歌姫 3 砂の街を出て一ヶ月を迎えた。 ツェンは始めに寄ったオアシスで自分たちを確かに狙う連中を少々荒っぽく片付け、すぐに旅立った。 すぐに夜になると知ってはいたけれど、オアシスの中で過ごすより安全だったのだ。 砂漠を抜けて、いくつかの国を越えて街を通ったけれど、再認識したのはこの黙ったままの人形が本当に目立つということだった。 人間のようでありながら、人間よりも美しい人形はやはり好奇の的になる。 横取りしようと付け狙われたのも、一度や二度ではない。 その度にツェンはアリタータを隠し、すぐに相手を処分してきた。 あまり綺麗な仕事ではないが、こういった連中には逃げるよりもこちらの力を見せ付けて一人二人を見せしめにしてやるのが一番早い、と経験上知っている。 アリタータを隠していればいいのだが、表情のない人形がその実、全てのものに興味を惹かれるように景色を見ているのに気付いていたのだ。 ツェンはそれを止めさせようとは思わなかった。 この感情のない人形が、少しでも見せる変化なら全て思うようにさせてやりたかった。 新しい街に立ち寄る度、ツェンは行き先の北の国の場所を確かめた。 雪深いところだと知ってはいるが、実際に足を踏み入れるのは始めてなのだ。 「ああ・・・あのAタイプの博士、もっと上に向かいなよ」 国の名前ではなく、その名を出せば行ったことも見たこともない人間でもその場所を知る。 どうやら目的地は近いな、とツェンは確認した。 「アリ、もうすぐだぞ」 美しい人形を抱える腕に、あまり力がないのをツェンは自覚した。 旅に出たときから考えれば、かなり目方も落ちているはずだった。 精悍に見える顔も、痩せてどこか凄みを増していた。 アリタータにもうすぐだ、と伝えながら、自分にもそう言って気持ちを奮い起こした。 すでに冬の温度を醸し出す街の外れの森の中で、ツェンは最後の野宿をとった。 いつもより大きく火を熾して暖を取り、古木に背を預けて身体に疲れがあるのを感じた。 しかし腕の中に変わらず軽すぎる重みを感じて、顔が自然と笑う。 「アリ・・・明日にはお前は博士のもとに帰れる」 この決して楽ではない旅を、良く頑張ったな、と褒めた。 変わらない黒い瞳の中にツェンは自分が映っているのを見て、また笑った。 「そうすれば――・・・もう、野宿なんてこと、しないですむ。暖かいベッドで、眠れる」 もう一度笑った顔が、どこか放り出したようなものになるのに気付いたけれど、ツェンは止められなかった。 そしてアリタータはそれを、表情も変えず見つめ続けるのだ。 その二人と熾き火の間に、ぼとり、と黒い塊が落ちた。 確かめれば、今仕留められたばかりの野兎だった。空から落ちてきたものに、誰の仕業かなどすぐに分かる。 ツェンはすでに夜だというのに飛び動く黒鷲を見上げて、 「・・・グロウ、それは食べない、お前の獲物だ」 「・・・・キィ」 暗闇から、気遣うような鳴き声が聴こえた。 ツェンはそれを聴きつつも、 「いいんだ・・・もうすぐだ」 腕の中の人形を抱きかかえ、腕に力を込めた。 アリタータがいつものように目を閉じるのを見て、ツェンは痩せた顔で翳を見せながらも笑った。 北の街、と呼ばれるだけあって、すでに吐く息は白かった。 乾燥地域に住むツェンの格好は、明らかに旅の者だと知れるはずだ。 日常なら、砂を含む土を踏みしめるブーツが、硬い煉瓦道を歩くのを不思議に思いつつもツェンはただまっすぐに歩いた。 その腕に、朝から抱いたままのアリタータが居た。 さすがにこの街では、アリタータの外見よりも自分の格好のほうが好奇の的のようだ、と笑って気付く。 煉瓦道を渡る馬車を避けようと身体を脇に寄せ、ツェンはそのまま通りに面した家の壁に背中を当てた。 「・・・しまったな、」 アリタータを腕に抱きつつ、苦笑してしまった。 目眩がしたのだ。 背中を壁に摺り寄せるようにして煉瓦道に座り込み、抱えていたアリタータを降ろす。 すぐ傍にある人形の視線を感じながら、ツェンはゆっくりと息を吐いた。 「情けない、もうすぐなのにな・・・少し、休んでいこうか」 アリタータはそれに答えることはなく、しかしその傍を動くことはない。 一度目を閉じたツェンが、再び動いたのは頭上から声を掛けられたときだ。 「・・・どうしたの?」 どこか人間も冷たさを感じる北の街で、座り込んだツェンを見ても近寄るものはいない。 それをいいことに道端で座っていたのに、声を掛けられてツェンは驚いた。 目を開ければ綺麗な顔をした少年が心配そうに首を傾げてツェンを覗き込んでいた。 その目がアリタータも見て、 「怪我? 病気? 大丈夫?」 目を閉じていたツェンより、ただ座っていたアリタータのほうが答えれるだろう、と訊いたのだろうが、ツェンは苦笑して答えた。 「・・・いや、大丈夫だ。どちらでもない。少し休んでいただけだ」 「シュリ、何をしているの」 その少年に声をかけたのは、背の高い青年だった。 シュリ、と呼んだ少年を心配そうにしているのがその仕草と視線で分かる。 ツェンは少し身体を起こして、 「すまないが・・・アリストテレスの城を知っているか?」 シュリが不思議そうな顔をしたけれど、後ろの青年は少し驚いた顔でツェンを見下ろした。 「誰? ブルー知ってる?」 「・・・・丘の城の、博士だよ」 「え? 博士って、そんな名前だったんだ?」 「いや、でもその名前を知っているのは・・・君は?」 シュリにブルーと呼ばれた青年は、改めてツェンの隣に膝を曲げて尋ねてくる。 「俺は・・・ツェン、ツェンエータ。アリストテレスに、アリを返したい」 「この、Aタイプだね、君が主人?」 「いや・・・アリに、主はいない・・・アリタータ、」 ツェンはすぐ傍にずっと座ったままのアリタータを見つめて、目を細めた。 「お前はもう、自由だ」 そこから、ツェンは意識を手放した。 * アリタータには、この旅が興味深いものだった。 見るもの全てが、初めてのものだからだ。 砂に舞う地平線も、緑の丘が映える山々も、人間が犇めき合う雑多な街も、アリタータは記憶に残すように眺め続けた。 人間の雄と続ける旅は、嫌なものではない。 変わらずその腕はアリタータを包んで眠らせてくれるし、時折どこかへ消えて、また血の匂いをさせて帰ってきてもその手に変化はない。 気温の低い街に入って、アリタータは記憶の底にある景色を思い出した。 それはアリタータの生まれたときのものだった。 博士の手で創り上げられたアリタータは、そのまますぐに暖かい場所へ買われて行ったのだ。 それはとても幸せなもので、それがずっと続くのだと思っていた記憶だ。 しかし人間の雄がこの街に入り、動かなくなった。そうなれば自分も動くことはない。 ただじっとしていると、また二人の人間が近づいて、この二人は博士を知っているようだった。 その手で、アリタータは生まれた城へ連れて行かれたのだ。 目を閉じてしまった人間の雄を見て、アリタータは初めてその寝顔を見たのだ、と気付く。 今日まで、アリタータが先に目を閉じ、後から目を覚ましていたからだ。 「アリタータ」 二人の人間の雄に連れられて、目を閉じたままの人間の雄と一緒に、アリタータは博士の前に立った。 記憶に変わらない、自分を創った存在は確かにそこに居た。 腕を広げて自分に触れ、その存在を確かめて嬉しそうに笑う。 「お帰り、アリタータ」 その腕に抱き上げられながら、アリタータは目を覚まさない人間の雄が少し気になった。 博士はその視線に気付いたのかそっちを見て、 「・・・だから、私は人間の医者ではないと言ってるんですがねぇ?」 困ったように笑った。 「でもさ、博士、この人、このアンドロイドを連れてきてくれたんだよ?」 「貴方の名前を知っていたので、理由があるのかと」 「理由なんて私は知りませんがね・・・どうみても栄養失調でしょう、どなたかを思い出す光景ですねぇ」 博士はアリタータを抱いたまま、からかうような声を二人に向けた。 その間に少し気まずそうな雰囲気が流れていたけれど、アリタータは博士の言葉に驚いた。 あの熱い砂漠の街を出てから、人間の雄が何かを口にするのを一度も見たことがないのだ。 アリタータは何も食べなくても生きていける。 そういう存在だった。 しかし、人間はそうではないことをアリタータも知っている。 大きな黒鷲が、獲ってきた獲物を人間の雄の前に何度も落としたのをアリタータは見ていた。 その理由を、ここで初めて知ったことに愕然としたのだ。 人間の雄の大事な相棒は、それを知っていたのだ。 アリタータは、知らなかった。 |
to be continued...