視線が重なることはなく  8






ミチルは気がつくと、全身が不調を訴えていることが解った。
視界に入ったのは、見慣れた天井だ。
自分の部屋の、ベッドの上だった。
どうしてこんなにも身体が動かないのだろう、とまだ覚醒しきっていない頭を働かせた。
身体がなんだか着苦しい。
「・・・・」
だるさを吐息から逃がそうとしながら、自分の格好を見た。
スーツを着ていた。
「・・・・・・?」
少し緩くなっているけれどネクタイを締めて、ジャケットも着込んだままだ。
この状態で寝ていた?
被せられた布団の中に違和感を覚えて、ミチルはベッドに肘を付きながらそれを剥いだ。
「・・・・っ!」
何も着ていなかった。
シャツも着ているし、足先にはちゃんと靴下を穿いたままだった。
けれど、それ以外を覆うものは何も無い。
ズボンも下着も、付けていなかったのだ。
自分の格好に血の気が引いて行くのが解った。視界に入れたくなくて、もう一度布団で隠した。
「・・・な、に・・・っ」
ミチルは上体を起こし、震える両手を合わせた。吐息も、そこから漏れる声も震えていた。
一瞬でも見えた視界は嘘じゃない。幻ではない。
足の間が、乾いていた。
濡れて汚れたと思われるところが、乾いたのだ。そして少し動いただけでも解る身体の奥に、渦巻く男の吐き出したものを感じる。
「・・・・っ」
息を飲んだ。
思い出したのだ。
昨日、何があったのかを。
止めてくれ、とミチルは頼んだ気がする。
何度も許してくれ、と泣いた気がする。
そしてそれは、夢ではない。
耳を澄ましてみても、自分以外がこの家にいる気配は感じられない。
つまり、もう相手はここにはいないのだ。
汚れた体のミチルを、半端に衣類を見につけたままのミチルを、そのまま放って帰って行ったのだ。
カーテンから漏れる朝の光で、寝室の絨毯が汚れているのが見えた。
ベッドの足元に、靴が転がっていた。
玄関で一度果てた後で、ミチルはそのまま抱え上げられてこのベッドに投げ出された。
靴を脱ぐことすらしないままで、犯されたのだ。
ミチルは身体が冷えた。
歯が震えるほど、寒気を感じた。
あの男は、誰だった?
眼鏡の奥に、柔和な笑みを浮かべた穏やかな木村は、本当に存在したのか?
緩んだ口元を思い出しても、そこに笑みはなかった。
昨日の木村は、本当に木村だっただろうか?
ズボンと下着を足から引き抜かれて、そのときに靴が脱げた。
「い、やだ、止めろ、止めてくれ、木村、もう無理・・・っ」
撥ね退ける抵抗は、まるで赤子のように簡単に押さえつけられた。
ベッドに転がり、腰を木村の膝に抱えられて大きく足を割られた。
視界に、自分の白い身体が映る。
「・・・っい、いやだ、やめろ、いやだ・・・っ」
ミチルを襲うのは恐怖だ。
こんな肢体を見たくなどない。一度果てて濡れたそこを、見たくなどない。
汚れた身体を、見せ付けないでくれ。
「レキフミですよ、ミチルさん・・・名前で呼んでくださいって言ってるでしょう」
「い、や・・・いやだ、いやだ・・・っ」
木村の声は笑っていた。
潤んだ視界に映る顔は、どうしようもないな、と笑っている。
「そんな、子供みたいに・・・いやだいやだって言って、どうするんです?」
「き、木村、あ・・・っや、いやだ・・・!」
「聞けませんよ、そんなこと」
「う・・・っあ・・・っ」
一度受け入れたそこには、嫌がる意志とは関係なく木村を飲み込む。
大きく広げられて、最奥まで犯される。
「・・・っん、はぁ・・・」
靴のままでベッドに上がった木村が、卑猥に腰を使い始める。
濡れた場所が空気を含んで、もっと泡立つ音を上げる。
聴きたくない、と思っても、ミチルは耳を塞ぐことが出来なかった。
木村が欲望を押し込めば包み込むように受け入れ、逃げようとすれば離したくないと後を追う。
吐息を吐き出した木村が気持ちが良い、と笑う。
「っ、はぁ・・・ミチルさん、嘘吐きだな」
抽挿を繰り返し、腰を揺らしながら上から木村が笑う。
嘘じゃない。
ミチルは顔を見られたくなくて、腕で覆った。
「こんなに俺を咥えてんのに、離さないのミチルさんじゃないですか、綺麗で穢れなんか知りませんって顔しておいて、身体はこんなに淫乱だったんですね」
「・・・っやめ、やっ、・・・っ」
「嘘は聞きたくありません、言えばいいじゃないですか。素直に言ったらどうですか、もっと欲しいんでしょう」
「・・・き、むら・・・っ」
顔を塞いだ腕を掴み、泣き顔のような顔を覗き込まれた。
上体を屈めて、眼鏡の奥から愉悦を含んだ視線が近づく。
いやだ。
見たくない。
ぎゅっと目を閉じても、腕は取られたままで、
「柘植さん、羨ましいですね。こんな身体をずっと独り占めですか? 柘植さんに、こんな身体にされたんですか? それとも、他の男? ねぇミチルさん、俺で、何人目ですか?」
「木村・・・っ!」
塞げない耳に押し込まれる低い声。
閉じていた視界を開き、毅然と睨みつける。
そこまで、貶められるつもりはない。
この男に、そこまで踏みにじることは許せはしない。
本気で怒りを向けているというのに、その視線を受けた木村は嗤った。
押し込まれた木村が大きくなったのを身体で感じた。
「・・・っ!」
木村はまるで陶酔したような笑みで、ミチルを見下ろしていた。
「最高ですね、その目つき・・・すげぇ、そそる、もっと見せて下さい、もっと壊れて下さい。ミチルさん、他には、どんなミチルさんがいるんです・・・?」
「・・・っ木村・・・っもう、止めてくれ、頼むから・・・っ」
「そんな顔をして、止められるはずがないの、解っているくせに」
「いや、いやだ、もう、赦して・・・・」
「レキフミですよ、ミチルさん・・・名前、呼んで下さい、もっと壊れて、俺を呼んで下さい」
「いやだ、や・・・っれ、レキフミ、も、いやだ・・・っ」
「もっと、ミチルさん、もっと呼んで」
「ああぁ・・・っ」
木村の言うように、ぐずぐずにされた。
奥だけを何度も犯された。
ミチルは自分で手を離したのだ。
硝子の心は、手を離せばそれだけで堕ちて壊れる。
それを投げたのは自分だ。
もう元には戻らないと知っていても、それはミチルの心だった。
それを、踏みつけられた。
割れた破片を、木村は全て踏みにじり粉々になってしまうまで、壊した。
木村が壊したのか?
それとも、自分で壊したのか?
踏んでくださいと、自分で言ったのか?
ミチルは冷静になったと思う頭で考えても、答えが出てこなかった。
解るのは、もうこの家には独りだということだ。
ミチルを壊すものは誰もいない。
ミチルを包むものも、誰もいない。
ミチルを砕いた男も、汚れたミチルをそのままで消えた。
散ってしまった?
美しくなどない。
汚れたままで、ミチルは砕けた。
壊れたミチルは、もう元には戻らなかった。


to be continued...

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