いつか降る雨のように 6 促されて入って、キナはその家の中を見渡した。 マンションだけれど、賃貸にも見えない。 部屋は広く、全部でいくつあるのかその場所からは解からない。 通されたリビングはどこか整頓されていて、辛うじてソファの前にあるテーブルの上に書類が散らかっている程度だ。 しかし、生活の匂いがした。 ここで、暮らしているのだろうか? キナはそのソファにジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイも解いて投げた犬養を見て、 「・・・ここ、どこ?」 戸惑うように聞いた。 タクシーの中で犬養が住所を言っていたけれど、どこへ行くとはキナは聞いてはいない。 ただ、引っ張られて連れてこられただけだ。 犬養はそんなキナの質問に眉を寄せた。質問の意味が解からないようだったけれど、答えは返ってきた。 「俺の家だ」 「・・・・え?!」 驚いて、寛ぎかけた犬養をまじまじと見てしまった。 それに、犬養も驚いたような顔をする。 「・・・どこだと思ったんだ?」 「え、だ・・・だって、家って、ここ、犬養さんが、住んでるの・・・?」 「家だからな」 「ここ、毎日帰って、寝てる・・・の?」 「・・・・当然だろう、何が言いたい?」 キナは視線を向けていられず、俯いてしまった。 初めてだったのだ。 友人以外の、家に連れてきてもらったことが。 今まで、ホテル以外の場所でもあったけれど、それは浮気用のマンションだったり、ホテルではないにしろそのためだけの部屋だったりした。 決して、相手の生活のある部屋ではない。 それが表情に出ていたのか、犬養には簡単にばれたようだ。 「お前、俺をどう思っているんだ? 俺が言ったことを、理解しているのか?」 言われて、手を取られて引き寄せられた。 手に、指が絡む。 それに心臓が止まりそうなほど高鳴った。 さっきまで乗っていたタクシーの中で、手を重ねられた。 まるで、キナの身体を確かめているような、熱の籠った指先で手だけをずっと弄られていた。 それを思い出して、キナは顔を赤らめてしまった。 そのときは何も言えなかったけれど、身体中で反応して、腰が疼いていた。 犬養の腕の中に引き寄せられて、キナは赤くなった顔を俯かせる。 「キナ?」 抱きしめる犬養の腕はキナの背中を滑って下へ向かい、腰をなぞってその下の柔らかな双丘を確かめるように撫で、自分を主張するように腰を押し付けた。 その動きが、思いがキナにもはっきりと伝わってくる。 子供ではない。 いや、初めてされることでもない。 けれど、キナは羞恥があった。 どうしても、拭いきれなかった。 初心な子供のように、キナは居たたまれなくなって自分とは違う厚い胸板を押し返す。 「い、犬養さん、エロい・・・っ」 責めたつもりの言葉だった。けれど、あっさりとそれは受け入れられてしまった。 「当然だろう? お前を前に、欲情しないはずもない。お前を見たときから、俺は抱きたくてどうしようもなかった」 「よ、よく・・・っ」 「良い年した男が何を血迷っているのかと思うかもしれないが、事実だ。キナ、抱かせてくれ」 我慢出来ない、と耳元に囁かれて、キナは身体の奥が熱くなったのに気付いた。 いや、犬養の告白を聴いたときから、キナの中はどうしようもないくらいに熱が篭っていた。 そしてそれを何故か恥ずかしく思ってしまった。 やりたいときは、我慢などせず自ら誘うようにして身体を開いてきたはずだった。 相手を見てしているので、それほど酷いことをされたこともないがそれでもされるままにしたいままに、どんなこともしてきた。 今自分を抱くこの腕も、同じだと思えばいいのにキナは湧き上がる羞恥に困惑してしまっている。 それもこれも、あんな告白を聴いたせいだ。 キナが欲しいと、言われたせいだ。 どうしようもない。 キナは、犬養が好きになってしまっていた。それに、気付いた。 抱きたい、と背中を抱き寄せる犬養を、キナは俯きながらもその身体を押し返した。 「・・・キナ?」 キナは何度か頭を振り、小さく謝った。 「なに?」 聞き間違いか、と顔を覗き込もうとする犬養にキナは間違いではない、ともう一度言った。 「ご、ごめんなさい・・・」 「なにを謝っている・・・? 謝るのは俺のほうだと思うが」 「・・・う、ううん、あの、犬養さんは・・・悪く、ないから・・・っ」 「・・・お前、それは人が良過ぎるというものだろう、それで何度も騙されてきたんじゃないのか?」 いいように、男の都合の良いように扱われてきたのでは、と犬養ははっきりと眉を顰めた。 その犬養にキナは顔を強張らせて、熱くなった目から何も零さないように、と必死になっている。 「ち、ちが・・・俺、犬養さんとは、もう・・・」 出来ない。 あの優しい愛撫を受け入れられない。 このまま、終わってしまいたい。 そのキナの想いが伝わったのか、犬養は驚いたけれど納得は出来ない。 「なにを・・・どうしてだ? やはり、俺が騙していたことが、そんなに・・・赦せないか」 「・・・ううん、そう、じゃなくて・・・」 耐えられない。 もうすでに、自分が保てなくて崩れ落ちてしまいそうなのに。 松下にもすぐに解かるほど、キナは犬養が好きになっている。 キナが想っていても、相手はいつもキナには向かなかった。 それをキナは充分に知っていたし、それで良かった。 キナの側にはずっといないと知っていたからなんでも出来たし、我儘にもなれた。 それでも、振られてしまえば落ち込んだ。やはり、キナには誰も向かない。 そういう人間なのだ、とキナ自身が自分に納得していた。 それを忘れるために、いつもすぐに他の誰かに目を向けていた。 しかし、そんな新しい相手も決まってキナが本命ではない。 他に誰かが居る。 そんな相手が、キナは自覚なく解かるようになってしまっていた。 安堵だった。 初めから、振られることを知っていれば実際にそうなってもさほど傷つくものではない。 だから、犬養からの想いを素直に受け入れられない。 傷つくのが、怖いのだ。 本気で好かれていると思って、キナはそうなったときの自分が怖い。 とてつもなく、嫉妬深い人間になりそうだ。 もし、相手の気持ちが変わってやはりキナ以外の人間を選んだら。 キナは、どうなるのだろう。 いつものように寂しいと思い、次の相手を探そうとあのバーの椅子で回っているのだろうか? そうは、ならないような気がした。 どこまでも堕ちて、相手の幸せを願うより、妬むようになるかもしれない。 それが、キナは許せなかった。 自分が、許せないのだ。 だから、犬養が怖い。 素直に真っ直ぐな愛情を向ける、犬養の気持ちが怖い。 どうして自分なのか、まったく解からない。それがまた不安を煽る。 「キナ・・・」 黙ったキナの想いを想像したのか、犬養がキナの腕をしっかりと掴んで上へと向けた。 不安に揺れるキナの目が、強く真っ直ぐに見つめる犬養の視線を捕らえた。 「俺は、そんなに信用がないのか?」 「・・・そ、そう、じゃな・・・」 「そう言っているようなものだろう、確かに俺はあまり信用されるようなこともしていないが」 「い、犬養さん・・・男の身体が、珍しい、だけだよ・・・すぐに、ちゃんとした人が・・・」 「ちゃんとした人っていうのはどんな人間だ」 「・・・・それは、し、仕事に合った、綺麗な、女の・・・」 「仕事で恋人を選ぶつもりはない」 「・・・・・っ」 「俺が誰と一緒にいようと、仕事に障りがあるわけではない。お前が何を遠慮しているのかは解からないが、俺の気持ちには答えてくれ」 キナは犬養から視線が離せなかった。 犬養はなにも思わず言った言葉かもしれないが、キナははっきりと「恋人」だと言われたことがない。 それに心の全てを奪われるように、呆然としてしまっていた。 「・・・き、きもち、って・・・」 「俺は、お前が好きだと言ったろう。お前はどうなんだ? 嫌っては・・・ないな?」 「・・・・っ」 最後は囁くように言われて、キナは思わず目を伏せる。 固まりかけていた身体を動かし、犬養の腕から逃れようともした。 「・・・こ、怖い、よ・・・犬養さん、そんな、真剣に・・・っ」 「真剣にもなる。怖くたって当然だろう、これまでにこんなに真剣に誰かを想ったこともないんだ。なのにキナは隙あれば俺から逃げようとする。どうにかして、キナをここに繋ぎとめておきたいと必死になっている男が、怖くなくてどうする」 屁理屈のようにも聴こえる言葉が、全てキナに突き刺さる。 「首輪でも付けて、ベッドに繋いでしまいたい。逃げないように、その四肢を縛ってやりたい・・・それが、本音だ」 「・・・い、犬養さん、それじゃ、犯罪だよ・・・」 「ばれなければいい」 「・・・・・」 はっきりとした犬養に、キナは何も言えなくなってしまった。弁護士の言葉ではない。 目の前で必死になる男は、誰からも尊敬されて落ち着きのある弁護士ではない。 ただ、一人の相手に逃げられないようにと必死になっているどこにでもいる男だった。 「キナ」 伏せた顔の額に、犬養が温かな唇を付けてくる。 「俺が、嫌いではないな・・・?」 「・・・・・」 キナは少しだけ、首を引いた。 それしか、出来なかった。 「好きだと、言ってくれ・・・でないと俺は、どうにかなりそうだ」 「・・・・」 微かに開きかけたキナの口を、犬養は先に付け足した。 「だが、そう言ったら覚悟しておいて欲しい。俺はお前の全てを奪うつもりでいるからな」 逃げ出せもしないし、もう二度と他の誰かに抱かれることも許さない。 キナは怖かった。 これほど、激情のような想いをぶつけられたのは初めてだった。 犬養はのぼせ上がっているだけだ。 この熱が引けば、キナは泣くだけでは済まないかも知れない。 けれど、逆らうことが出来なかった。 犬養の想いが強いのもあるが、それと同じくらいにキナの気持ちが強かった。 「・・・す、好き・・・です」 最後は、犬養の唇に吸い込まれた。 軋むほどに抱きしめられて、キナはどうなってもいい、と本気で思った。 |
to be continued...