いつか降る雨のように  5.5






ブルゾンを着せてタクシーに押し込めたキナは始終黙ったままだった。
顔を犬養と合わせようともしない。
強張った表情は緊張しているようで、怒っているようでもある。
先ほどの「ネム」のマスターの言葉を信じるなら、犬養のことを嫌ってはいないはずなのだが、はっきりとキナの口から聴いたわけではない。
酷いことをしたのだ。
その、自覚はあった。
キナの言う通り、傷つけたのだろう。
しかし落ち込んだと聞いて、嬉しく思わないはずもない。
子供のように心が浮かれているのに、犬養は気付いていた。
そういえば、誰かにあんなに真剣に想いを伝えたのも初めてだった。
どうしても、キナが良かったのだ。
キナでなければ駄目だったのだ。
自分の決めたことで、後悔などしたことがない。
今の感情も、間違っていないと確信している。
タクシーに乗り込み、自宅の住所を告げた。
キナは窓の外へと視線を向け、犬養のほうへは一度たりとも見ないままだ。
犬養はそれでも良かった。
隣に、座っているのだ。
この距離に居る。
犬養は今、ほんの少し常識が残っていることに自分が一番驚いていた。
何も起こらなければ、大人しく家までこの状態を保っていられる。
けれど、ほんの少しのきっかけで犬養はどうにかなりそうな自信もあった。
ここが、すでに家なら。
誰も他にいなかったのなら。
タクシーの中でなかったら。
犬養はキナの意志もなく押し倒していただろう。
乱れもなく着込んだスーツの下で、犬養は心臓が速くなるのが解かった。
キナを見ているとそれが爆発しそうだった。
自分に耐え切れなくなって、場所も考えず襲い掛かりそうだった。
犬養は完全に自分を見ないキナから視線を外した。反対側の窓の外へ顔を向け、窓に溜息をかける。
外を確認して、早く家に着けばいい、と願った。
これほど、焦ったこともない。
仕事ですら、こんなにも願い乞ったこともない。
シートの隣で、少し身動ぎをしたキナの手が犬養の手に触れた。
「・・・・・っ」
その瞬間、犬養はその手を包み込んだ。
キナの手は冷たかった。
自分の手が、熱いのかもしれない。
年甲斐もなく、焦っているのが出ているのかもしれない。
自分だけ、だろうか。
犬養はそう感じて、キナの気持ちをどうにか自分に向けたくて、自分より細く小さな手を握り締めた。
冷たい手は、握り返しては来ない。
それに犬養は指先を絡め、細い指を一本一本確認するようになぞった。
付け根の柔らかな襞を撫でて、何度も握りこみ確かめる。
冷たい手に、犬養の熱が伝わる。
キナは手を振り払わなかった。
それにどこか安心して、犬養は家に着くまでキナの手を弄んでいることにした。


to be continued...

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