愛して欲しいと言えばいい  6




ケイタは久しぶりに家から出た。
携帯はあれから何度も鳴っていて、でも出る気にはなれない。もうかけてこないだろう男からではないのは分かりきっているし、ホストの男は一度もかけてきたことがない。譲二はそういう男だ。分かっている。
一日のほとんどをベッドで過ごし、この場所で素直に寝るだけに使うのは久しぶりだ、と蹲るように眠る。
布団を頭から被り、何度かトイレに立ちお腹が空いたと思えばデリバリーを頼んだ。カーテンも締め切り時計も見ない。今が何日で何時なのか、ケイタは知らないまま部屋に独りで過ごした。
こんな時間は一体どのくらいぶりだろう、と自分でも分からないほど久しぶりの時間だった。
暗い気持ちでいっぱいだったケイタはその感情を理解する事もなく、いつか過ぎ去るだろうと何も考えないようにしていたのだが、あまりに独りで居すぎて気分が突き抜けてしまった。
今、独りでいることが馬鹿馬鹿しくなったのだ。
どうしてこんな気持ちになるのか分からないけれど、独りでいることなんかない、と思い直しベッドから這い出した。つまり、感情を切り捨てたのだ。
塞いでいても仕方がない。
ケイタはテレビをつけて、時間を確認する。
それで気付いた。いつのまにか、年が明けていた。
ケイタは暫く新年を迎えた賑やかなテレビを見つめていたが、ゆっくりと身体を動かした。
まず、シャワーを浴びて身支度を整える。それからお気に入りの服着て、携帯と財布。それだけを掴んで家を出た。
どこに行くと決めていたわけではないけれど、自然と足は駅に向かう。大きな駅は初詣に行くのか、いつもよりも人間で溢れている。その人ごみに辟易しながらも、これからどうするか、と思いながら視線をあたりにめぐらせる。そのときだった。
この人の多さの中で、視界に入って来た。気付いてしまった。
もう、かけてこないだろうと諦めた男が、改札を抜けて出てきた。ケイタは心が跳ねた。確かに、喜びと動揺が広がった。しかし、それは一瞬だ。
男は一人ではなかった。後ろにいた相手と、何やら話している。
それが誰かなんてケイタには分からなかったけれど、男にとってどういう相手かは解る。
男の顔が、ケイタといるときには一度も見たことのない顔だった。スーツ姿ではないのを見たのも、久しぶりで、ケイタはその場所に根が生えたように動けなくなってしまった。
人ごみの中で、男はケイタには気付かない。いや、その相手しか目に入っていないようだった。
見たくなかった。しかし、人の波に消えていくまで視線は追い続けた。
見えなくなって、暫くケイタは動けなかった。自分が震えていることに気付いたのは、それからかなり経ってからだった。
逃げ出したかった。しかし、逃げたところでどうなるものでもない。
あの男とは、もう終わっているのだ。ケイタ独りがどうしたところで何がどうなるものでもない。
ケイタはそれは良く解っていた。
諦めればいい。望まなければいい。そうすれば、悲しくなんかないはずだ。傷つくことなどないはずだ。
諦めてきた。何も望んでなどいない。
だからケイタは悲しくなどない。傷ついてなどいない。
そのはずだった。
なのに、足元から崩れていくような感覚に襲われた。
新年に喜ぶ人ごみのなかで、絶望に包まれるケイタを気にするものなど誰一人いなかった。





          *





最後には娼婦のような身体になったけれど、いつもと違う感覚は最後まで拭えなかった。
譲二は意識を手放してベッドに横たわるケイタをじっと見下ろした。ベッドの端に腰を下ろし、煙草に火を付ける。何度か吸い込んでゆっくりと吐き出した。
欲望を抑えず、素直なケイタはいつものことだけれど、泣かれたのは初めてだった。
涙を流すのは生理的なものだ、と言っていた。しかし、途中から流していた涙はそれではない。悲しみが押さえきれず、それが溢れだしたようだった。
快楽に啼きながら、絶望に泣いていた。
譲二はそれが解ったから何度も攻めた。もう嫌だ、と言われたのは初めてだった。それでも、止めなかった。
いや、止まらなかった、が正しい。
誰を思って泣くのか。
譲二はその苛立ちが隠しきれなかった。舌打ちをして、煙草を灰皿に押し付ける。
惚れたほうの負けだ。譲二は、完全に負けていた。しかし、それをケイタには知られなくなかった。ケイタに求められたときだけ、付き合う都合のいい男。それで良いと決めていた。もし、ケイタが常に求めるなら何を捨ててでもそれに答えるつもりもあった。
それは有り得ないことだとも、知っていたが。
クールやドライよりも、冷たく乾いたセックスフレンド。ケイタが先に踏み出さないかぎり、自分からは何も言わない。それまではその関係を続けていける自信があった。
そのはずだった。
譲二はもう一本、煙草に火をつける。その背中で、ケイタが身動ぎをして気付いた。
「・・・ん、んん・・・」
重たそうに瞼を上げて、何度か瞬きを繰り返す。泣きはらした目が、赤かった。振り向いた譲二を視界に捉えて、少し眉を寄せる。声に出さないまま、何かを呟く。
譲二にはそれが解って、サイドテーブルに用意していた水を取った。体力を使い果たし腕も動かすことが億劫なケイタの身体を抱きかかえるように支えて起こした。グラスについであった水を、そのまま口もとまで運んで、ゆっくりと傾ける。
ごくり、と喉を鳴らして嚥下するのを黙って見つめた。何度か飲み込んで、もういい、とケイタは顔を背けた。
譲二は水をサイドテーブルに戻し、まだ気だるさを残した身体をベッドの上に座らせて、現実に戻ろうとするケイタを見つめた。銜えたままの煙草の灰を灰皿に落とし、もう一度銜えながら、
「・・・・振られたのか」
呟いた。
驚愕と、怒りに満ちた目が譲二を睨みつける。そんなケイタの視線は、譲二にはなんの意味も持たないように受け流す。
「俺に抱かれて、気は済んだか?」
ケイタの視線はキツく譲二を睨んだままだが、その口は何かを言いかけて開き、しかしまた閉じた。言う言葉が見つからないのだろう。ケイタの手が膝の上で震えながら握り緊められているのも、譲二は気付いていた。しかし譲二はそれで終わらなかった。そのままもう一度、突き落とすように口を開いた。
「済まないのなら、またいくらでも抱いてやる。その男の代わりにな」
ケイタは黙っていれば人形のようだった。
その顔に、表情が見られないのだ。変わるときは、おもにベッドの上だ。娼婦のように、妖艶な顔に変わる。
しかし、今の顔はそれとは程遠かった。
人形などには見えない。
全ての怒りと、貶められている羞恥。それに、絶望の悲しみ。それを込めて、譲二を睨んでいた。
「・・・っあいつの代わりなんて、誰にも出来ない・・・っ」
やっと出た言葉は、譲二の言葉を肯定している。それに気付かないケイタは、譲二の心にも火を付けたことにも気付かない。
「そうか。それで? 次の相手は見つかったのか?」
「・・・なに?」
「その男の代わりを探して、いろんな男に抱かれているんじゃないのか?
その男のように、抱いてくれる男はいたか?」
「・・・・っお前に、関係ないだろ・・・!」
「関係などない。お前にとって俺は、いつでも抱いてくれる都合のいい男だろう」
「それが、どうした・・・っ」
「俺にとって、お前は面白い観察対象だった」
「・・・・?!」
譲二は短くなった煙草を消し、また新しく火を付けた。
怒りを隠せないケイタに、譲二は表情も変えずに言葉をぶつける。
譲二は、自分の心がこんなに狭いと、初めて知った。
これは、嫉妬だ。
「自分を押し殺して、何でもないように振舞って、誰にでも抱かれているように見えるけれど実は一人の相手に気付いて欲しいだけだろう。寂しくてたまらない自分に、情をかけて気付いて欲しかっただけだろう。残念ながらそれは、無理だったようだが」
「・・・・っ」
ケイタが力ない身体で出した手は、あっさりと除けられた。譲二に、そんなものが通じるはずもない。
「全く、面白いね。何にも関心がない振りで、その実何もかもが欲しいと願っている。何も手に入らないと諦めながら、下さいと言い続けている」
「そんな・・・っこと、ない・・・!」
「俺が、解らないとでも思ったか? ただ、お前の言うとおりに望みをかなえてくれる都合のいい男だとでも?」
「お・・・まえなんか、それでいいだろ・・・! 俺を抱けて、それだけで満足だろ・・・!」
「お前に、ただ抱くだけの価値が? 身体だけなら、もっと旨いヤツがいるさ」
「・・・・っ」
ケイタの目が、揺れた。赤い目が、滲んでいる。譲二はそれに気付きながらも止めなかった。
「ただ、愛情が欲しいと強請る子供なだけだろう、お前は」
「そんなもの、いらない!!」
ケイタは何もかもを振り切るように叫んで、ベッドから降りようとした。もう、ここには居たくないと、譲二の前には居たくないと、身体を動かす。しかし、譲二はその細い身体を再びベッドに押し付けた。
「・・・っ」
力のない身体は、たいした抵抗も出来ずに組み敷かれる。譲二は冷淡な表情を顔に貼り付けたままで、囁いた。
どんな人間も陥落できると、自信のある声だった。
「・・・・欲しいんだろ・・・?」
「・・・っいらない! 離せ! もうお前なんかに抱かれない!」
「そう言えば俺が、離すとでも思っているのか? もっと、楽しませろ。もっと、泣いてみせろよ」
「・・・・っ」
譲二は散々に嬲った身体をもう一度弄ぶ。手を薄い胸に滑らせて、唇を這わせる。意識を持ち始めたケイタの中心に手を伸ばして、ゆるく扱き上げる。
「・・・っ、も、う・・・っ無理、や・・・っ」
何度も攻められて、すでに力も入らないケイタはすぐに目を潤ませる。譲二は頭の中が冴えるのが解った。
こんなにも泣かれて、同情も憐憫も沸いてこない。
ただそこにある、怒りに全て消されてしまった。
「昨日、あれだけヤッたもんな・・・? 俺ももう何も出ないかもな・・・」
「な、ら・・・っや、めろ・・・!」
「何故? お前は、こんなに感じてるじゃないか」
「いやだ・・・!」
「ここは、そうは言ってないな・・・大丈夫だ、何度でも、手でイかせてやるよ・・・」
道具を使うなんて無粋な真似はしないでおいてやる、と譲二が囁くと、ケイタの顔が苦渋と言いようのない恐怖に歪んだ。
「譲二・・・!」
「お前が・・・言えば、許してやるよ」
怒りの中で、それは本心だった。
少しでいい。
自分を欲しいと言ってほしい。
譲二は自分の情けなさを隠すために、泣き叫ぶケイタを再び攻めた。


to be continued...



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