いつか雪の降る街で  9





「チャラチャラした格好して、お前に継いでもらわなくて正解だったな」
それが、キナと再会した父親の言葉だった。
店先で懐かしい抱擁をして、蟠り続けていた感情がどこか落ち着いた、とキナは心が軽くなった気がした。
傷付いたままのキナは、傷付けられたはずの誠人を見ても、その変わらない優しい感情を見せられればあの時と同じ怒りも不安も湧いてはこなかった。
ただ、幼かったキナが落ち着いて今の自分と重なった気がした。
その抱擁の後で、家の中にいるという父親のことを聞かされたのだ。
頑固なままの父親は、キナが出て行った翌年、脳卒中で倒れた、と言われた。
その瞬間、キナは背中がぞっとするほど震えたけれど、千夏と母親にどうにか持ち直したから、と言われて安堵した。
さらに後遺症が左半身に残り、不自由な生活になったために実家に戻ってきた千夏が誠人と店を継いだようだった。
その子供が、千夏の腕に抱かれた五歳のミナだった。
キナは想像していた以上に、現実は現実のまま進み時間が流れていたのだ、と言うことを知らされた。
いつまでも、時間を止めたように生きていたのはキナだけだったのかもしれない。
そのキナも、ケンカして怒鳴りつけたまま別れた父親に顔を合わせることだけが戸惑ったのだけれど、ベッドの上で孫を抱える父親の第一声が、それだったのだ。
「・・・・・・・・」
左半身が麻痺したようになったとはいえ、父親はリハビリに励み今では上体を起こし孫を膝に抱けれるほどの握力は取り戻したようだった。
最悪の状態を想像していただけに、キナは一瞬で過去に記憶が戻ったようで、
「こんなところで親父の後継ぐより有意義に生きてて正解だった!」
と言い返してしまったのだ。
母親のように泣いて抱擁してくれと望んでいたわけではないが、あまりの変わらなさにキナは少し感傷に浸っていた自分を綺麗に忘れてしまった。
そこから始まりかけたまるで七年間の空白もなかったような言い争いを収めたのは呆れた千夏だ。
「いい加減にして、二人とも! キナ、泊まっていくんでしょう、いつまでいるの? 帰省してきただけなんでしょ、先にお風呂入る? 部屋は二階の一番奥だからね。お父さんそのままミナを見ててね、これから晩御飯の支度するから――」
一気に捲くし立てられて、キナは言いかけた言葉も感情も全て飲み込んで父親と気まずい視線を交わしながらも、言われるままに動いたのだった。


落ち着いたはずの夕食の席で、キナは千夏と母親から質問攻めにあって今の住んでいるところから仕事まで聞き出され、戸籍の移動もないので保険にもなにも入ってもいない、とバレると頭から叱られた。
一週間の休みを取っている、と言うと一週間ずっといなさい、と決められてしまったのだ。
「だいたいキナってば、スタイリストってなにしてるの、仕事あるの?」
職業を聞かれて素直に答えたのだが、この小さな村で暮らしているとその仕事とは無縁で想像も出来ない、と言われたのだ。
キナは久しぶりに懐かしい食事を口に運びながら、
「んー・・・あのさ、昔なっちゃんが買ってたZEEDっていう雑誌、あれ、あれ担当してる、今。俺が」
全国誌になるファッション雑誌の名前を口にすると、千夏は目を顰めて背後の棚から一冊の雑誌を取って見せた。
その手には、最新のZEEDが乗っている。
「え?! これ?!」
「あ、そうそう、それ。スタイリストK・Sってなってるじゃん、それ俺・・・っていうか、なっちゃんまだ買ってたの? その雑誌20代から30代前半の女性向けの雑誌なんだけろ・・・っいひゃい!」
言葉の最後が崩れたのは、隣に座る千夏の指が柔らかなキナの頬を思い切り摘んだせいだ。
「あんたこんなことやってんならさっさと言いなさいよー!」
「や・・・っやって・・・っ」
千夏に感情のまま頬を引っ張られ、反論も言えないままキナは涙目になる。
やはり、どうしてもこの姉に勝てない、と脅えるとそれを助けたのは誠人だ。
「千夏、もうそれくらいに・・・キナ泣きそうだから、せっかく無事に帰って来たのに」
「ふん、あんたってば人に心配ばかりさせておいて、帰ってきたと思えばまず行くとこは草介さんのとこなんだから」
「だって」
「だってじゃないっ、いい年してまだそんな言葉使いなの! 成長したのは見かけだけ?」
「・・・・・・」
もう何も言わないでおきたい、とキナは叩かれて抓られてヒリヒリする頬を撫でて俯いた。
その時、それまで無言だった父親が低く、
「・・・お前、結婚は、」
その一言で、賑やかになりかけていた食卓に沈黙が落ちた。
しかし、キナはそんなことは気にしない、と父親を睨み付けて、
「俺の性癖は変わんないから。俺が結婚するとしたら、養子縁組じゃない?」
「お前・・・っ」
わざと相手を挑発するように言葉を選んだのに対し、父親が乗りかけたところで千夏が興味を引いて身を乗り出す。
「キナ、今付き合ってる人とかいないの? 連れて帰ってくれたりしてないの、見せてくれないの」
相手が誰であれ、千夏には関係ないらしい。
いつものように捲くし立てられて、キナは自分の眉間に皺がよったのに気付かないまま、
「・・・・いないっ!」
家族全員にその表情を見られ、そのまま反応がないのにキナのほうが訝しんで視線を向けて、
「・・・な、んだよ、」
代表して答えたのはやはり千夏で、溜息も付けられていた。
「その顔でキナってば・・・あんた全然成長してないわね、全部顔に出てるわよ」
「な、なにが?!」
「付き合ってる人は恋人なの? ケンカでもしてるの」
「な・・・っ俺あの人と付き合ってなんかないし! 合っててももう別れたし!」
「あの人ね、そのあの人って名前なんていうの?」
母親までが興味津々に顔を寄せてくる。
キナは真っ赤になった顔を隠しようがなく、仕方ないのでそれを怒りに変えて、
「か・・・っ関係ない! みんなには関係ないじゃん! てか俺ももう関係ないし・・・っご、ごちそう様っ俺もう寝る!」
まだ半分ほどしか食べていない食事に箸を叩きつけるように置いて、キナはその視線から逃れるように食卓のある茶の間を飛び出した。
忘れ去ろうとした記憶は確かに蘇り、全く変わらない家の中を間違うことなく思い出させる。
二階の一番奥は、元々キナの部屋で、今でもキナの部屋だった。
あの頃と変わらないままの部屋はきちんと掃除がしてあって、その空間にキナはただ感情が溢れて涙が零れそうになった。
自分は今まで、何のしがらみにしがみ付いていたのか、解からなくなって戸惑った。
キナを今まで苦しめるだけのものだった記憶は、こんなにも簡単に解けてなくなる。
飛び出した幼いあの日に、家族にぶつけた酷い言葉は今でも覚えている。
けれどそんなことは無かったように、姉や母親に隔たりはなく、父親は変化もなく、そしてキナをただ苦しくさせていた義兄は穏やかだった。
ベッドに座ると、その膝の上に雫が零れた。
千夏の言うように、キナは全然成長していないのかもしれない。
 ――泣き虫だ、俺。
変化もあって嬉しいのか、変化のないものも悲しいのか、キナは自分の感情がまた落ち着かなかったけれど、しかしそれは飛び出したときの苦しさなどではなく、ただこの空間が心地良かった。
暫くして、そのドアが外から叩かれるまでキナは顔を伏せて感情のままに泣いていた。
「――キナ?」
部屋の中に声をかけてきたのは、義兄になった誠人の静かな声だった。


to be continued...

BACK ・ INDEX ・ NEXT