目を閉じてなどいられない ―レキフミ―






「離してくれ」
真っ直ぐに見つめてくる視線が、揺れている。
そんな顔で見つめられると、心が騒ぐ。
どうして、そんな目をしている?
壊れたはずだ。
柘植に言ったとおり、壊されてきたはずだ。
もっとボロボロで、震えているかとも思っていたのに。
その目はなんだ?
その言葉は何?
会社帰りなのかいつものスーツで細い身体を包み、前髪の奥から覗くその双眸は深く見えないほど黒い。
何も見えてないのか?
そう思うほど、覗き込めば自分が映る。
ただ、反射し返すだけの硝子玉。
けれど、この視線は何だ。
はっきりと動揺が現れて、見たくないのに外すことは出来ず、ただ揺れている。
壊されに来たというのでなければ、いったいさっきの言葉はなんだ?
どうしてレキフミの前にいる?
この、水野美散という人は。
「離し、て、くれ・・・」
もう一度言った声は、力もなかった。
本気言っているのだろうか?
「どうしてです」
この手を、離す?
細い腕は、簡単にレキフミの腕に収まってしまう。
何かに引き寄せられているようで、離すことなど出来ない。
ミチルは困惑をはっきりと見せて、
「・・・お、俺からは・・・離せ、ないから、」
それって、どういう意味だ?
さっきから、この人は何が言いたいのだ。
その言葉の意味を、理解して言っているのか?
レキフミを、どうしたいのだ。
その黒曜石のような双眸を覗き込んで、引き込まれそうだ。
レキフミの側まで堕としてしまおうとしたのに、反対にこのまま吸い込まれてしまいそうだ。
「ミチルさんが、離さないのなら、俺は離しませんよ」
「・・・で、でも」
「でもは、なしです」
「き、木村く・・・」
「レキフミですって、何度言ったら判るんでしょうね、ミチルさんは」
「・・・・お、俺は、その・・・」
レキフミは深く息を吐いて、自分の心を決めた。
ミチルを捉えようと思っていた。
壊して、自分の腕の中で一生捕まえていようと思っていた。
けれど、捉えられたのはどっちだ?
この視線から、離せなくなったのはどっちだ?
「ミチルさん、俺、最初に言いましたよね? 本気だって、ちゃんと言いましたよね」
「・・・・で、でも、あれは・・・」
「でもじゃないです。本気で、俺はミチルさんを壊してみたかったんです。遊びでなんて、一度も思ったことはない」
「・・・・な、なら、壊したなら、俺は、もう」
「終わりだなんて、そんなに簡単にいくと思っているんですか?」
ミチルの目が揺れた。
困惑していて、そして、濡れそうだ。
その顔は、なんだ。
制止が効かない。
ミチルを前にして、抑えてなどいられない。
「ミチルさん、貴方はもう、俺から逃げられないんですよ。離れることも、許しません。貴方の全ては、俺のものなんです」
「・・・な、なに」
この言葉は、一方的だろうか?
しかし、これ以上の想いなどない。
呪詛でいい。
ミチルのこの細い身体の隅々まで、脳髄の奥まで、沁み込んでしまえば良い。
離れるなんて、二度と思わないように。
終わりだなんて、二度と考えないように。
「貴方の世界は俺だけで良い。泣かせることも、傷つけることも、笑うことも、貴方が感じる全てが、俺のせいであって欲しい」
「・・・・っ」
「それが愛していると言うことなら、俺は貴方を本気で愛しているようです」
瞬くことすら忘れたような、ミチルの目が真っ直ぐにレキフミへと注がれる。
愛している?
そんな言葉で終わるのだろうか?
ミチルの全てを支配することが、それだけで出来るのだろうか?
「俺に同じように想えとは言いませんが、ミチルさん、貴方が少しでも想うところがあるというのなら、俺はこの腕を二度と離しません。良いですか?」
「・・・・い、いって、そんな・・・君、さっきから、ひとりで、俺が、何を・・・言うことも」
「言って下さい、良いんですか?」
「・・・・・判らない」
「判らない?」
「・・・判らないよ、そんなこと・・・でも、柘植と離れても、俺は壊れなかった、もっと、何も無くなると思っていたのに、俺は、ここいにて・・・君と」
何だと言うのだ。
はっきり言ってくれ。
そうでないと、俺は、ミチルの、この視線はなんだ。
その揺らぎはなんだ。
レキフミを見ているというのに、その顔はなんだ。
早く言ってくれ。
でないと、俺は二度とこの手を離せない。
ミチルを、離すことなど出来ない。
「ミチルさん」
「・・・・ど、どうなん、だろう、俺は・・・いったい、どう、したい、んだろう・・・」
「決めて下さい。でないと・・・」
「・・・・」
迷っているのだろうか?
迷い?
迷うことなど、あるのか?
レキフミが嫌なら、振りほどいてしまえば良いのだ。
はっきりと背を向ければいいのだ。
あれほど、柘植を想っていたのだから。
レキフミがどんなに酷いことをして、壊したかなど改めて言うほどでもないはずだ。
選ぶなら、簡単なはずだ。
けれど、迷うなら。
レキフミは吸い込まれそうなその双眸に、もっと近づいた。
「・・・俺が、決めます」
「ちょ、ちょっと、ま・・・・んっ」
そのまま唇を咥えた。
薄く開いた、柔らかな唇を、食べるように咥えた。
舌を伸ばして、その隙間から中へと滑り込み舌を誘う。その奥で震えるそれを、絡め取る。
「・・・んっ」
レキフミが拘束しているのは、その片手だけだ。
厭なら、それを解くだけで良い。
上から顔を寄せているだけだ。その顔を、伏せるだけでも良い。
けれど、口の中の熱を取っても、離れていくことはなかった。
「・・・ミチルさん、逃げないんですか・・・?」
「ん・・・っふ、ぁ・・・っ」
軽い口付けの間に、その奥に注ぐように囁いた。
開いた目が、濡れている。
レキフミはそれだけで、身体が熱を持ったのが判る。
衝動が、抑えられない。
もう、無理だ。
離せない。
掴んでいた腕を解いて、その身体に腕を回した。
「ん・・・・っ」
この身体が、軋んで苦しんだって良い。
壊してしまっても、良い。
思い切り、抱きしめた。
その想いをどうにかしたくて、自分の想いのほうが苦しくて、眉間に皺を寄せながらも唇を奪った。
レキフミの肩を押えるようにしていた腕が、手が、その身体を確かめるようにしがみ付かれて。
レキフミは頭が可笑しくなるほど、熱くなった。
「ん・・・っんっふ・・・っ」
甘い口付けだ。
それを確かめるように、どうして甘いのかを知るように、口腔を貪った。
絡んだ唾液が、どちらのものかも判らなくなるほどになって、濡れた唇から、繋がるようにそれが引いて、レキフミは漸く唇を離した。
「・・・・ミチル、さん」
「・・・・・」
何に酔っているのか、ぼう、とした表情でレキフミをただ見上げている。
レキフミは舌打ちをどうにか隠せた。
その顔は、反則だ。
「・・・きみ、は、」
ミチルの濡れた唇から、レキフミは視線が外せない。
それがゆっくりと言葉を紡ぐ。
「・・・キスが、巧いな」
「・・・・・・・どういう、意味です」
如何したいのだ。
何を考えているのだ。
「・・・二回目、だ」
キレそうだ。
その唇から漏れる声は、あまりに甘く、とろりとした吐息に乗ってレキフミへと届く。
その回数が、なんの数かなどはミチルかレキフミにしか判らない。
レキフミが思っていることを、ミチルが思っている?
もう、止められるはずがない。
「ミチルさん」
レキフミはその腕を掴んで、しっかりとその双眸を覗き込んだ。
まだ、少し困惑に揺れた目が、けれどちゃんとレキフミを見ている。
「貴方は、俺のものです。もう、俺から離れることは許しませんよ」
「・・・・そ、んな」
「決めました。ミチルさんでも、これは覆りません」
「・・・・・」
揺れた目が頷く前に、否定する前に、レキフミは細い身体を腕に掻き抱いた。
「もう、誰にも、渡しませんからね」
「・・・・・」
腕の中で、小さく首が頷いた気がした。
言葉はないけれど、レキフミはそれで良しと決めた。
こうなってしまえば、もう押し通すしかない。
俺のものなのだ。
迷っているなら、決めてしまえば良い。
「ミチルさん」
レキフミは漸く身体を離して、まだ困惑から冷め切っていないような顔を覗き込んだ。
「判っているでしょうけれど、俺は酷い男ですよ。貴方がもし、俺以外の人間に身体を開いたりしたらどうなるのか・・・・判りますよね?」
嗤って囁いた。
この身体に、沁み込むように。
いつまでも、覚えているように。
ミチルの表情は、思い出したように変化する。
瞬いて、そして言葉を理解したのか綺麗な顔を顰めて見せた。
「・・・・君は、最低だな」
「レキフミです」
「・・・レキフミは、最低な男だな」
心地良い言葉だ。
ミチルの口から零れるそれは、全てレキフミにとって甘い媚薬のようだ。
「もう、知っているでしょう、ミチルさん。貴方が散るのは、俺の腕の中だけです。もう一度裂いてしまうのも、俺の中だけです。何度だって、壊してあげますから」
「・・・・・本当に、君は・・・」
「俺を、怒らせないで下さいね、何をするか、判りませんから」
この腕を離すつもりは無い。
この目を逸らすつもりは無い。

レキフミを捉えて離さないミチル。
レキフミだけを見つめるミチル。

闇の中にいるはずなのに、これほど幸福なことが他にあるだろうか?


fin.

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