ウソツキ 6
唇を噛み締めて、暗い自分を押しのけようと違うことを考えた。 そんな状態で授業を受けていたものだから、実験がうまくいくはずもなく、俺は試験管を二本とカバーガラスを三枚、立て続けに割った。 同じ班にいたクラスメイトは笑ってくれたけど、先生には容赦なく、後片づけを命じられた。 自業自得と判っているので、クラスメイトがほったらかしにしたままの用具や洗ってもいないビーカーたちを黙って見た。 「森澤は終わったら、鍵を閉めて俺のとこに持ってくること。はい、解散」 それでも、その量に顔が険しくなる。 「大丈夫か?手伝ってやるから・・・」 同じ班にいた何人かは、相地と一緒にそう言ってくれた。 さっきまで不機嫌な顔だったのに、急いで顔を繕う。 「あっえーよ、部活、あんねやろ?熊谷も塾あるって・・・」 最後の授業だったから、他の生徒は足早に帰っていっている。 「でも、すっごい量じゃん」 「うーん、でも、俺このあと何もないし。暇やし・・・一人で出来るよ。どんなにゆっくりしたかて、相地の部活より遅くなることはないやろし」 「そりゃ、そうだけど・・・」 俺は自分の意見を押し通し、クラスメイトたちを返した。 実際、俺のミスだし、ひとりになりたい気分だったのだ。 誰の目からも逃れたい。 この学校にいて、そんなことを思うほど、俺は注目されていた。 もちろん、一葉の弟だからだ。 それが、ちょっと疲れた。 そんな感じで、今ひとりなのが少し楽だった。 何も考えず、事務的に身体を動かす。 顕微鏡を片付け、それからひとつの流し台の周りに荒いものをかき集めた。 「結構あんなー」 言いながら、手を動かし始めた。 やり始めると単純な作業で、何も考えないでいられた。基本的にその作業は嫌いではないようで、そのうちに集中して、周りになど一切注意を払ってなかった。 「おい」 「―――っ」 俺が驚いたのと、がちゃん、とビーカーが割れたのは同時だった。 驚いたまま振り向くと、慌てた顔をした山井が、一階なのをいいことに窓からヒラリ、と入って来た。 「割ったのか?怪我は?」 素早く俺のところまで来て、その濡れた手を掴まれた。 「・・・えっだ、大丈夫、です」 それで、俺は漸く流しの中を見た。 見事に割れていた。 「悪い、急に俺が声かけたから・・・」 「え・・・まぁ、その・・・」 「なに?」 「・・・て、離してください」 俯いたまま、俺が言うと、山井はやっとずっと手を掴んでいたことに気付いたようだ。 慌てて手を離して、「ごめん」と言った。 謝られても、困る。 俺は、授業前にあったときから、それ以前に、一葉として会った時から、俺はどうしていいのか困りっぱなしだった。 山井を目の前にすると、胸が痛いほどドキドキしている。 これは、ただ好きだからではない。それだけじゃない。山井が一葉を好きだと知っているから。それを騙してしまった罪悪感も、ある。 どうにもならない。 どうしたらいいのかも判らないから、困惑しっぱなしなのだ。 「悪い・・・これ、割って」 気まずくなったその場で、山井はとりあえず話題を変えた。 俺は俯いたまま、流しの中を見て、 「別に、もう一個増えたって、変わりはないし」 呟く。 「え?何が?」 「あ・・・やから、今日、すでに何個か割って・・・その罰で、片付けを」 「ああ・・・だからひとりでやってんのか」 山井は誰もいない教室を見回した。 「びっくりした。もしかして、イジメ?とか思った」 「っはは」 思わず、笑ってしまった。 俺がこんなに気を張っているのに、思いも寄らない言葉に、気が抜けた。 「え?何で笑う?だって、びっくりするだろ。授業終わってんのに、独りでこんなとこで・・・」 ――あかん、にやける・・・っ 一度おかしいと思ったら、笑いが止まらない。 俯いたまま、声を殺して笑う。肩を震わせてまで笑う俺に、山井は憮然として、 「なんで、んなに笑うよ?心配したのに・・・」 「・・・っはは、ごめ・・・っやって、久々やったから・・・」 そうだ。 思い返したら、大阪から出てきて、あまり笑ったことがない。 ずっと、何かに振り回されていた。 俺はなんとか、笑いをこらえて、山井を見上げた。 「ごめ、なさい。友達も、相地たちも、手伝ってくれる、ゆうたんやけど部活とかあるしって・・・俺が独りでするってゆったんです」 「・・・・・」 その山井は、呆けた顔で俺を見てた。 「・・・?先輩、部活は・・・?」 「あ・・・えっと、大丈夫。まだ」 「そうなんですか」 俺は割れたままのビーカーに手を伸ばした。 「そっちは・・・森澤は、何か入らないのか?」 「今のとこは、別に・・・」 「前の学校でも?」 「ずっと、剣道をやってました」 「こっちでは、やんないのか」 「まだ考え・・・っつ」 「切ったのか?!」 俺の小さな悲鳴で、山井は流しの中を見る。 かけらを一つ一つ拾っていた手を、勢いよく掴んだ。 驚いて、とめる暇もなかったくらいだ。 「・・・あ、全然、ちょっと引っ掛けただけです」 山井の、いつもバスケットボールを一掴みにしている手に比べたら、俺の手はすごく小さく見えた。その指先から、針で刺したような血が見えた。 「こんなん、嘗めれば・・・」 平気です、と言いたかった。 でも、口が止まった。 山井がほとんど無意識の状態で、俺の指を嘗めたからだ。 さすがに驚いて、今までで一番抵抗した。 「・・・っ先輩!!」 力いっぱい、自分の手を取り返した。 山井は真っ赤な俺の顔を見てから、自分のしたことに気づいたみたいだ。 「・・・あ、ご、ごめん・・・ちゃんと、消毒しろよ」 目に見えて取り繕うと、山井は雑に自分で割れたかけらを片付け始めた。 ゴミ箱にそれを捨てて、それから残っていた洗物に手を出す。 「あ、俺が・・・」 「いいから、洗ったの、片付けてろよ」 言われて、俺は大人しく従った。 二人で黙々とすると、簡単に片付いてしまった。 山井が終わったあと、濡れた手を振って乾かそうとしているので、俺はハンカチを差し出し、頭を下げた。 「あ、りがとう、ございました・・・」 「・・・別に」 山井は、それから、ポツリ、と 「・・・ほんとに、一葉とそっくりなんだな」 何気ない一言だったのかもしれない。 そんな言葉、今までだって、ずっと言われてきた。それでも、俺の中の何かが切れた。 「でも俺は、一葉やない!!」 思わず出た、大声に山井の方が焦って、 「いや・・・ごめん、いやなのか?本当に、そう思っただけで、他意は」 「他意?」 取り繕われるのに、俺はさらにムッとしてた。 「どんな意味があるゆうねん、俺かて、好きでおんなし顔なんちゃうで」 「ごめん、本当に、意味は無くて・・・」 「一葉に会えへんからって、俺のとこにくるの、止めてください・・・!」 山井も、思わず黙った。 我慢していたのに、出てしまった。 吐き出さなければ、収まらない。 「俺は、一葉の変わりやない・・・!」 そして、そのまま逃げようとした俺の手を、山井はすばらしい反射神経で掴んだ。 でも、俺はもうここに居たくない。 「はな・・・っ離しぃや!」 「・・・え」 言われて、山井は自分の手を見る。でも、その手を緩めようとはしない。 「や・・・っいやや、手、離し・・・っ」 俺は震えてるのに気づいた。それから、声も。 涙が溢れそうなのにも気づいて、慌てて俯いた。 「・・・・!」 その瞬間、山井の腕の中にあった。 俺は驚いたけれど、抵抗はやめなかった。どうにか、その腕から逃れようと、その身体を押し返す。それでも、山井はしっかりと俺を抱きしめている。 「や、いや・・・っ」 屈み込んで、大きな山井に何もかもが覆われる。 首に、温かい吐息を感じて、俺は背筋がぞっとした。 詰襟の中を、見られたくない。 俺は声を上げた。 「俺は一葉やないよ・・・!」 その言葉に驚いたのは、山井だった。 勢いよく、俺を放して、顔を改めるように見た。 山井は、顔色を無くして、俺を離しくるりと向きを変えて、入ってきたときと同じ窓から出て行った。 俺は、暫く放心してしまって、その場から動けなかった。 力が抜けて、その場所に座り込む。 震えているのが判った。 目に、涙が溜まったままだ。 その、震えた手で、首に触れる。 ここに、誰にもいえないものがある。 今まで、アクセサリーなどしたことのない俺が、ネックレスをつけていた。 一葉にも、見せていない。 山井に見せたら、ばれてしまう。 山井が買ったものだからだ。 一葉のために。 あの日、受け取った小さな袋の中身だった。 俺はそれを、どうしても、一葉に出せなかった。 棒状のシルバーが付いているだけの、シンプルなデザイン。 手に握り締めて、俺は暫く動かなかった。 |
to be continued...