ネクタイ





繕は連絡を受けて、首を傾げた。
「デザイン事務所?」
電話の向こうで、受付が来客を告げている。
繕はとりあえず、降りていくと伝えた。
一階のロビーに立って、その受付の前にいる男を良く見た。
それから、驚いた。
「村瀬さま、お忙しいときにすみません」
にこやかな笑顔で、そう頭を下げたのは、紛れもない春則だ。
いつもの格好とは全く違う、落ち着いたスーツ。
いつもは下ろしている髪を整え、どこから見ても、営業のサラリーマンである。
小脇に抱えた、書類封筒を見せ、
「先日、おっしゃっていたサンプルです・・・お忙しいとは思ったのですが、これをお渡しするだけでも、と思いまして」
受付嬢が見守る中の会話である。
繕は表面上はいつもと変わらない顔で、
「わざわざ有難う御座います・・・連絡を頂ければ、こちらから伺いましたのに」
「いいえ、あわよくば、営業もさせていただこうと思いまして・・・お時間、頂けませんか」
繕は時計を確認して、受付のカウンタに向かった。
「会議室は?」
「今は・・・第三が空いてます」
「鍵を」
「はい」
受付にその鍵を貰って、春則を見た。
「どうぞ、こちらでお話を伺いましょう」
「有難う御座います」
笑って繕の後に付いた春則は、受付嬢たちに笑顔を振りまくことも忘れない。
きっと、繕が来るまでも、いつもの愛想の良さで相手をしていたのだろう、受付にいた社員もにこやかに答えていた。
エレベータを降りて、最奥の部屋まで無言で歩く。
第三会議室は、この会社で一番小さな部屋の会議室だった。
十人ほどが座れる円卓のテーブルが置いてある。その前に、ホワイトボードや映写機、普通の、会議室だった。
鍵を開けて入って、また鍵を閉めた。
繕が春則を見ると、営業用の笑顔から、いつもみる人を賺したような笑顔に変わっていた。
「何だ、一体」
繕の口調も、先ほどとは違う。
灰皿を引き寄せて、煙草に火を付けた。この会社でも禁煙禁煙と煩いが会議室だけは全室喫煙可能だった。
「なにって、ご要望に応えてみたんだけど?」
「要望?」
春則は繕に近づいて、ネクタイを引っ張った。
「解いて、みたいんだろ?」
繕は暫く、その笑顔を見て考えた。
なんの意図があるのか、さっぱり解らなかったのだが、しかし何かが抜けたように、笑った。
「なに?」
「いや・・・」
春則に別の意図などない。
ただ、してみたかったのだろう。
「解いていいのか?」
「いいよ・・・ここ、防音だよな?」
「当然だ」
繕は机に凭れたまま、春則を引き寄せた。
ネクタイを持ちかけて、
「・・・別に、解かなくても、いいような気がするな」
「・・・・あんた・・・まぁ、どっちでもいいけど」
繕の言いたいことに、春則は冷たく見て、でも、目を閉じた。
要するに、したままするのもいい、と言いたいのだろう。
自分でも、それは思うところだったので、何も言わずに笑った。
「・・・それにしても、本当にデザイン事務所なのか?」
キスの合間に、繕は呟く。
始めに貰った名刺には、その事務所の名前のみが書いてある名刺だったのだ。
「まぁね、つっても、俺一人なんだけど」
「グラフィック?」
「そう、まぁ、いろいろ・・・下請けだから、何でもするよ」
「何でも・・・?」
言った繕と視線を絡めた春則は、
「・・・ここじゃ、口でするくらいしか出来ないからな?」
先に釘をさした。
繕は笑って、苦しげな首元に唇を落とした。
「・・・じゃ、また次にしてもらう」
「変態だなぁ」
「お互い様だ」
繕の手をシャツ越しに受けながら、春則は笑った。
繕は「次」を自然と出したし、春則はそれを当たり前のように受け入れた。
それがお互いに、嬉しく思っていることなど、どちらも自覚はない。
その湧き上がる感情は、ただ、楽しい、と思うことにした。
それ以上なんて、いらない。
お互いに求めて、求められる。
それで充分だった。


to be continued...



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