解ると、見つけた、と言わんばかりに微笑んだ。 「おいで、ちょっと」 戸口から、ちょいちょいと手を招く。 「・・・・・」 逃げられ・・・・ないよなぁ。 僕は視線を浴びて、立ち上がった。 大人しく僕がついていくと、菊池はそのまま歩き出した。 近くで見ると菊池はとても背が高い。そして手足の均整がとてもとれている。 これにこの顔がついているのだから、もてないはずはない。 僕はその後ろを歩きながら、一発や二発殴られる覚悟を決めた。 正直に言って、謝ろう。 誤魔化してしまえと思った自分が、悪いんだから。 菊池が連れてきたのは、「美術準備室」とプレートが出ていて、僕は初めて入るところだった。 鍵もかかっていない扉を開けて、 「入れよ、ここのセンセ、仲いいから大丈夫」 言って、誰も居ない準備室に入って行った。 その部屋は、狭かった。 準備室だけれど、壁一面に絵や画材が無造作に置かれているからだろう。 水彩なのか油なのか、混ざった匂いがした。 その部屋の中心にソファが置いてあって、またそれが部屋を狭くしている。 その奥に机と椅子。ここの住人のものだろう。 菊池はそのソファに座って横を示した。 「座れよ」 「・・・・・はい」 僕は一人分空けてそこに座った。 横から遠慮なく視線が突き刺さる。そのせいで、僕は俯いた顔をあげられない。 「・・・なぁ、今流れてる噂、知ってるよな?」 「・・・・・はい」 「俺・・・やっぱり、お前を見たことないんだけど、間違ってるか?」 「・・・・・・いいえ」 僕だって、見たことありませんでした。 気にしないで、笑って流してくれれば良かったのに。 でも、そう上手くはいかないよな。 僕は心を決めて、菊池に向き直った。 「すみませんでした」 深々と頭を下げる。 そして、ちゃんと説明した。とっさの言い訳に使ってしまったことを、だ。 「そのうち、噂なんて消えると思いますので・・・」 だから、放っておいて欲しい。 僕ははっきりと気持ちを伝えた。 「・・・ふーん?」 聴き終えた菊池は、ただそう言った。 顔を上げると、そこには笑みを浮かべた菊池。 うわ・・・やっぱり、この人かっこいいよ・・・ああ、遊んでるって、よく解る・・・。 僕がそんなことを思っていると、菊池は一層笑みを深くして、 「いいんじゃね?」 「・・・はい?」 どういう意味の、了解なんだろう。 僕の気持ちが伝わったんだろうか。このまま、放っておいてくれるのだろうか。 「このままで。噂、マジにしてやってもいいんじゃね?」 「・・・・・・はい?」 僕はもう一度訊き返した。 「お前、可愛い顔してるし・・・ちょうど、俺今フリーだからな。このまま付き合おうぜ?」 「・・・・・え?」 僕は眉を寄せて首を傾げた。 一体、この人は何を言い出したんだろう? 「そんな不思議そうなツラすんなよ、お互い、楽しめばいいだろ?」 「・・・えっ?」 肩をぐっと押されて、気がつくと僕は天井を向いていた。 「え・・・え?」 その視界に、菊池が入ってくる。 ソファに倒れた僕に、覆いかぶさっているのだ。上からにっこりと笑って、 「気持ちよく、させてやるから」 「え・・・・・んっ」 顔が近づいた、と思ったら唇が塞がれた。塞がれてから、唇でそうされているんだ、と気付いた。 「ん・・・んっ」 びっくりして菊池の肩を押し返しても、びくともしない。体格が全く違うのだから、当たり前だ。 唇の間から滑り込んできた舌に、僕は驚いて、 「んんっ・・・んっ」 抵抗しても、敵わない。 簡単に僕は舌を絡め取られて、吸い上げられて、口の中を嘗められて背中が震えた。 その感覚に、僕は怖くなった。 キスを、されているんだ。 角度を変えて、何度も深く。 「ん・・・ふ、ぁ・・・っ」 呼吸が苦しくなってきた。 目尻に涙が浮かぶ。 どうしよう。 怖い。 こわい。 僕は震える手で、どうしようも出来なくてただ菊池の服をぎゅっと掴んで震えていた。菊池のキスが終わるまで、ただ耐えるしかない、と思って。 「・・・・おい?」 その僕に気付いた菊池が唇を離して、上から覗き込んでくる。 「・・・・っ」 瞑ってしまっていた目を開けて、菊池と目が合った。 どうしようもなかった。 感情が混乱している。 抑えられない。 僕は、涙が溢れた。 震える身体でただ泣いてしまった僕を菊池はびっくりして、それから身体を起こした。僕も一緒に引き寄せて、ソファに座った状態で今度はその胸に抱きしめられる。 「・・・っん、」 嗚咽を堪える僕の背中を撫でる手が、とても優しかった。 「・・・初めてだったのか? 悪かったよ・・・そんなに泣くな」 素直に謝る菊池は、とても噂の遊び人の声じゃない。僕が泣いているのに本気で戸惑っているようだった。 僕は目を擦って涙をふき取って、 「・・・ご、ごめんなさい・・・大丈夫、です」 恥ずかしくなって、その胸を押し返した。泣いてしまった恥ずかしさを隠すのに俯いた顔を、覗き込まれて、 「悪かったな、可愛かったから、つい」 もう一度謝ってくれた。 僕は首を振って、 「い、いいです・・・僕が、勝手に先輩を利用して・・・しまったんです。あ、謝りますから、もう、許して、下さい」 「怒ってないけど?」 「・・・・え?」 「怒ってなんか、ないけど?」 僕はびっくりして菊池を見上げた。 どうして、怒ってないのだろう。 怒ってないなら、どうしてあんなことをしたのだろう? 「俺的には、ラッキーかなって思ってるくらいだけど?」 「・・・え?」 「だって、お前可愛いしな」 「・・・はい?」 この人、目がおかしいんじゃないのかな。 思いっきり不振な目をした僕を、菊池は吹き出すように笑った。 「いや、マジで・・・お前、可愛いって、俺と付き合え」 「・・・・ええ?」 どうして、そんなことになるのだろう? 僕は菊池の腕の中で混乱した。 どうすれば、いいんだろう。冗談だろうか。冗談だよな? 「・・・そんな、可愛い顔すると、また喰うぞ?」 「え・・・っ」 驚いている間に、ちゅっと唇が触れた。すぐに離れて、笑ったまま覗き込まれる。 「あ・・・あのっ」 「俺と付き合えよ」 「・・・・そ、んな」 「嫌なのか?」 「あの・・・・・」 嫌とか、そういう問題じゃない。 困惑したまま、僕はその腕の中から抜け出した。菊池はあっさりと僕を離してくれて、 「・・・放課後、またここに来いよ」 「・・・・」 「絶対、来い」 ソファから見上げられているのに、僕が見下ろしているのに、僕はどうしようもなく怖くて、 「・・・・っ」 答えることは出来ずに、身体を翻した。 「五十嵐! 絶対来いよ!」 背中に菊池の声を聴いて、でも撥ね返した。 だって、そんなの答えられない。 自分の中にもやもやとした感情があって、それがなんなのか解らない。 それが、怖い。 もう一度行ったら、解るのだろうか? でも、行けない。 二度と、戻って来れなくなりそうだから。 放課後になって、もちろん僕は―――― ダッシュで逃げた。 誰も声をかけられないほどに、一気に学校を飛び出した。 教室まできた菊池が、人相悪く顔を歪めて、 「あの野郎・・・」 と、呟いたのが聴こえてきそうだった。 |
to be continued...