露見





小気味いい音が、響いた。
街中の、カフェだった。
オープンカフェの気持ち良い青空の下で響いた音に、周囲が反応した。
真っ赤になった女は、その勢いのまま、カフェを走り去った。
「・・・痛ぇ・・・」
春則は頬を押さえながら、顔を顰めた。
手に、ヌルリとした感触があって、目で確かめる。
血が付いていた。
「ひでぇなー・・・」
女の爪は、恐ろしいほど尖っていた。何もしないであるそれは、とても綺麗だと思うのに、
「こうなると、すげぇ凶器だよな・・・」
春則は手を舐めて、ため息を吐く。
周囲の視線が刺さる。
それは、もう慣れたほどに解っていた。
俯いた春則に、近づく気配があった。
また、ウェイトレスだろうかと思っていると、視界にあった地面に入って来たのは男物の靴。
顔を上げると、繕が春則を見下ろしていた。
春則は少し驚いて、それから笑った。
「・・・あんたには、こんなとこばっかり見せてるよな」
「自覚があったのか」
繕は言いながら、春則の顎を掴んで上に向けた。
「いっつ・・・!」
「結構、やられてるぞ」
「・・・いいよ、もう。俺が悪いんだ」
「何をしたんだ」
繕はテーブルにあったお絞りで、その顔を拭いてくれた。
「痛いって!」
「仕方ないだろ・・・ああ、そんなに大きくない」
繕は振り返って、ただ事態を見守って動けずにそこにいたウェイトレスを呼んだ。
「バンドエイド、貰えないか」
その言葉に、すぐに反応してくれ、春則の頬には斜めにそれが貼られた。
繕はそれから改めて春則の前に座り、珈琲を頼んだ。
「また、別れたのか」
「ほっといてくれ」
「回転速いな」
「それが売りだ」
「しかし、別れるたびに、その代償はきつくないか」
「これくらいしないと、未練が残るだろ」
「・・・・どっちに」
「この場合、お互いに」
「要領が悪い」
「ほっといてくれ」
春則は冷めた珈琲を口に付けて、それが口の中に沁みた。
「いっ・・・」
「口の中も、切ったのか?」
「・・・そうみたいだ」
「女運が悪い。いや、選び方が悪いのか」
「そんな女が好きなんだよ」
「趣味が悪い」
「自覚はある」
春則は心の中で、大きく頷いた。
マジで、かなり趣味悪い、と。
いい女だった。
なのに別れたのは、自分のせいだったので、この傷も甘んじて受けた。
春則は自分の言葉を思い出す。
出来ない理由を、女のせいにした。
そして、やりたいなら立たせてみろ、と最低の台詞を吐いた。
この方法が一番、後腐れないのが解っているのだ。
もう、春則には近づかないだろう。
「舐めてやろうか」
少し音を下げた声だが、春則には届いた。
「・・・止めてくれ、余計沁みる」
心臓に来そうだ、と春則は思った。
それから、ふと珈琲を口に運ぶ繕を見て、首を傾げた。
「あんた・・・あれ、どうした?」
「あれ?」
春則は珈琲を持つ手を指す。
この間まで、「女避け」と付けていた指輪が無くなっている。
繕はそれに気付いて、
「ああ・・・取った」
「なんで?」
「必要なくなった」
春則はますます首を傾げる。
「どういう・・・意味だ」
「そうゆう意味だ」
「女避け」の指輪をしない理由。
漠然とした思いが、春則を襲う。
感情で理解した春則は、その感情を押さえ込んだ。
マジで心臓が痛いな、と思いながら、平静を保った。
「そうか・・・」
女を抱けなくなった春則は、心でため息を吐いた。
あれから何度も身体を重ねたけれど、もう、それも出来なくなる。
終わりが近づく。
終われば、また春則は元に戻るのだろうか。
あまりに、こんな想いをするのが久しぶりで、その感覚が思い出せないのだ。
「仕事は?」
春則は繕を見た。
「終わったから、ここにいる」
よく考えれば、繕の会社から駅に向かう途中の場所に、そのカフェがあったのだ。
「行こう」
「いいのか?」
繕がそう訊いたのは、今、まさに春則が別れたばかりだったからだ。
「・・・感傷に付き合え」
春則は言って、立ち上がった。


to be continued...



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