いつか降る雨のように 5 「悪かった」 端的な、謝罪の言葉。 キナはその意味を掴み損ねて、眉間に皺を寄せて言った犬養を睨みつけた。 どういう意味の、謝罪なのか。 キナが係わり合いになりたくない、と連絡を取らない以上、切り捨ててしまえば終わる関係だったはずだ。 それなのにここまで来て、犬養からの一方的な誹りを受けて、そして謝る。 なにに対して謝っているのか。 キナに? 抱いたことに? 騙したことに? 傷つけたことに? キナに、期待を持たせたことに? そのキナの心情が解かったのか、犬養は自分を落ち着かせるように息を吐いてから声を続けた。 「確かに、最初は抱くつもりなんかなかった。いつ、きり出そうかと何度も思ったが結果的には一度も言えなかった」 「・・・どういう意味? そ、そんなつもりないならさぁ、わざわざゲイでもないのに男を抱いたりするなよ!」 「興味がなかった、と言えば嘘になる。だから、抱いた」 「・・・・なら、好奇心はもう治まっただろ? 俺にもう興味はないだろ?」 犬養の言葉に、心臓が痛いのはどうしてだ。 キナは病気なのだろうか、と思い始めた。 何か、心臓悪かったっけ、と顔を顰める。 興味だけで抱かれたのだ。 犬養のセックスは丁寧だ。 そのわりに戸惑いを感じなくて、初めて抱かれたあの夜は何も思わなかった。 キナが焦れるほど丁寧で、もういいから早く欲しい、と娼婦のように強請ってしまった。 それでも犬養はキナの身体を気遣うように優しく、甘く、上手かった。 それに溺れたのかもしれない。 嵌ったのは、キナが先なのかもしれない。 そのキナには甘いだけの一夜が、興味だったと言われて、傷付かないはずもないのに。 もうこれ以上口を聞きたくない。 心臓が、キナの全てが壊れてしまうまえに、逃げ出してしまいたい。 けれど、続けられた犬養の言葉に、キナは今までで一番驚いた。 「抱いているうちに、お前に興味が湧いたんだ」 「・・・・は?」 「どんなにして抱いても、お前は身体が慣れていて、そうしたのが俺ではないと思うと苛付いて、どうしようもなかった。仕事の事情で近づいたのに、それを終えてしまうと逢う理由が見つからなくて、いつまでも聞きだせずにいた。どうしてこんなに逢いたくなるのか、考えてなんども迷った。けれど決めた。もう、迷わない。お前が欲しいんだ」 「・・・・・・・」 犬養の珍しく長い言葉に、キナは思考を止められた。 なんだって? 犬養の目は真剣で、キナから一ミリとも逸らされることはない。 キナの顔はきっと呆けた顔をしている。 酷く聴き慣れない言葉を聴いた、と頭が追いつかない。 「二度と、遊びだなんて言わせない。浮気でいいなんて思わせない。誰かの代わりにすることもない。俺はどうしても、キナが、必要なんだ」 「・・・・っ」 キナは何かを言いかけて、口を開きしかし空気を噛んだだけだった。 喉から声は出ず、代わりに首筋から徐々に熱が上がり顔を、全身を染めた。 頭より、身体が先に羞恥を知った。 なにを、言っているのだ。 誰を、なんだって? 顔が熱い、と思うとキナはもう犬養と視線を合わせて居られなかった。 慌てて俯いて、しかし何を言うでもなく口は渇いたまま開かれていた。 「俺は仕事しか出来ない情けない男かもしれないが、男と付き合ったこともないが、どうしても、お前をもう手放すなんて考えられない。俺の傍にいて、二度と他の誰にも抱かれないでくれ」 告白をされた。 そう気付いたのは、暫くしてからだった。 真っ赤になって俯いたキナの答えを、犬養は辛抱強く待つらしくその店には沈黙が続いた。 それを破ったのは、唯一、運悪くそこに居合わせた――いや、元々はその男の店なのだが――マスターの松下である。 「・・・・あのね! アンタたち、痴話喧嘩ならほかでやってくれる?!」 それにようやく二人だけではない、と思い出したのかキナと犬養はお互いではなく同時に松下を見た。 カウンタの内側で、変わらない厚塗りの顔を思い切り顰めて松下はその客にならない二人を睨み付けていた。 先に自分を取り戻したのはキナだった。 「な、なんだよ、ち、痴話、ゲンカ・・・って!」 「痴話喧嘩でしょうが! まったく振ったの振られたのって落ち込んでるのかと思えばただの早とちりで迷惑ったらありゃしないわ! あんたもね、弁護士さん!」 松下は心から面白くなさそうに顔を歪めてキナを罵り、そのあとできっちりとスーツを着込んだ弁護士を睨み付けた。 「このクソガキは思い込みが激しいしいつまでたっても大人になれない寂しがりやな子供なんだから、それくらい弁護士という職業柄すぐに気付きなさいよ! 付き合ってると思ったら浮かれきったり振られたと言って沈んだり。キナが一喜一憂するのはあんたのせいなんだからね?!」 その相手をする身にもなって欲しい。 松下の言葉に犬養は少し驚いたがそれを確認しようとキナを見ると、キナは真っ赤になって驚愕し、驚きすぎて声もなく口を開閉させていた。 「・・・なっ、な、なん、なに、が・・・っ」 ようやく出て来た言葉は、あまり意味の通じないものだ。 それでもキナはさっきから上手く動かない頭で必死に声を出そうとした。 「な――なに、を、言ってんだ、よっマスターは・・・っお、俺は、俺は別に、犬養さんの、こと・・なんか・・・っ」 「顔中でスキだスキだって言っておきながら、今更だって言ってるのよ、いい加減素直になって観念しなさいよ」 「は?! 俺が?! な、なんだ、よっ観念って・・・!」 「アンタはこの弁護士さんが好きなんでしょ。スキでスキで仕方ないんでしょ。ならさっきの熱烈な告白に答えてさっさと出て行きなさいよ、いつまでもここにいて営業妨害しないで」 「え、お・・・っな、なん、が・・・っ」 「すまない」 言葉が上手く作れないキナの代わりに、素早く口を挟んだのはその犬養だった。 「確かにここでする話でもなかった。すぐにお暇する」 松下に軽く頭を下げて、犬養はキナの腕を強く掴んだ。 「へ? ええ?」 キナがまだ理解し切れていないのも気にせず、犬養はキナの置きっぱなしのブルゾンも掴んでドアへと向かう。 一方的に犬養が掴んだ手で繋がれた二人の背中に、松下のわざと作った高い声が届いた。 「可愛がってもらうのよ〜」 「かわ・・・・っ」 それに反論しようと、振り返ろうとしたキナを犬養は力にものを言わせて息の白くなる外へと足を踏み出した。 |
to be continued...