いつか雪の降る街で 4 出迎えてくれた友人は、丁度仕事が終わったところだ、と言った。締め切りが近くなるとそれに集中して、一歩も出歩かなくなる友人は確かにむさ苦しい格好だった。 ――綺麗にしてれば、その辺のモデルより見劣りしないのにな。 キナは風呂にも入っていないだろう汚れたジャージで、薄いとはいえいつから剃っていないのか伸びた髭で、目の下に隈を作った相手を見上げた。 友人は少し目を驚かせてキナを家に入れて、 「また何をお前は言い出してんだよ・・・」 疲れているから後にしてくれ、と言わんばかりに欠伸をしてみせた。 キナは慣れた家に入りながら、 「何でだよ、お前遠恋中だろ? 溜まってないの、どっかで浮気してんの」 「してない・・・って、何言わせるんだ、俺ちょっと風呂入ってくるから、適当にしてろ」 この家はよく飲み会に使われることから、キナも勝手知ったるものだった。 友人がさっさと奥に消える背中を見て、キナは酔いが足りない、と飲み残しを並べてあるキッチンカウンタに手を伸ばした。 残ったもの、とはいえ、味を色々変えながら三本目まで開けたところで友人がさっぱりとして上がってくる。首にタオルをかけたままキナの手元を見て、 「・・・お前、またそんな無茶して、」 盛大に溜息を吐いた。 キナは赤い色と琥珀色が混ざったグラスを掲げながら、 「一個一個は美味いのに、混ぜると何の味だかわかんなくなるのってどうしてかな?」 「チャンポンすんなって言ってるだろ」 口にまた運ぼうとしたところで相手に取られてそのまま流しに置かれた。 「飲まないの?」 「俺はいい、もう寝たい・・・」 風呂に入ったのも、汚れたままベッドに入るのが嫌だったからのようだった。 リビングと寝室を仕切ってあるロールカーテンを上げて、濡れた髪をガシガシとタオルで拭きながらそのベッドに膝をかける。 キナはそれを追って、持ち主より先にそこに転がった。 「する?」 「・・・・・しない」 「なーんで」 キナは寝転がったまま、自分のベルトに手をかけてズボンを一気に下ろした。 シャツと下着になった状態でまた友人を見上げて、笑う。 「な、ちょっとだけ」 普通に笑んだつもりだったのに、それを見下ろす相手の顔が痛ましそうに歪んだのを見て、キナは視線を先に背けた。 「キナ」 呼ばれて、キナは背を向ける。 ベッドがギシリ、と軋んで友人の手が肩にかかり、 「弁護士さんと喧嘩したのか」 「・・・・してない」 「じゃ、なんで」 「・・・・別れた」 「は?!」 勢いで自分の方へ向かせようとする力を、身体を丸めるようにしてキナは堪え、 「別れたよ、結婚するんだって」 「な・・・・っ本当に?!」 「お見合いしてた」 キナの声に、背後で大きく息を吐かれたのが聴こえた。 「キナ」 それから、さっきよりも低い声で呼ばれる。 「それ、ちゃんと確かめたのか? 逃げてきたんじゃないだろうな?」 「・・・・・・」 なんで解るのだろう、とキナは顔を逸らしたまま勘のいい友人を少し呪った。 けれど、何を言っても結局は人が良く、面倒見の良い友人は頼めば何でも聞いてくれるのだ。 縋れというのなら、友人相手になら縋れた。 だから顔も見えないのを言いことに、 「ちゃんと確かめた」 さらりと嘘を口にする。しかし相手もよく、キナを知っていた。 「じゃ、この電源落としてあるお前の携帯、つけてもいいか?」 「・・・っ」 それに慌てて振り返り、背後でいつの間にか手にしていたキナの携帯を相手から奪う。 それを腕に抱いてまた背を向けて丸まり、 「人の携帯勝手に突付くなよ!」 「お前な・・・」 「前みたいに、ちょっと抱いてくれればいいのに、春則のケチ」 「ケチって・・・・あのなぁ、」 疲れてるんだよ、とキナの反対側にその身体を横たえたのが解った。 「俺が今欲しいのは睡眠。性欲じゃねぇの、」 「もう歳なのか、春則」 「お前な、」 キナが身体を返して友人の方へ顔を向けると、本当に疲れているのか相手は天井を向いて目を閉じていた。 けれど寝てしまっているのではなく、そのまま口を開く。 「抱いて欲しいなら、譲二のトコ行けばいいだろ・・・あいつなら簡単に抱いてくれる」 「やだよ」 即答したキナに、友人は目を開けて、 「なんで」 「あいつんちにはペットがいるだろ、居たら絶対、ペットの相手しかしねぇじゃん。で、絶対俺の前で見せ付けるようにペットを可愛がる」 「っく、あはは!」 相手にも想像が付いたのか、共通の友人を思い浮かべて思わず笑ってしまう。 「そりゃそうだ、譲二はやるね、絶対・・・ケイタは可愛いからな・・・」 「どうせ俺は可愛くない」 「キナも可愛いって・・・」 拗ねた口調になってしまったのに、友人は身体を横に向けてキナに腕を伸ばした。 細いキナを抱き寄せて、 「帰りたくないなら、俺んちにはいつまででも居ればいいよ、仲直りするまでいろ」 「・・・・だから別れたんだって・・・」 「じゃあ、お前の気が済むまで、居れば」 キナの言い分を本気に取らない相手だけれど、キナは大人しくその腕の中に収まって薄い胸に額を当てた。 そこから、規則正しい心音と共に声が聴こえる。 「・・・でも、抱くのは勘弁、な。あいつが浮気しないかぎり、俺からするわけにはいかないんだよ」 「・・・・素行正しい春則なんて、ヘン」 「ああ・・・・俺もそう思う」 自分で言ったことに、自分でも違和感を思ったのか微かに肩を震わせて笑った。 「明日、仕事は?」 言われて、キナはスケジュールを思い出す。 「・・・午後から、スタジオ入り」 「じゃ、昼まで寝れるな・・・のんびり寝てようぜ」 本当に疲れているのか、すでに相手の声は寝息に混ざってしまっている。 けれどキナを抱いた腕は離れることはなく、キナも風呂上りの清潔な匂いに包まれて目を閉じた。 友人達が、キナに甘いのは知っていた。 いつもこの家に屯って遊んでいく仲間達は、一見遊んでいるようにみえて自分はしっかりと持っている大人の人間ばかりだ。 遊びとそうでないことの区別は、誰よりも解っている。 その中で一番年下で、さらに高校を出てから一人で生きてきたキナを誰もが心配してくれていることもキナ自身が知っていた。 「甘えて、ごめん」 きっともう聴こえていないだろうけれど、キナは小さく呟いて友人の身体に擦り寄った。 ――恋愛に、こんなに弱い自分が、嫌いだ。 人を好きになる形は本当に様々なものだ、と異色揃いの仲間を見るとそう思う。 それでもみな、自分の気持ちを落ち着けて相手を見つけているのだ。 人からはねつけられることが怖くて、誰も好きになれないキナはやっぱりまだ子供なのだろうか。 ――好きになることが怖いなんて、俺やっぱ一生恋愛出来ないかも・・・ 犬養を想うと、胸が苦しくなるほどになる。 それが好きだということなら、もう手遅れなのだろう。 けれどキナは、どうすることが一番正しいのか解らなかったのだ。 逃げただけだ、と言われても、逃げる以外の処置を知らない。 次の相手を探すために、またあの落ち着いたカウンタに座ることは、当分出来そうにないな、とキナは思っていたより疲れた身体を休めることにした。 |
to be continued...