Green Monster 21




車が止まったのは、大きな立体駐車場に入ってからだった。
何階なのかは分らないけれど、駐車場から外界は低く見下ろせた。
止まった車のすぐ隣に、今度は車体の低いものが置いてある。
貴弘が黙り込んでしまったままのアシュレイを抱きかかえるようにしてそれに気付くと、途中で車から降りた男がドアを開け出てくる。
「駄目です」
貴弘とアシュレイを促し降ろしながら、男が運転席から降りた相手に低い声で言った。
サングラスで目を隠しているせいで、どちらの表情も掴めない。
「予測以上に向こうが早い。この出入り口も難しい。車は無理ですね」
「なら、捨てよう。もう一台は?」
「予定通りの場所に待機してます。そこはまだ大丈夫のようです」
「そこまで歩くか」
男の決断は早く、迅速だ。
状況が飲み込めず、どこかで逃げなければ、と思うのに身体が動かない。
第一に、この相手から隙を見て逃げる、とい行為が成功するとも思えないのだ。
さらに、その隙すら貴弘には見つけられなかった。
真っ黒で染めたスーツの男が貴弘の腕を持ち、もう一人がアシュレイの手を取って歩かせようとする。
「さわるな!」
アシュレイが顔を顰めて、その手を振り払おうとするけれど叶うはずもない。
スーツの男よりも背が低いように見えるけれど、貴弘からもアシュレイからも見上げなければならないほどだ。
さらに体格も歴然と、大人と子供ほど違う。
貴弘を掴んだままの男が口端を上げて笑い、
「You can speak in English.」
それを理解したのか、アシュレイは引きずられるように歩かされながらブツブツと口の中で呪文のように言葉を繰り返していた。
貴弘には英語にも聴こえるけれど、呪文にも聴こえるようなものだったのだ。
男の耳にははっきりと意味が分かったのか、
「このお坊ちゃまは、口が悪いねぇ」
からかうような口ぶりを改めることなく、その口調とは裏腹に足を速めた。
エレベータで階下に向かったけれど、その箱から降りた先は地上ではない。
広いフロアのような場所の、このビルの中身も把握しているのか男たちは迷うことなく足を動かす。
非常口の点灯ランプの下の階段を駆け下りて、その途中アシュレイを掴んでいた男の携帯が鳴った。
「・・・分かった」
この男も、一言答えただけだ。
「下はもう無理です」
「早いな・・・荷物をひとつ、捨てるか」
「どちらを?」
上の方から、サングラス越しに視線を送られたのに気付いた貴弘とアシュレイは、思わず手を握った。
荷物が自分たちのことだ、と分かったからだ。
貴弘はアシュレイの手が、自分よりも震えて固まっているのに気付いて、
「アシュレイを返してあげてよ」
思わず、口から出た。
じっと見つめられて、品定めされているような気分だったけれど、貴弘は言い改めることはない。
「俺なら、逆らわず大人しくしてるから」
「いいや、二人揃ってても大人しくて優秀な人質だ」
面白そうに男が笑って、
「迷うところだが、間違えるな。タカヒロ、お前は付属品だ」
「・・・・っ」
誘拐されたのはアシュレイだ。
貴弘は、たまたまそこにいたから一緒に連れ去られたに過ぎない。
このまま続けて、誘拐劇をするのなら、必要なのはアシュレイで貴弘ではない。
そう解かっても、貴弘は硬直したようなアシュレイを離すことは出来ない。
作り物のように美しく、天使のようだ、と言われたその顔はより白く染まり、その内側から不安で耐えきれない感情が溢れているだろうに、必死で押しとどめているアシュレイは、人形ではなく、小さな子供にしか貴弘には見えなかった。
その宝石のような碧色の瞳から、涙が零れないのは人体の機能が上手く働いてないからだ、と想像出来る。
きっかけひとつで、アシュレイはここに崩れ落ち泣いてしまえる。
そうしないのは、今まで培われてきたプライドと、環境のせいだ。
貴弘は泣いたっていいんだ、とアシュレイに繋がった手に力を入れて口を開きかけた瞬間、幻のような声を聴いた。
「なら、付属品は返えしてもらおう」
非常階段の踊り場で立ち止まっていた四人は、一斉にその声を、階段の上を見上げた。
フロアの壁から姿を現したのは、見間違えることなど出来ない姿だ。
貴弘は思考が止まってしまった。
間違えることのない声に、他に類を見ない姿。
偽物など有り得ないと解かっているのに、その存在を疑ってしまうのは、あまりに唐突でどこかで切望していただけに、幻かと思ってしまったのだ。
「・・・・夏流、」
掠れた声が、存在を確かめるように出ただけだった。
目は瞬くことも忘れたように姿を焼きつける。思い返しても一日と離れていなかったはずの相手が、まるで何年も逢っていなかったように懐かしく思えた。
夏流の姿はいつでも変わらない。
すらりとした肢体も、天使よりも綺麗だと思える顔も、低すぎるように感じる声も。
それに吸い寄せられるように貴弘が自覚なく一歩踏み出したのを止めたのは、ずっとアシュレイとは反対側を持っていた男の手だった。
「これは・・・思ったよりも早いな、黒豹にこんなパートナが居たとは知らなかった」
この位置を知られても、今目の前に現れるのは本当に予測もしていなかったのか、男が本当に驚いたのが解かる。
その姿を隠しもしない夏流が、半階ほど下の階段踊り場を見下ろして、整った顔を不快に歪めた。
見ているほうが哀れに思うほど、嫌悪そのものだった。
「黒豹? それは紀一のことか? あの男の知り合いだと思われるのも不愉快だ、一緒にしないでもらおう」
ここまで来ても嫌うのか、と貴弘は小さく溜息を吐いてしまう。
しかも夏流のその顔を見て、誰も演技だとも思わないだろう。
貴弘たちが居る場所は、非常階段のちょうど上と下に挟まれたような踊り場で、夏流に塞がれた上階以外には階下と後に鉄の非常ドアがあるだけだった。
もちろん、四人がそこに寛いでいられるほど広い場所でもない。
夏流に向かって顔を向けながら、どちらの方向へ逃げるのか男が足を動かしたとき、階下から声がかかる。
「夏流!」
夏流とは反対側の下のフロアから、洋平が姿を見せた。踊り場の四人を見て足を止める。
その姿を見て、サングラスの男たちがぼそり、と小さな声で囁き合って、
「・・・そうか、こっちが黒豹の管制塔か。しまったな」
逃げ場がない、と言う声は、その内容とは裏腹に楽しそうに聴こえる。
「黒豹だけなら逃げ切れると思ったんだが・・・思わぬブレーンがいるもんだ」
それは夏流のことなのだろうか、と貴弘が背後の男を振り仰ぐと、サングラス越しに視線が重なって、微笑まれた気がした。
「どうしてここが分かったのか知りたいところだが・・・」
「聞きたいのか」
階段の上から夏流の低い声が響く。
男は笑ったままの声で、
「残念ながら時間がない。次の機会にお願いしたい」
「次はない。殺されたくないなら、手を放せ」
夏流の低い声は本気のそれを教える。
物騒な会話なんだけど、と貴弘はそれがまた、現実ではないように思えてしまう。
思えば、この誘拐が始まった時から振り回されてばかりで、貴弘の日常とはかけ離れ過ぎていて現実にも見えないのが本当のところだった。
「ここまでにしよう。今回は負けだ」
男はあっさりとそれを認め、夏流と洋平を見比べて、自分の前に貴弘とアシュレイを並べる。
背後からしっかりと腕を持たれているせいで動けないけれど、男がどちらかの反応を見たのが解かった。
「先に行け」
スーツの男が相手に行って、アシュレイの手を放させる。
自由になったアシュレイの背中を少し押して、洋平のほうへ向かわせた。
いきなり自由になったことに驚いて、そして貴弘が捕まったままのことに躊躇ってアシュレイが振り向くと、後ろの非常ドアから一人が先に出ていくところだった。
「犯人一人に人質は二人も要らない」
男が口端で笑うのに、貴弘もいいから、と頷いてアシュレイを促す。
そのまま階段を下りて洋平の腕に抱かれたアシュレイを見て、貴弘はほっと溜息を吐く。
「お前の必要なのはアシュレイだろう」
男は上の夏流と視線を外さないようにじっと見上げて、低い声に苦笑した。
「誘拐に必要なのは、あのガキだけどな。もうそれも終わりなら、この状況を上手く抜け出せるほうを選ぶのが当然だろう?」
男は片手で背中に貴弘の手を掴んだまま、空いた手で首を回すように引き寄せる。
夏流の表情は変わらない。
しかし、この場所の空気が冷たく変化したのは貴弘の気のせいではない気がした。
「付属品が、思わぬところで俺の命を助けてくれるな。も少し付き合え、タカヒロ」
耳元で低く言われることに、貴弘が嫌だ、と顔を背けて腕の中で身体を捩ると、夏流が一歩階段を降りた。
「何度も言わない。手を放せ」
夏流の低い声に、男よりも貴弘のほうが震えてしまう。
「抱き心地がいいから、難しいな」
男の声はまだ笑みを含んだように聞こえて、この夏流を前にしてどうして平然としていられるのだろう、と貴弘はやはり似ている、とここには居ない男を思い浮かべた。
そして似ているならやはり、夏流の嫌悪する相手にしかならないのだ。
「タカヒロの身体に残ってる痕は、お前が付けたのか?」
どうしてそんなことを言うのだ、と誰よりも貴弘が男の腕の中で真っ青になった。


to be continued...



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