Green Monster 19
また無言の中で、どこからか振動する音が聞こえる。それに男が突然携帯を取り出して受けた。 声もなく出て、ただ向こうの言葉を聞いているだけなのに視線が向く。 「・・・分かった」 答えたのは、それだけだった。 それから通話を切り、パソコンを置いて立ち上がる。 上背のある相手が立つと、無意識に身体が引いてしまう。 その足が自分のほうへ向かうと尚更不安を煽られた。 「タカヒロ・・・だったか、お前は、居合わせただけだもんなぁ?」 「・・・え?」 「じゃ、やっぱコイツか」 一人で頷いて、貴弘から引き剥がすようにアシュレイの腕を取る。 「What?!」 「何する・・・っ」 二人同時に驚きながらも、アシュレイを引き戻そうと貴弘が手を伸ばすのを、男はあまり気にもしないで振り返り貴弘の腕を掴んで引き寄せ、軽く握った拳を細い鳩尾に当てた。 「ぐ・・・っ!」 流れるような動作で力も入っていないように見えたが、貴弘は一瞬息が止まるほどの衝撃を受け、そのままベッドに上体を伏せるようにして倒れこんでしまう。 「タカヒロ?!」 「ん・・・っく、」 泣き声のようなアシュレイの声に、どうにか意識だけは保てているようで眩む視界を開く。 全身が痺れるように感じて、まともに動けないけれど気を失うほどではないようだ。 「タカヒロ、大丈夫、タカヒロ?」 「こら、じっとしてろ、暴れるとお前もするぞ」 「No! What are you doing?!」 「痛くねぇからじっとしてろ・・・耳は、ただのピアスか?」 「Don’t touch me!」 ベッドの上で暴れる音が貴弘の耳に届く。 うっすらと開く視界に、アシュレイを組み敷いて圧し掛かる男が見えた。 その手が金色に揺れる髪を探り、耳に移る。瞳の色と同じ宝石のついたピアスを弾き取り、うなじから額、つなぎを開いて下に着ていたシャツを引き上げる。 貴弘よりも身長こそあるものの、細く子供の身体をしたアシュレイの抵抗など、男にはないも同じのようだった。 掌を爪の先まで探り、最後には着替えさせた服を剥ごうとして、硬直したようなアシュレイに動きを変えた。 怯えを見せた碧の目を覗き込むようにして頬に触れ、 「口開けろ」 「ん・・・っんーっ!」 ふっくらとしていた唇に指を入れて、閉じさせないように顎を軋むほど掴む。 嫌だ、と涙が零れるのも気にせず、男は感情もなく作業としてその口を覗き込んだ。 「んぐ・・・っ! ううー!」 「金かかってんなぁ・・・さすがお坊ちゃんだな」 パキン、と言う音を立てて、男がアシュレイの奥歯から黒い塊を取り外した。 漸く呼吸が落ち着いた貴弘がそれを驚いて見ていると、男は終わった、とアシュレイを手放し唾液に塗れた手の先にある爪先よりも小さなチップを貴弘に見せる。 「発信機だ。誘拐慣れしてるな、このガキは。怖いねぇ」 指先でそれをパキ、と折り、床に捨てた。 「移動するぞ、ここもバレた」 「え・・・」 言うなり男は素早くパソコンを閉じて携帯を取り出した。 貴弘はベッドに起き上がり、涙で濡れた顔を歪めるアシュレイに手を貸し乱れた服を直して、 「なに、発信機?」 意味を理解しかねた貴弘に答えたのは誘拐犯のほうだった。 「誘拐されて、騒ぎもしないのは諦めてるか理解してないか――助け出される、と確信してるか、どれかだろう」 アシュレイは確かに、これで四度目の誘拐だった。 万が一のことを考えて、それくらいの措置はしているのかもしれない、と貴弘も思った。 しかしそのアシュレイは呆然としたまま目を瞬かせて、 「はっしんき・・・Transmitter?」 自分にそんなものが付いているのが、誰より不思議そうな顔だった。 知らなかったのか、と男が口端で笑い、どこかにかけた携帯と話し始めた。 「俺だ。車は? ・・・よし、すぐ降りる。予備を用意しておけ・・・いや、一応二台だ」 しかしすぐにそれも終え、まだベッドの上に座り込んでいた二人を見下ろし、 「立て、目隠しもしてる暇はない」 男に片腕づつを掴まれて引き起こされ、急かされて部屋を出された。 来るときは分からなかったけれど、ドアの前にあるエレベータに乗り込み、地下へと降りる。そこで目の前に待っていた車に押し込められて、運転席にずっと一緒だった男が座る。 大きな車はやはりジープに見えた。 その後部座席に運転席の後ろへ貴弘が座り、その隣にアシュレイ。反対側の窓にこちらも感情も殺すほど黒いサングラスをかけた男が乗り込む。しかしこちらは黒いシャツにジーンズで、その上にジャケットを羽織っているだけだ。 「高速は無理です。国道も避けてください」 アシュレイの隣の男が短く前に指定する。 頷いただけで車を出した男が、全席の鍵をロックして逃げ道を塞いだ。 「どこに・・・行くんだ?」 貴弘がまだ放心したようなアシュレイの手を握って前に訊くと、 「どこにも行きやしない。逃げるだけだ」 「逃げる?」 「まだ交渉が終わった連絡はないからな・・・逃げ切れれば、まだ継続だな」 「継続?」 「誘拐をさ」 男の声はどこか楽しんでいるもので、誘拐の実行犯という実感をまるで持っていないように見えた。 自己利益にならなくても、犯罪は犯罪だ。 貴弘はそれをなんとなくでも解かっているから、前の男の態度をどこか困惑して見てしまうのだ。 ――誘拐してるのに・・・犯罪をしてないみたいだ、 そう考えて、貴弘はふと思い当たった。 ――ゲームでも、してるみたいだ、この人・・・ 負ければ人生を終えるような、ゲームだ。 だからこそ、どこか真剣で、しかし遊んでいるようにも見える。 貴弘はこの男を、どこかで知っている、と感じた。 逃げる、と言いながらもあまり慌てた運転はしていない車の外を見つめて、どこだろう、と自分の位置を探ろうとしながらそれがデジャヴであることにも気付いた。 ――あ・・・そうか、紀一さん、だ、 気付けば、どこか二人が重なる気がした。 外は完全に夜になっていて、しかし時間は分からない。貴弘はもう一度前に向かい、 「どうして、誘拐したんだ?」 バックミラーからサングラス越しに視線を向けられた気がして、それを見つめ返す。 「おかしなヤツだな? 金のために決まってるだろう?」 笑いを含んだ声に、身代金だろうか、と考えてから首を振る。 「違う、あんたが、だよ」 「なに?」 「あんたは、どうして、こんなことしてんの?」 その質問に、誰も答えはなかった。 車のエンジン音だけが車内に響いて、暫くしてから男が前を見据えて笑った。 「面白いな、お前・・・タカヒロ? もっと遊びたくなった」 「え?」 「俺がこれに乗ったのは、一度直接見てみたかったからさ」 「何を・・・?」 貴弘の問いに男が答える前に、アシュレイの隣にいた男が携帯を耳に当てて何かを聞き、 「見つかりました。左後方、交差点を曲がってきます」 「早い早い、さすが黒豹だな」 込み合う場所を避けているせいで、周囲にあまり車はない。 暗闇に目立つのは道路に面したビルの明かりといくつかのテールランプとヘッドライトだけだ。 「捕まってろ、舌を噛むなよ」 この言葉も、今日聞いた、と貴弘は思って奥歯を噛み締めた。 その瞬間、一気に身体に圧力がかかる。 大型の車に、いったいどれほど力があるのか、というほどの勢いで加速を始めたのだ。 前方の車を一気に追い抜き、交差点に来るたびに左右に折れることを繰り返す。 「さすがに、これでマセラッティには勝てねぇな」 「四人乗ってますしね」 「降りるか?」 「では、次の交差点で」 誘拐犯同士の会話は追われているというのにのんびりとしたものに聴こえた。 貴弘とアシュレイがただ乗っていることが精一杯の車の中で、急ブレーキをかけて車を止め、一瞬の間にアシュレイの隣の男が降りて、ドアを閉める瞬間にまた発進した。 隙をついて降りることも、考える間もないほど素早いものだった。 「危ないから、飛び降りたりするなよ」 運転席から男がからかうような声を出すけれど、広くなったはずの後部座席で貴弘とアシュレイはただ小さくなって座席にしっかりと捕まっているしか出来ない。 飛び降りる、ということを考えるようなスピードではないのは身体にかかるGでよく分かっていた。 しかし慣れた手つきでギアを動かす男には、そんなものはないようにも見える。 貴弘はやはり、似ている、と思わずにはいられなかった。 |
to be continued...