お願い、サヨナラと言って  5






驚いたのは修也たちだった。
母親が家のことを一切しなくなった状態だったので、毎日駆けつけて来てくれていたのだ。
入学式の装いから着替え、母親の従姉妹である小母は修也を連れて現れた。
颯太だけが出迎えるだろうその家で、二人は固まるようにして驚いた。
颯太は自分の母親の隣にいて、それを違うもののようにただ眺めていただけだった。
「草子さん・・・っどうしたの?! 颯太くん?!」
慌てたように小母が問い詰めたのは、母親が焼いたホットケーキを一緒に食べていたからだ。
颯太は、着せられたワンピースのままだった。
「どうしたの?」
問いかけられた母親のほうが、小母の慌しさに首を傾げた。
「どうって・・・! 颯太くん、なんで、その服・・・」
楓子はいない。
もう、どこにもいない。
けれど、そのワンピースを着る少年は楓子にしか見えなかった。
「可愛いでしょう」
笑って答えた母親に、小母も修也も何も言えないままだった。
母親はそれをなんでもないように颯太へと視線を動かし、
「楓子、飲み物は何にする? 紅茶か、コーヒーか・・・」
「いや。カフェオレにして」
強い口調で我侭を口にする。
母親は相好を崩し、
「そうね、楓子はカフェオレが好きなのよね」
愛娘の為にそれを用意する母親に、颯太は感慨もなくただ見つめていた。
颯太は母親が用意してくれるものならなんでも良かった。
本当を言えば、楓子の好みだったカフェオレは颯太には甘すぎて飲めないものだけれど、颯太は颯太ではない。
楓子なのだ。
母親に対して、誰もに対して、我侭を言うのは楓子なのだ。
「美味しい?」
「うん、ママ」
その異質な母子を、小母と修也がただ呆然と見ていた。
その二人に連絡を受けて、慌てて帰ってきた父親も驚愕を隠せなかった。
どこを探しても、そこに息子の姿はない。
母親に甘えて、傍から離れないその姿は楓子のものだ。
「颯太・・・!」
真っ青になった父親に、颯太は手を引かれて母親から引き離される。
見えない場所まで行って、不安そうに心配そうに顔を覗き込まれた。
「颯太、颯太、大丈夫か?! どうして、こんな・・・・!」
楓子の服を着て、楓子の真似をする。
父親にしてみれば、娘どころか息子も失ったような心境だったのだろう。
しかし、父親は母親の精神状態を良く知っていた。
泣きそうな顔で、颯太を抱きしめる。
「きっと・・・きっと、すぐに、お母さんも正気に戻るから・・・! それまで、一緒に頑張ろう・・・!」
「・・・・・・」
父親の腕の中は、温かかった。
愛情で溢れていた。
この腕の中で、自分は楓子ではない。
颯太は心臓が苦しかった。
熱いものが、込み上げてくる。
慌てて父親を引き離した。
「颯太・・・・」
心配そうに覗き込む父親に、颯太は苦しくなる声を絞り出した。
「・・・・お母さんが、心配するから」
そう言って母親の待つ部屋へ身体を翻した。
母親の隣で、楓子と呼ばれて返事をした。
心臓が、痛い。
颯太は壊れそうだった。
しかし、それを受けた。
それが、罪だと思った。
自分のしたことの、自分が思ったことの。
こんなに母親の愛していた妹を憎み、死んで嬉しいと喜んだことの。
あのまま、父親の腕の中で泣き崩れてしまいたかった。
こんなのは厭だ、と叫んでしまいたかった。
楓子になど、なりたくない。
それが本音か?
楓子になれば、修也といられる。
誰にも、可笑しいなどと言われない。
ずっと、一緒に居られる。
楓子のままでいれば。
このままでいれば、いつか、居なくなったのは楓子ではなくなるかもしれない。
誰もが、そう思うかもしれない。
颯太はただ、どんよりとした思考が晴れないまま、母親の隣に座ることしか出来ずに居た。
颯太には、何もできなかったのだ。
母親を正気に戻すことも、颯太自身の意思を通すことも。
ただ、それでも修也の隣には居られた。
変わらず、その場所は他の誰でもなく、颯太の場所だった。
いや、颯太が、修也以外を隣に置かなかった。
返せば、修也以外の誰も、颯太の隣には来ることはなかった。


to be continued...

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