Green Monster 18




「No!」
全身で否定したのは、アシュレイだった。
しかし相手はそれに怯むことなどない。絶対に自分が優位なことを確信している顔で、
「キレイなガイジンの坊ちゃん? 駄々捏ねてないで、さっさと着替えろよ?」
口端をわずかに上げて見せるので、感情が楽しんでいるのだと知る。
しかしアシュレイは勢いよく首を振って、
「いやだ! それを着るくらいなら裸でいたほうがましだ!」
「アシュレイ・・・」
まだ戸惑う貴弘に対し、アシュレイは絶対に譲らない、と拒否する。
男はそれにすら笑って見せて、
「じゃ、裸になれ。野郎の身体なんて見ても楽しくもねぇが、寒さで凍え死ぬのは俺のせいじゃねぇ」
「・・・・・っ」
低い声が、一層冷たく聴こえる。
アシュレイがそれに身体を揺らして声を失くすのに、貴弘はその間に入り、
「脅かすなよ、こいつ、こんなでもまだ13なんだ」
「・・・・13?」
相手の表情が、はっきりと訝しむように動いた。貴弘が頷くと、少し考えるように顔を傾けて、
「それは教えられてないな・・・」
「え?」
どういうことだ、と訊き返す前に、男は一歩前に進んで、
「まぁそれはいい。さっさと着替えろ。着替えないと移動出来ないだろ」
「移動?」
「こんな寒いとこに居ると、服を着てたって凍えるだろ。あったかいとこ連れてってやるから、着替えろ」
貴弘は目の前に居る男の言葉が、真実なのだとどこかで解かった。
誘拐をしておきながら、大罪をしていると自覚のないような声色だ。
まるでこれが今日の仕事のような言葉で、
 ――誘拐犯って、こんなものなのかな・・・
驚きと戸惑いに、貴弘はどうしていいのか解からなくなってしまう。
背中には貴弘越しに誘拐犯を睨むアシュレイが居て、その視線を受けて男は肩を竦め、
「仕方ねぇな、野郎をやったって楽しくねぇが・・・」
「え・・・っえ?!」
素早く目の前まで来た男が貴弘の腕を取り引き上げる。勢いで男の胸に倒れ込んだのにもびくともしないで、学校指定の貴弘のジャージをコートと合わせて剥ぐように脱がした。
「ちょ・・・っ」
「じっとしてろ」
「やだ、なにっ?!」
抵抗を思い出したようにその手を遮ろうとしても、関係ないとばかりに下に着ていたシャツを裾から引き上げるようにして腕と頭を抜いて脱がしてしまう。
ざあっと、寒さで身体が冷えた気がした。
それと同時に、貴弘の身体を見た男が手を止める。
「なに・・・?!」
「・・・名前は?」
「え?」
質問が解からない、と貴弘が見上げれば、貴弘よりも頭一つは高い場所から見下ろされた。
視線の先も判らないスクリーンに遮られているけれど、今ははっきりと貴弘を見ているのだと解かる。
「タカヒロに触るな!」
床からアシュレイがそのズボンに触れるのに、男は笑って、
「タカヒロ? ふうん」
「なんだよ・・・っ」
「13のガキに興味もなけりゃ、野郎にも勃たないと思ってたが・・・こうするとお前は変わるな」
「・・・・え?」
どういう意味だ、と目を瞬かせている間に、男の手が貴弘の両腕を掴んで背中で纏めてしまう。
「いた・・・っ」
「この痕は、誰がつけたんだ?」
指の長い手が、貴弘の肌の上を、首筋から鎖骨をつうっと撫でる。
その感触で、貴弘はそこに何があるのかを思い出した。
夏流に、何度も抱かれて泣いたのはそんなに前のことではない。
全身にうっすらとまだ痕跡があるのを貴弘は知っていた。
怒りよりも羞恥で顔が染まり、隠せないこの状況をどうにかしようと身体を捩る。
「離せ! やだ、見るな・・・っ」
「そう言うなよ、全部脱がせて、着替えさせてやろうって言ってるだけだ。大人しくしてれば、それ以上はしない」
「やだ! いい、自分で着替える・・・っ」
「本当か?」
顔を俯かせて、出来るだけ逃げようとした耳に吐息のような声がかかる。
それに全身が総気立つのを感じて、奥歯が震えそうだった。息を飲んで、何度も頷くしかない。
貴弘の手を片手で押えこみ、もう片方を露わになった脇腹からなぞり上げて、
「細いな、」
「・・・っやめ、」
ひゅぅ、と息を飲むように怯えた貴弘を、次の瞬間に男はあっさりと放した。
がくん、と気が抜けるように床に座り込んだのに、真上から男の声が落ちる。
「着替えろ。お前も――脱がせて欲しいのか?」
座り込んだ貴弘を支えているのか縋りついているのか判らないアシュレイをスクリーン越しにひやりとした視線を向けて問うと、アシュレイは何も言えず首を横に振った。
アシュレイは初めて、相手に表しようのない恐怖を感じたのだ。
そこからのろのろと、言われるままに着替えをした。
靴下を脱ぎ、下着まで変えろ、というのにはまた手を止めたけれど、低い声で命令されて逆らうことは出来なかった。
身体に何か傷を付けられるような脅しではなく、生きながら不安を与える男の声に、ただ怯えていたのだ。
用意されていた作業着は、どちらも少し大きかったけれど文句を言える声は出ない。
服を脱ぎ捨てたままでもう一度アイマスクで視界を塞がれ、部屋を出るように背中を押された。
そこからまた誰かに担がれて、車に同じように乗せられて移動しているのだ、と貴弘はすでに疲れきった身体をアシュレイに傾けて目隠しの下で目を閉じる。
アシュレイも同じなのか、狭い中で寄り添うようにして無言で時間を過ごした。

次に車が止められた場所も分からなかったけれど、また担がれるようにして降ろされたのは暖かな部屋だった。
手足を自由にされると、すぐに目隠しを取る。
そこでまた貴弘は驚いた。
「・・・ここ・・・?!」
広いスペースの部屋に一番大きくあるのは丸いベッドだった。
入口と反対側にはガラスケースに覆われたようなシャワーとバスがあり、その隣は一応扉のあるトイレだ。ベッドと反対側に一組のソファセットがあり、大きなテレビとその下に冷蔵庫が設置されている。
室内はどこか薄暗く、しかし妙にピンクに見えるのは家具がその色だからだ。そして天井とベッドに近い壁が、一面の鏡になっていることに貴弘は声を失くす。
一度も入ったことはないけれど、ここがどこかは解かったのだ。
その貴弘の隣で、
「この品のない部屋、なに?」
アシュレイが眉根を寄せている。
どう答えたらいいのか、貴弘が迷っていると一緒に部屋に入ってきたのはスーツを着た同じ男で、
「ラブホ。騒ぎたいだけ騒いでいいぞ。外には聴こえやしねぇ」
あっさりとその答えを口にする。
「ここで暫く時間潰すから・・・寝たけりゃ寝ていいぞ」
低い男の声に、貴弘は天井を見上げて自分の姿を見て、眠れるはずがない、と顔を顰めた。
時間を潰す、と言ったまま、男はソファに座り持ち込んだパソコンを開いて何か作業を始めていた。
どこを見ても落ち着かない貴弘は、アシュレイととりあえずベッドに座ってそれを見つめる。
この部屋に窓もなく、時計もなかった。
いったい自分たちが車に押し込められたあのときから、どれだけの時間が経って今はいつなのかすら分からない。
その不安もあってアシュレイと申し合わせたわけではないが手を握り合う。
貴弘の視線に気づいたのか、男が口端を上げただけで、
「なんだ?」
「あの・・・」
「ん?」
「俺、よく分かんないんだけど」
「なにが?」
「なんで・・・こんなことに、なってんのかな」
今日を思い返すと、あまりにいろいろあり過ぎて、朝、部活に行く足を止めて俯いたのが本当に今日のことだっただろうか、と記憶が薄れるほどなのだ。
男はパソコンから顔を上げて、
「お前にとっちゃ不運だろうが、諦めろ。そのガイジンのガキと一緒に居たのが悪い」
「アシュレイを・・・誘拐するつもりだったって、こと?」
「端的に言えば、そうだな」
「なんで?」
「さあ・・・」
「さあ?」
「俺は依頼されただけでね、しばらくの間、攫って欲しいってさ」
「それは、誘拐犯は別にいるっていうこと?」
それまで黙っていたアシュレイが、碧の目をしっかりと開いて男を見据える。
男は肩を竦めて、
「想像に任せる」
しかしアシュレイは息を吹き返したように口を開いて、
「その誰かが、お父さんたちと交渉しているの? 僕を人質にして?」
「お前がそう思うなら、そうかもな。金持ちも大変だな」
「誰? 誰が貴方にそれを命令したの?」
真剣な顔で問いただすアシュレイに、男は感情の判らない顔で、視線の判らない目を向けて、
「あまり訊くな。知りすぎると、帰してやれなくなる」
低い声が、本気なのだと教える。
それにもう一度怯えたアシュレイが俯き、貴弘にすり寄ってくる。子供のようなそれに、貴弘はただ腕を広げて抱き締めてやるしか出来なかった。


to be continued...



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