ソファ





春則はライトの落ちたロビーに入って、誰かの声に気づいた。
静かなロビーだ。
その声が、良く響いていた。
「・・・だ、あいてるか?」
春則は、その声を聞いて、足を止めた。
繕の声だった。
ロビーのソファに、座って誰かと話している。
周りには、誰も居ない。手が、耳にあるのは、その中に携帯があるのだろう。
背中を向けているが、春則に、見間違えるはずはない。
帰ったはずの男を見て、春則は足音を殺して、ゆっくりと近づく。
「・・・ああ、これから」
声が、はっきりと聞こえた。
「お前の家?ああ、解る・・・タクシーを拾うよ・・・三十分もあれば」
春則は、とっさにソファの後ろにあった大きな植え込みの影に入る。
声を掛けようと思ったのに、何かが、止めた。
頭の中で、警戒音が鳴る。
これを、聞いてはいけない。
「・・・大丈夫だ・・・それから、ついでに今日、泊めてくれ」
繕は、相手の返事を待って、携帯を切った。
そのまま、手に持っていた煙草をもう一度吸い込み、灰皿に押し付ける。
それからゆっくりと立ち上がり、ロビーを出て行った。
後ろに居た春則には、全く気づかなかった。
その春則は、その影に立ったまま、動けなかった。
今の声が、頭の中を巡っている。
「・・・・なん、」
考えたくないが、思いつくことは一つしかない。
これから、また繕は他の誰かのところにいくだけだ。
そして、そこで泊まってゆくだけだ。
春則は動けなかった。
突きつけられた事実に、愕然としている。
が、口元には笑みが零れる。
解っていたことだ。
繕には、女もいる。春則にも、いる。
それだけだ。
春則は、その事実に驚き、辛いと思う、自分に哂ったのだ。
「・・・馬鹿は、俺かよ・・・」
春則は繕の居たソファに座り込み、天井を見上げた。
落ち着いたライトが、視界に入るだけだ。
「・・・勘弁してくれ」
恋をした。
苦しい恋をした。
苦しいから、恋などしたくなかったのに。
どうして、あのとき繕と出会ってしまったのだろう。
あのとき、連絡などしたのだろう。
後になど、もう引けやしない。
このまま留まるか、砕けるか。
それだけだ。
その選択は、出来るなら、春則は自分でしたかった。
しかしもう少し、と呟く。
「未練たらしいよな、俺・・・」
久しぶりにしたこの感情を、しばらく玩ぶのも、いいだろう。
春則は思いを留めて、大きく息を吐いた。
繕の温もりは残っていないソファから、暫く立ち上がれないでいた。


to be continued...



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