手のひらの熱 11 この関係って、いったいなんだろう。 その疑問はいつも胸の中にあるのに、答えを探すこともできず、かといって口に出して訊くこともできずにいた。 何かがあれば。 すぐに壊れてしまいそうだったからだ。 柘植との日常はあまりに当然のように流れてゆく。 朝起きて、一緒に食事をし柘植を見送り、夜に帰ってくる柘植をただ待ち続ける。 一緒に夕食を食べ、まるで蜜月の恋人のようにベッドでまどろむ。 恋人。 柘植の家の中には、まだその気配が残っている。 柘植のものではないものが、部屋へ居続けるウヅキの全身を突きつける。 まやかしだ。 これは、子供のおままごとのようなものだ。 いつかは覚める、夢なのだ。 そう知りながらも、ウヅキはその夢を壊す勇気がなかった。 もう少し、あと少し。 見たこともない誰かに、只管に願う。 どうか、ほんの少しだけ。 柘植をください。 いつかは終わると知っているから、ウヅキは出来るだけのことをしたかった。 作ったこともない料理をしてみせて、失敗もして、しかし柘植は怒ることもなく笑う。 ウヅキのすることに、全てを笑って受け入れる。 その寛容さが、ウヅキをますます追い込んでくるとは知らずに。 一時だけだから。 少しの間だけだから。 柘植の激情を見たのは、一度きりだった。 しかし、ウヅキはそれで良かった。 おままごとであるなら。ごっこの恋人であるなら。 出来るだけ、それを楽しんでいたかった。 街中を二人で歩き、初めてのデートをした。一緒に食事を作り、一緒に食べた。 柘植の大きなベッドで抱き合い、朝まで側にいた。 それが永遠だと思うほど、ウヅキは子供ではない。 しかし、割り切れるほど、大人でもなかった。 時折、顔が歪んでしまう。 それを柘植に見つかると、大丈夫だから、とキスをされる。 不安と安堵の混ざった複雑な気持ちが、全身を支配する。 大丈夫ってなにが? これから、どうなるの? 俺はまた、独りになって、生きていける? それでもなかなか夢は覚めなかった。 柘植と一緒に居ることが、まるで当然にもたまに思ってしまう。 そんなウヅキを嗤うように、現実を見せられたのは何度目かに二人で外出したときだった。 「まさか、まったく・・・こいつだとはね」 その声を覚えていた。 その顔を、思い出してしまった。 ウヅキは二人の前を塞ぐようにして立ちはだかった男を見たとき、やはり、と思った。 やはり、夢でしかない。 ウヅキは、ウヅキだ。 過去が変えられるわけではない。 未来が、あるはずもない。 隣に居た柘植も、相手を知っていることに驚いたけれど、ウヅキは思考がどこか霞んでしまっていた。 はっきりと分からない。 ただ、少しも動くことができずそこに立ち尽くしてしまった。 すぐ目の前で繰り広げられる柘植と男の会話が、違うもののように聴こえた。 「ミチルさんを、早く振ってもらえませんか」 男の言葉に、少しだけ意識が向いた。 ミチル? 誰と、訊かなくても分かる。 柘植の凍ったような表情。 恋人だ。 どうして、この男が柘植の恋人を知っているのだろうか。 その言葉の意味は、なんなのだろうか。 「どんな人間だろうと、柘植さん、ミチルさんはもう捨てるんでしょう?」 捨てる? 誰が。 誰を? いったい、この二人はなんの話をしているんだ? 混乱し始めたウヅキを、現実に引き戻したのは柘植だ。 柘植の、ウヅキを安心させる大きな手が。 誰にも渡さないとばかりに、ウヅキを抱きしめる。 どうして? 俺を、抱くの? そんなこと、したら。 「俺が今、一緒にいたいのは卯月だ。卯月の過去なんて関係なく、卯月を選ぶ」 なに? それって、どういう意味? 俺を、なに? 俺が、男娼だって、柘植は知りすぎるほど、知っているはずなのに。 「君が卯月を傷つけるなら、俺が護る。俺は卯月を傷つけるものを、許さない」 俺は、傷つかない。 もう、傷つくことなど、何もない。 独りでだって、生きていける。 これまでも。 これからも。 なのに、この暖かい腕は何? この、熱すぎる言葉は何? 護られる? 俺が? 誰も傷つけない。 干渉を受けない。 居なくなっても誰も気になどしない。 その、俺が? ウヅキは、目の前で繰り広げられる会話ももうどうだって良かった。 込み上げる感情を、抑え込むのに必死だった。 抱きしめられた熱に、柘植の温度に。 崩れてしまわないように耐えるので、必死だった。 ああ、誰か。 神様。 どうか、このひとを俺にください。 誰に恨まれたっていい。 蔑まされたっていい。 いくらでも傷つけても構わない。 このひとがいてくれるなら俺はもう、何も望んだりしない。 このひとがいない未来なら、俺はもういらない。 いついなくなっても良かったのに。 明日息をしなくなっても構わないはずだったのに。 いやだ。 このひとが、いないのがいやだ。 この熱が、離れるのがいやだ。 俺はいつから、こんなに弱くなった? |
fin.