聖し夜に <中編>  





会社のビルは閑散としていた。
週末なのである。そして街中が浮かれていた。
繕は急ぎの仕事があるわけでもなかったが、取り敢えず家で独り居るよりはましだと出勤した。
しかし、書類を見つめても視線が先に進まない。
この想いが何か、解っているが口にするのは憚られる。
今が忙しいときだ、と言っていた。ならば、電話をしても連絡が付かないだろう。
しかし、と繕は書類を投げ出した。
その言葉を言っても良いのだろうか? 
いい大人のくせに、相手の都合も考えず自我を突き通してそれで済むのだろうか。
済むのは俺の気持ちだけだ、と繕は会社の窓から外を見た。
相変わらず騒々しい街にネオンが輝き始めた。
こんな気持ちになるのは、嘘をついたせいか、この周りの騒ぎに当てられたせいか――
繕は立ち上げていたままのパソコンを閉じて、コートを掴んだ。
どこかで、子供みたいに、と呆れる自分がいることを繕は気付いていたが、身体を止められなかった。



街に出てしまって、また春則は後悔した。
人で溢れ返っている。二人連ればかりが目に付く。
いちゃつきたいのならどこかに入ってしまえばいいのに、と春則は不機嫌そうに悪態を吐きそうになる。
しかし、今一人なのは周りのせいではない。
自分のせいだ。
売り言葉に買い言葉。
「仕事」とはっきり言われたことに、大人気なくもむかついて自分もそうだ、と言ってしまった。
もし、あのときに「仕事なんかするな」と言えていたら、「二人でいたい」と言えていたら、今はやはり違っていたのだろうか。
春則は考えて、顔が熱くなるのが解った。
そんな子供みたいに、恥ずかしい台詞を言うには年を食いすぎている。
そして、春則の性格からもそれが言えない。
しかし、やはりこの席に座っていることを考えて、情けないようなため息が出る。
外にでたはいいものの、どこに行ってもカップルだらけで視界が悪い。
友人達も女と遊びとに忙しく、それに乗る気にもならない。
つまりは、一緒にいたい相手がいるのだ。
それ以外といても楽しくもないし、気持ちも浮上しない。
だから、ここにいた。
仕事帰りの繕を捕まえるための席だった。
オープンテラスのカフェは、今日は中のほうが人は多く、しかも二人連れがほとんどで春則は自然と一人で外に座った。
珈琲から昇る湯気もすでにない。
ハーフコートの前を合わせ直して、息を吐く。
この前の道を通って、繕は会社から帰る。
仕事だというのなら、この前を通って帰るはずだ。
しかし、いつ通るかなどは分からない。
連絡を取って、確認する勇気もでない。
ここにずっと、居るしかなかった。
珈琲のお替わりを頼もうかな、と思い立ったときだった。
「どうぞ」
目の前に、温かそうな珈琲が差し出された。
完全にセルフサービスとなっているこのカフェでどんなサービスだ、と春則は視線を上げると、そこに男がいた。
春則は見たことのない男だった。
「独りで寂しそうだったので、つい」
笑って、男は春則の前に座った。
「僕も独りなので、良かったら話し相手になってください」
視線は軟らかく、落ち着いた雰囲気の男は一見年齢が分からない。
カジュアルなスーツに黒のコート、グレイのマフラー。
紳士に見えるが春則はその目的を分かって、ため息を吐いた。
昔なら、こんな男にはすぐに付いて行っただろう。
一晩だけだと、楽しんだかもしれない。
しかし今はそんな遊びで気が紛れるとは思えない。
簡単に声を掛けられるのは、掛けやすいような外見のせいだと春則も分かっている。
だが、今更繕のような格好はしても似合わないのは解るし、これ以上自分のレベルを下げることもプライドが許さない。
すでにこの外見は春則の一部なのだ。
春則はその珈琲には手を伸ばさず、コートのポケットに突っ込んだままで、
「悪いけど、人を待っている」
「一時間も?」
春則は舌打ちをどうにか抑えた。
正確には、一時間半ここにいるのだが、この相手もそれからずっと見ていたことになる。
落ち着いていたつもりだが、繕が通らないだろうかとそわそわしてたのを
人に見られていたと思うと、なんだか落ち着かない。
「今日は振られたんじゃないの? 僕も、なんだけど・・・」
男は自分の珈琲を熱そうに飲んで、春則をもう一度見た。
春則はその視線から顔を背けた。その目は、柔らかい紳士などではない。
この目の前の男を喰おうと言う獣の目だ。
「まだ、仕事中なんだ。それを待ってる。他を当たってくれ」
「クリスマスに君を放っておいて、仕事をするヤツなんか、ろくな人間じゃないよ」
「・・・・・・」
「僕は、待たせたりなんか、しない」
春則は自分が苛付いたのに気付いた。
確かに、繕はろくでもない。いつもクールで、感情など滅多に表に出さない。
しかし、それを他人から言われるのは腹が立った。
平然と恋人達のイベントより、仕事を優先するような男だ。だが春則はその男が良かった。
繕に、仕事より春則を選ぶような態度を取られてもきっと疑って掛かるだろう。
でも、我侭を思ってみたりもするし、それに答えて貰えず不機嫌になったりもする。
それでも繕が良かった。
子供のように思いながら、大人の振る舞いを、人からの目を気にして心がけて、自分の中の矛盾に苦しむ。
春則は、そうゆう性格だった。
だから、ここで大人しく待っていたのだ。
自分からの、最大の譲歩のつもりで。ギリギリのラインで、繕を待っていた。
春則が言い返そうとしたときだった。
「待っている人間に声をかけて攫っていくほうが、ろくでもないと思うが?」
有り得ない、と思った声に驚いて振り向いた。
不機嫌なのか、その表情からは解らない。いつも、そうゆう顔だ。
だけれど春則はその存在を見て、嬉しい、と思ってしまった。
繕がそこに立っていた。
「君は?」
春則の向かいから、繕の視線を受けて男が訝し気に訊く。
「こいつを待たせていたろくでもない男だ。悪いが、他を当たってくれ」
繕は春則の腕を掴んで立ち上がらせた。
まだ驚いて口を利けないでいる春則は、引きずられるようにその場を去った。
残された男は半ば呆然とそれを見送ってしまったが、それをまた、見ていた視線がある。
オープンテラスのカフェは、冬場は中と外を硝子の仕切りで区切っている。
中で身も心も温まっている二人連れの多くは、外で独り、詰まらなさそうにしている男に関心を寄せていた。
どうしてそこにいるのか、と勝手な想像をしている者達もいた。
それほど、今日の日にここで独り、外にいる春則は目立っていたのだ。
はっきりとした声は聞こえないものの、いや、聞こえないからこそ、現れた男に自然と色めき立ち、
人事にもまるで映画のワンシーンのような出来事を見ていた。
春則の態度ははっきりしていたし、相手の男の意思も解った。
そこに、登場したのが第三の男、繕である。
店内では客中が視線を離せなくなっていた。
そのどよめきなど全く気付いていない繕は、そのまま春則を掴んで攫って行ったのだった。


to be continued...



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